勧工場かんこうば)” の例文
旧字:勸工場
私の家の隣には勧工場かんこうばがあって私たち兄弟たちは毎日の様にそこへ行った。何でも私の家の家作であって、南谷という人がやっていた。
新古細句銀座通 (新字新仮名) / 岸田劉生(著)
ところがそれからだいぶ経って、私が例の達人たつじんといっしょに、芝の山内さんない勧工場かんこうばへ行ったら、そこでまたぱったり御作に出会った。
硝子戸の中 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
そのころ仲見世なかみせ勧工場かんこうばがあって、ナポレオン一世、ビスマルク、ワシントン、モルトケ、ナポレオン三世というような写真を売っていた。
三筋町界隈 (新字新仮名) / 斎藤茂吉(著)
両国りょうごく広小路ひろこうじに沿うて石を敷いた小路には小間物屋袋物屋ふくろものや煎餅屋せんべいやなど種々しゅじゅなる小売店こうりみせの賑う有様、まさしく屋根のない勧工場かんこうばの廊下と見られる。
あわれにも彼女はいつもうっかりしていて、外に出たついでにふと思いついて、その筋道に当たる勧工場かんこうばへはいってみた。
其処そこへ美術学校の方から車が二台ほろをかけたのが出て来たがこれもそこへ止って何か云うている様子であったがやがてまた勧工場かんこうばの方へ引いて行った。
根岸庵を訪う記 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
五人一座の二人までは敷かせる座蒲団ざぶとんの模様が違って、違った小紋こもんも、唐草も、いずれ勧工場かんこうばものにあらざるなく、杯洗はいせん海苔のりとお銚子ちょうしが乗って出るのも
湯島詣 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
銀座にはうまい珈琲コオヒーや菓子を食べさすうちが出来、勧工場かんこうばの階上に尖端的せんたんてきなキャヴァレイが出現したりした。
縮図 (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
頂上には旅人宿はたごやめいた室、勧工場かんこうば然たる物産陳列所、郵便局、それから中央の奥宮社殿は、本殿、幣殿へいでん、拝殿の三棟に別れて、社務所、参籠所さんろうしょも附属している。
不尽の高根 (新字新仮名) / 小島烏水(著)
帰途勧工場かんこうばに入りて筆紙墨ひっしぼくを買い調ととのえ、薄暮はくぼ旅宿に帰りけるに、稲垣はあらずして、古井ひとり何か憂悶ゆうもんていなりしが、妾の帰れるを見て、共に晩餐をきっしつつ
妾の半生涯 (新字新仮名) / 福田英子(著)
「今度は電話だ」と言って、二つの板紙ボールがみの筒を持って出てくる。筒の底には紙が張ってあって、長い青糸が真ん中をつないでいる。勧工場かんこうばで買ったのだそうである。
千鳥 (新字新仮名) / 鈴木三重吉(著)
勧工場かんこうばは、寄合世帯ながら今のデパート式に、家庭用品ひととおり揃えて、明治十一年丸の内竜ノ口(永楽町二丁目)に出来た府立の第一勧工場がそもそもの元祖
明治世相百話 (新字新仮名) / 山本笑月(著)
結納ゆひのうの品々つらする者、雑誌など読みもて行く者、五人の子を数珠繋ずずつなぎにして勧工場かんこうばる者、彼等はおのおの若干そこばくの得たるところ有りて、如此かくのごとく自ら足れりとるにかあらん。
金色夜叉 (新字旧仮名) / 尾崎紅葉(著)
今活動写真館になっている文明館が同じ名前の勧工場かんこうばだったが、何でもその辺から火事が起ってあの辺一帯が焼け、それから今のように町並がひろげられたのであった。
早稲田神楽坂 (新字新仮名) / 加能作次郎(著)
角、「たつみ食堂」と称するもののいまあるところに「梅園館」という勧工場かんこうばがあった。——そこを「仲見世」へ出たわたしは、そのまま左へ仁王門のほうへ道をとった。
雷門以北 (新字新仮名) / 久保田万太郎(著)
鹿しかの肉、牛なべ、牛乳屋、コーヒー屋、東京にあって仙台に無いものは市街鉄道くらいのもので、大きい勧工場かんこうばもあれば、パン屋あり、洋菓子屋あり、洋品店、楽器店、書籍雑誌店
惜別 (新字新仮名) / 太宰治(著)
「え?」と私は聞直した、——勧工場かんこうばというものは其時分まだ国には無かったから。
平凡 (新字新仮名) / 二葉亭四迷(著)
勧工場かんこうばまで追っかけて捜しに行きなどして、ひっきりなしに彼女を『少尉夫人バニ・ホルンジナ』と呼びかけるので、初めのうちこそ、この『まめな親切な』人がなかったら自分はとほうに暮れていたとこだ
勧工場かんこうばへはいって、勧工場から吐き出されて来た時には、各〻めいめいが、小さな小箱を一ツずつ胸にかかえていた。豆菊も持っていた。しかし、小さな淋しい顔は、明るい灯をあびるほど沈んでいた。
かんかん虫は唄う (新字新仮名) / 吉川英治(著)
ある時北国のスエーデンでは冬期に開催される勧工場かんこうば建設の必要に突然迫られたことがあったが、冬期に於ける建築物の急造はこの国では不可能である。従ってすべての建築家はこの仕事を抛棄ほうきした。
厨房日記 (新字新仮名) / 横光利一(著)
礼ちゃんが新橋の勧工場かんこうばで大きな人形を強請ねだって困らしたの、電車の中に泥酔者よっぱらいが居て衆人みんなを苦しめたの、真蔵に向て細君が、所天あなたは寒むがり坊だから大徳で上等飛切とびきりの舶来のシャツを買って来たの
