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あらた
ふりがな文庫
“
革
(
あらた
)” の例文
藤吉郎はそこで長浜まで軍をすすめ、於ゆうはそこから岐阜へ帰して、兵馬の装備を
革
(
あらた
)
めると、主君の信長のいる前線の地、姉川へ
新書太閤記:04 第四分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
「ここらにいる馬鹿野郎どもの運命を
革
(
あらた
)
めてやれ。恨むべき奴等だ。憎むべき奴等だ……そうだ、乃公も革命党に入ってやろう」
阿Q正伝
(新字新仮名)
/
魯迅
(著)
その癖、出会えば女乞食は今は全く態度を
革
(
あらた
)
めて、わたくしに
阿
(
おも
)
ねるような媚びるような、また
煽
(
おだ
)
て上げるような所作をして
生々流転
(新字新仮名)
/
岡本かの子
(著)
この一事の如きは、真に
革
(
あらた
)
めざるべからざることである。子供は子供らしい素直な良い字を書いてこそ、子供としての善書たり得るのである。
書道を誤らせる書道奨励会
(新字新仮名)
/
北大路魯山人
(著)
主権者の
革
(
あらた
)
まることを学問上、「革命」と呼ばれている。日本にも、その革命は、いくたびかあったのである。それが、日本の慣例であった。
天皇:誰が日本民族の主人であるか
(新字新仮名)
/
蜷川新
(著)
▼ もっと見る
然るにポルトセイドに着き、いよいよ熱帯圏に入ると、気候の激変から病が俄に
革
(
あらた
)
まって、コロンボへ入港したころは最早
頼
(
たのみ
)
少
(
すく
)
なになって来た。
二葉亭四迷の一生
(新字新仮名)
/
内田魯庵
(著)
大都の
康荘
(
こうそう
)
は年々面目を新にするに反して
窮巷屋後
(
きゅうこうおくご
)
の
湫路
(
しゅうろ
)
は幾星霜を経るも依然として旧観を
革
(
あらた
)
めず。これを人の生涯に観るもまたかくの如き
歟
(
か
)
。
礫川徜徉記
(新字旧仮名)
/
永井荷風
(著)
時が移り世態が
革
(
あらた
)
まるのは春夏秋冬のごとくであって、雲起こる時は日月も
蔵
(
かく
)
れ、その収まる時は輝くように、聖賢たりとも世の乱れる時には隠れ
夜明け前:04 第二部下
(新字新仮名)
/
島崎藤村
(著)
私穢を
厭
(
いと
)
う当時の習慣のために、その病
革
(
あらた
)
まるに及び、来客の
輿
(
こし
)
を借りて、急にこれを近所の小庵に移したくらいであるから、まして梅枝のごときは
東山時代における一縉紳の生活
(新字新仮名)
/
原勝郎
(著)
七月七日の夕べ、片岡中将の
邸宅
(
やしき
)
には、人多く
集
(
つど
)
いて、皆
低声
(
こごえ
)
にもの言えり。令嬢浪子の
疾
(
やまい
)
革
(
あらた
)
まれるなり。
小説 不如帰
(新字新仮名)
/
徳冨蘆花
(著)
本当に皆良い人達ばかりだ、予も生活を
革
(
あらた
)
めるだろう。また風が出た。良い月夜だ。(四、二二)
青べか日記:――吾が生活 し・さ
(新字新仮名)
/
山本周五郎
(著)
変法自彊
(
へんぽうじきょう
)
の志望を生ぜしめ、また露国をして中古的
欧羅巴
(
ヨーロッパ
)
文明と
亜細亜
(
アジア
)
蛮民の精神との混合的文明を
革
(
あらた
)
めて、立憲政治、信教自由の国論を生ぜしむるに至ったのであるが
日本の文明
(新字新仮名)
/
大隈重信
(著)
前年廃藩の
詔
(
みことのり
)
が出て、承昭は東京におることになり、県政もまた
頗
(
すこぶ
)
る
革
(
あらた
)
まったので、保はまた当路者に
諮
(
はか
)
った。当路者は
復
(
また
)
五百の東京に
入
(
い
)
ることを阻止しようとはしなかった。
渋江抽斎
(新字新仮名)
/
森鴎外
(著)
十月八日病
革
(
あらた
)
まるや、日昭、日朗以下六老僧をきめて懇ろに滅後の弘経を遺嘱し、同じく十八日朝日蓮自ら法華経を読誦し、長老日昭臨滅度時の鐘を
撞
(
つ
)
けば、帰依の大衆これに和して
学生と先哲:――予言僧日蓮――
(新字新仮名)
/
倉田百三
(著)
ただ普魯西が今なお六十余年前の旧法を墨守して三級制度、間接主義を
革
(
あらた
)
めざるを最も著しい例外とすべきである。もっともこれには実は相当の理由がある。煩わしければ今は述べぬ。
憲政の本義を説いてその有終の美を済すの途を論ず
(新字新仮名)
/
吉野作造
(著)
たうとう人間そのものを
革
(
あらた
)
めつつある事実に直面して、人間の発見もしくは改革が個人的な懊悩や争闘から
獲
(
え
)
られるばかりでなく、制度の変革からも獲られることを率直に認めたのである。
悲願に就て:――「文芸」の作品批評に関聯して――
(新字旧仮名)
/
坂口安吾
(著)
病が
革
(
あらた
)
まつて今度はと噂する度毎に、かうして見舞に来て呉れるのであつた。
厄年
(新字旧仮名)
/
加能作次郎
(著)
あれは宋の
秦檜
(
しんかい
)
さ、忠良を害し、君を欺き、国を滅したから、こんな重罪を受けておる、他の者も皆国を誤ったもので、この者どもは、国の命が
革
(
あらた
)
まるたびに、引出して、毒蛇に肉を
噬
(
か
)
まし
令狐生冥夢録
(新字新仮名)
/
田中貢太郎
(著)
人工心臓の準備が終った翌朝、妻の病は
革
(
あらた
)
まりました。
人工心臓
(新字新仮名)
