徒士かち)” の例文
第二、上等士族を給人きゅうにんと称し、下等士族を徒士かちまたは小役人こやくにんといい、給人以上と徒士以下とは何等なんらの事情あるも縁組えんぐみしたることなし。
旧藩情 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
何時いつの事なるやと有に多兵衞それは享保きやうほ二年の夏五月端午たんご式日しきじつ私し出入屋敷やしき嘉川主税之助樣親類中へれい廻勤くわいきん致され候故私し徒士かち
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
家康は次ぎのへ声をかけた。遠州えんしゅう横須賀よこすか徒士かちのものだった塙団右衛門直之はいつか天下に名を知られた物師ものしの一人に数えられていた。
古千屋 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
持った十四五人の野武士どもが城下へ踏込んで来た、いま追手先で徒士かち組の者がとり鎮めようとしているが、火繩のついた鉄砲を
山だち問答 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
お父様は藩の時徒士かちであったが、それでも土塀どべいめぐらした門構の家にだけは住んでおられた。門の前はおほりで、向うの岸はかみのお蔵である。
ヰタ・セクスアリス (新字新仮名) / 森鴎外(著)
徒士かち矢数やかず、馬上の射懸いかけ、騎兵群の乱取り、一騎駈け勝負など、調武あり試合あり、武者所の豪や、各家選抜の勇が、名を競うものだった。
私本太平記:02 婆娑羅帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「……なにか御祝儀でもありましたろう、おりあしく、榊原のお徒士かち衆が油単ゆたんをかけた釣台つりだいをかついで門から出てまいりまして……それで……」
顎十郎捕物帳:08 氷献上 (新字新仮名) / 久生十蘭(著)
維新の少し前、洋式調練が各藩に入った時、従来の徒士かち足軽では、人数が足らぬので、農兵と称して新たに村落の内から下級の卒を抱えた処があった。
家の話 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
六尺棒をトンと土について、こう言ったのは、この関所をあずかる柳生の役人の一人、津田玄蕃げんばというお徒士かち
丹下左膳:03 日光の巻 (新字新仮名) / 林不忘(著)
もつとも向うは側用人、此方は唯のお徒士かちと、千五百石と五十石といふ提灯と釣鐘つりがねほどの身分の違ひはあつた
すべて供𢌞りの徒士かちの者共風俗がさつに候、中間共も異風に取拵とりこしらへ候者共多相見えわけてがさつに有之候。
凡愚姐御考 (旧字旧仮名) / 長谷川時雨(著)
格之介の前に立ちはだかって、じっと空地の方を見ていた徒士かちの木村清八が、独言ひとりごとのようにいった。
乱世 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
下は徒士かち、足軽、勘定下組の衆にまでそれぞれ扇子なぞを配ったのを見ても、安永あんえい年代のころにはまだこの選挙が行なわれ、したがって競争も激しかったことがわかる。
夜明け前:03 第二部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
殿様のゐる頃には大小をたばさんだ侍が通つたり、騎馬の武士がひづめを鳴して勇しく渡つて行つたりしたもので、昔は徒士かちや足軽の子供などはそこに寄りつけもしなかつたものであつたが
花束 (新字旧仮名) / 田山花袋田山録弥(著)
止むを得ず戸田侯の徒士かちとなったり旗本邸を廻り歩いたり、突然医家を志し幕府の典医山本宗英やまもとそうえい薬籠やくろう持ちとなって見たり、そうかと思うと儒者を志願し亀田鵬斎ほうさいの門をくぐったり
戯作者 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
はじめ陸軍士官学校に入らむとして体格検査に合格せざりしかば、素志をひるがえして絵事かいじに従へるなり。そのはじめ武を以て身を立てんと欲せしはその家世〻征夷府に仕へて徒士かちたりしによれるもの
礫川徜徉記 (新字旧仮名) / 永井荷風(著)
身分こそ五両三人扶持の徒士かちにすぎなかったが、主家没落の際は、赤穂城から里余りよの煙硝蔵に出張していて、籠城ろうじょう殉死じゅんしの列にれたというので、それと聞くや、取る物も取りあえず城下へ駈けつけて
四十八人目 (新字新仮名) / 森田草平(著)
余吾源七郎はこのあいだに五百石の徒士かちがしらとなっていたが、まだ娶らず、黙々として目立たぬ奉公ぶりを続けていた。
青竹 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
どよめき立つまわりの駒や徒士かちを指揮して、峠の九合目をのぼりつめてしまった。そして番場ノ宿へ入るとすぐの一叢ひとむらの林のうちへ駈けこんだ。
私本太平記:08 新田帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
ぐずぐずになって、いまにもつぶれそうに身体を泳がしているのは薄あばたのあるお徒士かちか門番かというようすの男。酒をついでいるのが、藤波友衛。
徒士かち大臣たいしんに対しては、ただちにその名をいうを許さず、一様に旦那様だんなさまよびて、その交際はまさしく主僕の間のごとし。
旧藩情 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