竹の木戸 (新字新仮名) / 国木田独歩(著)
その跡へ横浜館と名づくる勧工場かんこうばができた。
おばけの正体 (新字新仮名) / 井上円了(著)
勧工場かんこうばの店番」
耽溺 (新字新仮名) / 岩野泡鳴(著)
神田の通りで、門並かどなみ旗を立てて、もう暮の売出しを始めた事だの、勧工場かんこうばで紅白の幕を張って楽隊に景気をつけさしている事だのを話した末
(新字新仮名) / 夏目漱石(著)
銀座ぎんざ駒形こまがた人形町通にんぎょうちょうどおりの柳のかげに夏のの露店にぎわう有様は、煽風器せんぷうきなくとも天然の凉風自在に吹通ふきかよう星のしたなる一大勧工場かんこうばにひとしいではないか。
先ず国事探偵たんていより種々の質問を受けしが、その口振りによりて昼のほど公園に遊び帰途勧工場かんこうばに立ち寄りて筆紙墨ひっしぼくを買いたりし事まで既に残りのう探り尽されたるを知り
妾の半生涯 (新字新仮名) / 福田英子(著)
角には博品館という東京一の勧工場かんこうばがあったが、これはもと博品館とはいわず、俗に新橋の勧工場といっていたが、私が十一、二の頃に改築されて博品館となったものである。
新古細句銀座通 (新字新仮名) / 岸田劉生(著)
シヤトルの勧工場かんこうばでいろいろのみやげ物を買ったついでに、草花の種を少しばかり求めた。
柿の種 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
それは姿見で、唐草模様の浮出した紫檀贋したんまがいの縁の、むかうと四角なかおも長方形になる、勧工場かんこうば仕込の安物ではあったけれど、兎も角も是が上等室の標象シムボールとしてうやうやしく床の間に据えてあった。
平凡 (新字新仮名) / 二葉亭四迷(著)
ここに金鍔きんつば屋、荒物屋、煙草たばこ屋、損料屋、場末の勧工場かんこうば見るよう、狭い店のごたごたと並んだのを通越すと、一けん口に看板をかけて、丁寧に絵にして剪刀はさみ剃刀かみそりとを打違ぶっちがえ、下に五すけと書いて
註文帳 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
「物は提げ様一つさ。ハハハハ。こりゃ勧工場かんこうばで買ったのかい。だいぶ精巧なものだね。紙屑を入れるのはもったいない」
虞美人草 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
百貨店の前身は勧工場かんこうばである。新橋しんばし上野うえのしばの勧工場より以前にはたつくちの勧工場というのがあって一度ぐらい両親につれられて行ったようなぼうとした記憶があるが、夢であったかもしれない。
自由画稿 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
「そんならね、晩に勧工場かんこうばで買ってらッしゃいな。」
平凡 (新字新仮名) / 二葉亭四迷(著)
だから宗助のさびしみは単なる散歩か勧工場かんこうば縦覧ぐらいなところで、次の日曜まではどうかこうか慰藉いしゃされるのである。
(新字新仮名) / 夏目漱石(著)
今日何人あばたに出逢って、そのぬしは男か女か、その場所は小川町の勧工場かんこうばであるか、上野の公園であるか、ことごとく彼の日記につけ込んである。
吾輩は猫である (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
「もし、御閑おひまならば、小野さんにいっしょに行っていただいて勧工場かんこうばででも買って来いと申しましたから」
虞美人草 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
「やあいつの間にか勧工場かんこうばが活動に変化しているね。ちっとも知らなかった。いつ変ったんだろう」
行人 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
中は勧工場かんこうばのように真中を往来にして、おなじく勧工場の見世みせに当る所を長屋の上り口にしてある。
満韓ところどころ (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
朗かに風の往来を渡る午後であった。新橋の勧工場かんこうば一回ひとまわりして、広い通りをぶらぶらと京橋の方へ下った。その時代助の眼には、向う側の家が、芝居の書割の様に平たく見えた。
それから (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
指で人をさすなんかは失礼の骨頂だ。習慣がこうであるのにさすが倫敦ロンドンは世界の勧工場かんこうばだからあまり珍らしそうに外国人を玩弄がんろうしない。それからたいていの人間は非常に忙がしい。
倫敦消息 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
どこまでも同情だとか、愛だとか、正義だとか、自由だとか、浮世うきよ勧工場かんこうばにあるものだけで用をべんじている。いくら詩的になっても地面の上をけてあるいて、ぜにの勘定を忘れるひまがない。
草枕 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)