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平壤
ことに
樂浪郡の
役所のあつたところは、
今日の
平壤の
南、
大同江の
向う
岸にあつて、
古い
城壁のあともありますが、
支那から
派遣せられた
役人がこゝに
留まつて
朝鮮を
治めてゐたのであります。
この
高句麗時代の
古墳は
平壤附近のほか
朝鮮の
北、
支那との
國境にもありまして、そこには
將軍塚などといふ
名のついてゐる、
石で
造つたエヂプトの
階段ぴらみっとのような
大きな
墓があります。
この
將軍塚や
碑のあるところは
鴨緑江の
北で、
今日では
支那の
領地となつてゐます。
高句麗は、その
後この
北の
方から
都を
平壤に
移しましたので、その
後の
古墳は
平壤の
西の
方にたくさんあります。