/
小酒井不木
(著)
けれども、そのうちに、彼の態度が俄かに
革
(
あらた
)
まつた。
吸血鬼
(新字旧仮名)
/
ジョン・ウィリアム・ポリドリ
(著)
司法主任の大島警部補が急に病が
革
(
あらた
)
まったのである。
支倉事件
(新字新仮名)
/
甲賀三郎
(著)
冀北
(
きほく
)
の強国、
袁紹
(
えんしょう
)
が亡びてから今年九年目、
人文
(
じんぶん
)
すべて
革
(
あらた
)
まったが、秋去れば冬、冬去れば春、四季の風物だけは変らなかった。
三国志:08 望蜀の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
その革命には、いつぱんに、暴力がもちいられるけれども、平和のうちに主権者の
革
(
あらた
)
まることが、日本の歴史にはある。
天皇:誰が日本民族の主人であるか
(新字新仮名)
/
蜷川新
(著)
大目付
(
おおめつけ
)
をもて幕府の執政を
革
(
あらた
)
めざれば政事
終
(
つい
)
に改革の実を行ふ事能はずとて一通の意見書を托せしに、木村某その書を大目付に出して其のまま逐電すと告る者あり。
下谷叢話
(新字新仮名)
/
永井荷風
(著)
暮らし方からどうにか
革
(
あらた
)
めて行かねばならないと思っています。
青春の息の痕
(新字新仮名)
/
倉田百三
(著)
『年号ばかり、建炎と
革
(
あらた
)
めても、金の皇帝がまたそれをやれば、同じ
轍
(
てつ
)
をくりかえすに決っている。ただ長いか短いかだけだ』
人間山水図巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
一族の浅野弥兵衛にこう命じて、直ちに改築——というよりはまったく新たに規模を
革
(
あらた
)
めて、その工事に着手させたのだった。
新書太閤記:06 第六分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
士風は、大いに
革
(
あらた
)
まった。半兵衛が、孫子や論語を講じる時には、
蜂須賀
(
はちすか
)
彦右衛門なども、聴講の
床
(
ゆか
)
に、欠かさず姿を見せた。
新書太閤記:03 第三分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
戸板をかこんでいる吉岡門下の人たちは、初めて、小次郎の姿と、もう一人の朱実をそこに見出したもののように、ギクと、眼の光を
革
(
あらた
)
めた。
宮本武蔵:05 風の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
裏の井戸へ行って、顔を洗う、口を
嗽
(
すす
)
ぐ。そして彼は、もう暁に近い灯を
剪
(
き
)
り直し、気を
革
(
あらた
)
めて、また、彫刀を持ち直した。
宮本武蔵:06 空の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
隣邦の中国では、
大同
(
だいどう
)
に兵乱があり、
遼東
(
りょうとう
)
が騒いだりしていたが、
元
(
げん
)
の国号を
革
(
あらた
)
めて
明
(
みん
)
としてから、
朱氏
(
しゅし
)
数百年の治世はまだ
揺
(
ゆる
)
ぎもしなかった。
新書太閤記:01 第一分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
けれど、それぐらいなご実行で、この
滔々
(
とうとう
)
と濁りきっている元禄の時流が
革
(
あらた
)
まると期しておられるなら、それは大まちがいだと、おれはいうのだ
梅里先生行状記
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
世の中の
廃頽
(
はいたい
)
も、余りに度をこえて腐りきると、救い難いものとなるし、それを
革
(
あらた
)
めるには、乱世の惨事と地を
蔽
(
おお
)
うほど血を見ねばやれなくなる
梅里先生行状記
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
だが、八弥太がそれから語り始めた
仔細
(
しさい
)
を聞いてゆくに従って、新七の恐怖と疑いは、まったくべつなものに
革
(
あらた
)
められた。
黒田如水
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
曹正は、ほかの百姓をつれて、あくる日、村へ帰っていき、二龍山一帯は、その
翠
(
みどり
)
の色も里景色も、なんとなく
革
(
あらた
)
まった。
新・水滸伝
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
「逆臣を
扶
(
たす
)
くる
匹夫
(
ひっぷ
)
。なんぞ早く降伏を乞わざるか。われは、革新の先鋒たり。時勢はすでに刻々と
革
(
あらた
)
まるを、汝ら、
頑愚
(
がんぐ
)
の眼にはまだ見えぬか」
三国志:03 群星の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
雀百までの
喩
(
たと
)
えのとおり、未だにすがたも
革
(
あらた
)
まらないで、
高木履
(
たかぼくり
)
をはき、大太刀を横たえているのがあるし、
長柄刀
(
ながえ
)
を小脇に持っているのもある。
