)” の例文
すると、すぐ後ろの、源頼政みなもとのよりまさのある中山堂の丘に、白い尾花おばなを折り敷いて、にこにこ笑っている稚子髷ちごまげの顔が、ちらと見えた。
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
それですから、北上川のきしからこの高原の方へ行く旅人たびびとは、高原に近づくにしたがって、だんだんあちこちに雷神らいじんを見るようになります。
種山ヶ原 (新字新仮名) / 宮沢賢治(著)
私が丸い墓石はかいしだの細長い御影みかげだのを指して、しきりにかれこれいいたがるのを、始めのうちは黙って聞いていたが
こころ (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
生きているうちはそういうパッとした派手なことはやって貰いたくないというのが私の本音である。それに空想の人間のが出来てもしようがなかろうという気持もある。
平次と生きた二十七年 (新字新仮名) / 野村胡堂(著)
さてそれより塩竈しおがま神社にもうでて、もうこのつぼいしぶみ前を過ぎ、芭蕉ばしょうつじにつき、青葉の名城は日暮れたれば明日の見物となすべきつもりにて、知る人のもとに行きける。
突貫紀行 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
正面しやうめんにはもう多田院ただのゐん馬場先ばばさきの松並木まつなみきえだかさねて、ずうつとおくふかくつゞいてゐるのがえた。松並木まつなみき入口いりくちのところに、かはにして、殺生せつしやう禁斷きんだんつてゐた。
死刑 (旧字旧仮名) / 上司小剣(著)
またこのはかからとほくないところにその王樣おうさまのことをしるした自然石しぜんせきおほきなつてをります。
博物館 (旧字旧仮名) / 浜田青陵(著)
後人を建て之に銘するは其心もとより其の英名を不朽に傳へんとするにあり。
人生終に奈何 (旧字旧仮名) / 高山樗牛(著)
詩人啄木ので知られている函館の立待岬たてまちざきから、某夜あるよ二人の男女が投身した。男は山下忠助と云う海産問屋の公子わかだんなで、女はもと函館の花柳界かりゅうかいで知られていた水野よねと云う常磐津ときわずの師匠であった。
妖蛸 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
そして、同僚どうりょう達に、そのを建てた王の名と、その功業とを、やはり、低い声で説明した。同僚の諸将は、みな、へんな気持になって顔を見合せた。パリスカス自身もすこぶるへんな顔をしていた。
木乃伊 (新字新仮名) / 中島敦(著)
我も死してほとりせむ枯尾花かれおばな
郷愁の詩人 与謝蕪村 (新字新仮名) / 萩原朔太郎(著)
漢詩からうた
一握の砂 (新字旧仮名) / 石川啄木(著)
「ようござんすとも! 東岳大帝をおまつりしてある岳廟のを手がけるなんざ、彫師ほりし一代のほまれだ、腕ッこき、やりやしょう」
新・水滸伝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
この將軍塚しようぐんづかのあるところは鴨緑江おうりよつこうきたで、今日こんにちでは支那しな領地りようちとなつてゐます。高句麗こうくりは、そのこのきたほうからみやこ平壤へいじよううつしましたので、その古墳こふん平壤へいじよう西にしほうにたくさんあります。
博物館 (旧字旧仮名) / 浜田青陵(著)
「虔十公園林」とった青い橄欖岩かんらんがんが建ちました。
虔十公園林 (新字新仮名) / 宮沢賢治(著)
小屋の中には、切磨きりみがきしたおおきなの石が横たわっていた。刻文こくぶんのある碑面には薄紙が貼ってあるが、なおあざやかに隷書体れいしょたい
梅里先生行状記 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
小倉市手向山たむけやまの武蔵のは、すでに著名なものだが、巌流島にある巌流の墓は、ほとんど土地の人しか知っていないらしい。
随筆 宮本武蔵 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
すると、民家と向い合っている伽藍がらんの辻に、なんとか桜と、名所にでもありそうな桜の老木があって、その下の塚に、歌を刻んだが見える。
宮本武蔵:05 風の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「こいつ、ただいまご城下じょうかつじで、信玄しんげんのまえへ供物くもつをあげながら、徳川家とくがわけのことをあしざまにのろっておりました」
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
うけたまわれば長政どのには、はやお覚悟あって、生きながら御自身の葬儀まで執り行い、さきごろそのを、琵琶湖びわこへしずめて水葬式をすまされたよし。
新書太閤記:04 第四分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
と悲しんで、手ずから遺骸を祭り、黄河のほとりにつかを築いて、それに「忠烈ちゅうれつ沮君之墓そくんのはか」とにきざませた。
三国志:06 孔明の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
の左右にある二聯の文字の一方には“替天行道てんにかわってみちをおこなう”とあり、一方には“忠義双全ちゅうぎふたつながらまったし”と読めるのであります。
新・水滸伝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「おふた方には、この上の山や崖道を、終日ひねもす、お掃除なされていた御様子。どなたか、御縁をひくお方のでもあるのですか。それとも御遊山のつれづれにでも……?」
宮本武蔵:08 円明の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
古い歴史と、数々の物語は、しかしみな血なまぐさい過去のとして、秋草の根に残っている。
新書太閤記:03 第三分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
のみならず、孔明の死に会うや、蜀の百姓は、びょうを立て、を築き、彼の休んだあとも、彼の馬をつないだ木も、一木一石の縁、みな小祠しょうしとなって、土民の祭りは絶えなかった。
三国志:12 篇外余録 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
先生の宿志しゆくし、ここにおいてか足れり。すでにしてきやうかへり、即日、ところ瑞龍山ずゐりゆうざん先塋せんえいかたはらさうし、歴任れきにん衣冠魚帯いくわんぎよたいうづめ、すなはち封し載ちし、自ら題して、梅里先生ばいりせんせいはかふ。
梅里先生行状記 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
男が、もう丘の道を登っているので、後から、道標みちしるべの文字を読んでみると
宮本武蔵:06 空の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
彼は、赤い火にいぶされながら、なにげなく、の裏へ廻って、顔を寄せた。
新・水滸伝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
春山和尚しゅんざんおしょうとの交友があり、彼のために歿後のまで書いているが、これとて生前幾年の知己でもなかったし、その関係も、どの程度か、これについては別項の小倉紀行に書いておいた通りである。
随筆 宮本武蔵 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「お客様、ここにあるは、慈鎮じちん和尚というお方が書いたんですって」
宮本武蔵:05 風の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
この日を、想念に刻んで、心のまん中へ、として建てた。
源頼朝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
延喜えんぎ年間のというそこの多賀城碑によれば
私本太平記:10 風花帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)