船宿ふなやど)” の例文
一人先に金清楼を出で小みつが教ゆる外神田そとかんだ佐久間町河岸の船宿ふなやど小松家といふに行き土蔵どぞうづくりの小座敷に女の来るを待ちたりけり。
桑中喜語 (新字旧仮名) / 永井荷風(著)
前借ぜんしゃくなどという事は計ってくれませんし、前借のできる勤め奉公では——お茶屋、湯女ゆな船宿ふなやど、その他、水商売など種々いろいろございますが
死んだ千鳥 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
しかし大阪に行けば中津の倉屋敷で賄の代を払う事にして、れも船宿ふなやど心能こころよく承知して呉れる。悪い事だが全く贋手紙の功徳でしょう。
福翁自伝:02 福翁自伝 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
神田川かんだがわの方に船宿ふなやどがあって、日取ひどり即ち約束の日には船頭が本所側の方に舟を持って来ているから、其処そこからその舟に乗って、そうして釣に出て行く。
幻談 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
南部の才浦さいうらと云ふところで、七日なぬかばかり風待かざまちをして居た内に、長八ちょうはちと云ふ若い男が、船宿ふなやど小宿こやどの娘と馴染なじんで、明日あす出帆しゅっぱん、と云ふ前の晩、手に手を取つて
印度更紗 (新字旧仮名) / 泉鏡花(著)
一月いちげつに保が山田脩の家から本所横網町よこあみちょうの鈴木きよ方の二階へうつった。鈴木は初め船宿ふなやどであったが、主人が死んでから、未亡人きよが席貸せきがしをすることになった。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
柳橋やなぎばし船宿ふなやど主翁ていしゅは、二階の梯子段はしごだんをあがりながら、他家よそのようであるがどうも我家うちらしいぞ、と思った。二階の方では、とん、とん、とん、と云う小鼓こつづみの音がしていた。
鼓の音 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
船宿ふなやどに帰ってみますと、デパートの宝石どろぼうが、アドバルーンにのって逃げたということが、わかりましたので、「さては、さっきのは、そのどろぼうだったのか。」
灰色の巨人 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
小網町こあみちょう船宿ふなやどでわかれたきり、その後、三日になるがようとして顎十郎の消息が知れない。
「これから柳橋へ行って船宿ふなやどを調べてみよう。案外の掘出し物があるかも知れねえ」
半七捕物帳:67 薄雲の碁盤 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
いろ/\理窟りくつをなが/\と二時ふたときばかりも言っていてそれから船頭に探させ、死骸を船にげてから不届ふとゞきな奴だといって船頭を斬ってお仕舞いなさい、それから帰りみち船宿ふなやどに寄って
六名と共に船にて帰郷のにつきしが、やが三番港さんばんみなとに到着するや、某地の有志家わが学校の生徒およびその父兄ら約数百名の出迎いありて、雑沓ざっとう言わんかたもなく、上陸して船宿ふなやどいたれば
妾の半生涯 (新字新仮名) / 福田英子(著)
河岸つづきで、河岸には「坊主蕎麦ぼうずそば」というのがあって、これは一流でした。主人は坊主で、つんぼのため「聾そば」で通っていた。その隣りが浅利屋という船宿ふなやど、此所を浅利屋河岸といった。
屋根船や船宿ふなやどを知つてゐる老人達は定めしこのモオタアボオトに苦々にがにがしい顔をすることであらう。僕は江戸趣味に随喜ずゐきする者ではない。従つて又モオタアボオトを無風流ぶふうりうと思ふ者ではない。
本所両国 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
船頭に頼んで船宿ふなやどぎかえしてもらった。
苦心の学友 (新字新仮名) / 佐々木邦(著)
時に鉄屋、乃公おれは是から下ノ関に行こうと思うが、実は下ノ関を知らぬ。貴様は諸方を歩くが下ノ関にしってる船宿ふなやどはないか。
福翁自伝:02 福翁自伝 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
南部なんぶ才浦さいうらところで、七日なぬかばかり風待かざまちをしてうちに、長八ちやうはちわかをとこが、船宿ふなやど小宿こやどむすめ馴染なじんで、明日あす出帆しゆつぱん、とまへばんつて
印度更紗 (旧字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
お千代が語る身の上ばなしをきくと、この女は中川の堤に沿うた西船堀在にしふなぼりざい船宿ふなやどの娘であった。
ひかげの花 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
「ことしは花火もお廃止だというじゃあねえか。どうも不景気だね。だんだんに世の中が悪くなるんだから仕方がねえ。それでもいつもの日と違うから、茶屋や船宿ふなやどはちっとは忙がしかろう」
半七捕物帳:19 お照の父 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
煙草たばこひながらくと、土地とちかずおほいぬが、くるま吠附ほえつれかゝるのを追拂おひはらふためださうである。駄菓子屋だぐわしや縁臺えんだいにも、船宿ふなやど軒下のきしたにも、蒲燒屋かばやきや土間どまにも成程なるほどたが。
城崎を憶ふ (旧字旧仮名) / 泉鏡花(著)
偐紫田舎源氏にせむらさきいなかげんじ』の版元はんもと通油町とおりあぶらちょう地本問屋じほんどんや鶴屋つるや主人あるじ喜右衛門きうえもんは先ほどから汐留しおどめ河岸通かしどおり行燈あんどうかけならべたある船宿ふなやどの二階に柳下亭種員りゅうかていたねかずと名乗った種彦たねひこ門下の若い戯作者げさくしゃと二人ぎり
散柳窓夕栄 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
船宿ふなやどは築地南小田原ちょうの三河屋で、屋根船の船頭は千太という者でした。
隅田川はいうに及ばず神田のお茶の水本所ほんじょ竪川たてかわを始め市中しちゅうの水流は、最早もはや現代のわれわれには昔の人が船宿ふなやど桟橋さんばしから猪牙船ちょきぶねに乗って山谷さんやに通い柳島やなぎしまに遊び深川ふかがわたわむれたような風流を許さず