宮本武蔵:05 風の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
上層の驚かないのと、彼等の驚かないのとは、質はちがうが、いずれにしても、京都のもっている
爛熟
(
らんじゅく
)
、
懶惰
(
らんだ
)
、
軽佻
(
けいちょう
)
の空気はすこしも
革
(
あらた
)
まらない。
源頼朝
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
五月にはいると、やがて病が
革
(
あらた
)
まって、藤原有範は、美しい妻と、二人の子をおいて、帰らない人になってしまった。
親鸞
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
世のなかも
革
(
あらた
)
まって来たが、人も進み時代の先駆もみな、ようやく
大人
(
おとな
)
になって来たものだという感がなきを得ない。
新書太閤記:07 第七分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
父、道三を討って、威をほしいままにした斎藤義龍の稲葉山の城も、すでに亡んで岐阜城と名も
革
(
あらた
)
まり、そこにはもう信長公が君臨していたのである。
茶漬三略
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
四高弟のほうも、今は武蔵の認識をまったく
革
(
あらた
)
めて、誰ひとりとして、味方の四の数をたよっている者はなかった。
宮本武蔵:03 水の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
信長公を
措
(
お
)
いて誰か時代の混乱をここまで統率して来ることができましょう。……さはいえ、それをもって
宇内
(
うだい
)
のすべてが
革
(
あらた
)
まるとはいえないでしょう。
新書太閤記:06 第六分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
八百年来、その常識がさまたげて来たればこそ、
夙
(
つと
)
に、山門の腐敗堕落は嘆かれながら——何人もそれを
革
(
あらた
)
めることができずに今日へ来てしまったのだ。
新書太閤記:04 第四分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
こうして、御所の造営と共に、朝廷の経済も
革
(
あらた
)
まった。応仁以来の妖雲も、天の一角から明るくなった。天皇の
宸悦
(
しんえつ
)
あらせられたことはいうまでもない。
新書太閤記:03 第三分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
北宋は亡び、金の南宋となって、年号も建炎二年と
革
(
あらた
)
まったが、おたがいが
流亡
(
りゅうぼう
)
してからでも、考えてみろ、まだ一年と少しか経っていやしないじゃないか。
人間山水図巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
赤穂浪士の為した事は、自己の義を立つるにあるにせよ、今の
腐
(
す
)
えきった世態と人心に大きな反省を与えておる、
尠
(
すくな
)
くも、時勢の眼を
革
(
あらた
)
めさせておりまする。
新編忠臣蔵
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
その証拠には、お通は
日増
(
ひまし
)
に血色を
革
(
あらた
)
め、今では机に
倚
(
よ
)
って坐っていられるくらいにまでなっている。——一度はどうなるかと、城太郎すら心配したほどであった。
宮本武蔵:05 風の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
その
機
(
しお
)
に、対岸でも、布陣を
革
(
あらた
)
めているらしく、しきりに兵馬の移動がながめられたが、やがての事、前にもまして弓勢が、
河面
(
かわも
)
も
晦
(
くら
)
くなるばかり
箭
(
や
)
を射かけて来た。
源頼朝
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
……そしてかれらからつぶさに梁山泊の内状を話され、かつまた、泊中の人達の、烈々たる理想をかたり聞かされて、
真底
(
しんそこ
)
、自分の考え方も
革
(
あらた
)
められてしまったのです
新・水滸伝
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
“革(
皮革
)”の解説
皮革(ひかく)は、動物の皮膚を剥いだ「皮」と、皮から毛を除いて鞣して得られる「革」の総称である。毛皮は毛をつけたままなめしたもので、広義には皮革に含まれる。
人工的に作られた人造皮革(人工皮革と合成皮革)と区別するため、動物の皮膚をなめしたものを天然皮革(てんねんひかく)や本革(ほんがわ)ということもある。皮革の中でも元々生えていた体毛まで利用するものは毛皮 (Fur) という。
(出典:Wikipedia)
革
常用漢字
小6
部首:⾰
9画
“革”を含む語句
革鞄
革嚢
調革
革帯
革砥
帯革
金唐革
革鞭
皮革
黒革
革袋
革堂
吊革
赤革
革紐
鞣革
革包
革命
菖蒲革
改革
...