出し新規しんきに抱へる者共には用人立花左仲たちばなさちう安間あんま平左衞門又中小姓には安井伊兵衞孕石はらみいし源兵衞其外徒士かち六人の者を
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
もと飫肥外浦おびそとうらの漁師であったが、物産学にくわしいため、わざわざ召し出されて徒士かちになった男である。
安井夫人 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
そのあくる日、お徒士かち組丹下左膳の名が、ゆえしれず出奔したかどをもって削られたのである。
丹下左膳:01 乾雲坤竜の巻 (新字新仮名) / 林不忘(著)
人を殺しし罪ほろぼしの外に言ひ難き懺悔の珠数をば繰らざりしにや。徒士かちの者奥の女中に文を送りしとて、徒士頭松平若狭守改易の罪に処せられきと伝ふれば、奥向の規律の厳正なりしを窺ふべし。
大久保湖州 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
「お袖の父親、今村要人かなめは、秋田淡路守の家中で、禄五十石、役はお徒士かち。性は温良で実篤。藩のたれかれにも、評判はよい人物のようでした」
大岡越前 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「ではこうお伝え下さい」と伴六は云った、「とうとう徒士かち組と衝突しました。場所は籠崎の大洲、時刻は六時です」
四日のあやめ (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
大名はまた自分の心をもって家老の身を制し、家老は自分の心をもって用人の身を制し、用人は徒士かちを制し、徒士は足軽を制し、足軽は百姓を制するならん。
学問のすすめ (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
仕つり神田明神下にて小川町の五千石取の太田彦十郎樣に出會であひしまゝ互ひに徒士かちの者双方の名前を呼上行違ゆきちがひ候節嘉川家の供頭が御駕籠かご引外ひきはづ狼狽うろたへ廻るを
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
馬廻うままわり以上は長上下なががみしも徒士かち半上下はんがみしもである。下々しもじもの者は御香奠ごこうでんを拝領する。
阿部一族 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
大小通詞つうじ、松浦家の諸役人、お徒士かちなど百二十人に附添われ、青銅の大臼砲二門、鉄製の象限儀しょうげんぎ四個、前車二、充弾、空弾、爆弾四〇個、小臼砲(これも実用にはならぬ古物だったが)一門、前車一
ひどい煙 (新字新仮名) / 久生十蘭(著)
騎馬、徒士かち、あわせて四十人ほどの主従は、この日、小諸こもろ附近から小県の国府(上田近傍)あたりまで、道を急いでいた。
平の将門 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
瀬沼庄右衛門せぬましょうえもんは藩の徒士かち目付で、勘兵衛とは盆栽の自慢敵である、——勘兵衛危くつり込まれそうになって慌てて空咳にまぎらした。直次郎は方面を変える。
嫁取り二代記 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
また今を去ること三十余年、かたばんとて非役ひやく徒士かちに城門の番を命じたることあり。
旧藩情 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
午後に重詰の菓子で茶を出す。果物が折々出る。便用には徒士かち二三人が縁側に出張る。手水ちょうず柄杓ひしゃくは徒士が取る。夜は不寝番ねずばんが附く。挨拶に来るものは縁板に頭を附ける。書物を貸して読ませる。
堺事件 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
旗本三、四十騎は、すぐ主人にならって、徒士かちとなり、また、後から後からここへ駈けつづいて来た者も、野へ馬をあずけて、みな軽身で川の水際に立った。
新書太閤記:10 第十分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
宗家などというと、ごたいそうであるが、お徒士かちから出た八百石の旗本で、当主になってから、うまく柳沢系にとりいって、現在は千二百石の大御番を勤めている。
山彦乙女 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
徒士かちや小者は、勿論、落伍してしまった。騎馬の家臣ばかりが信長の前後を約二十騎ほど包みながら、一陣の旋風つむじが移って行くように、丹下村へはいった。
新書太閤記:02 第二分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
前の年の暮に彼は婿の話しが定った、先方は江戸邸の者で、五石三人扶持ぶちくらいの徒士かちだという。
つばくろ (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
と、待つ間もなく、人魂のような灯りを振り照らしてタッタと急いで来た黒漆こくしつ塗駕ぬりかご、前後に四、五名徒士かちがついて、一散に羅漢堂の前を走り抜けようとした。
剣難女難 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
徒士かち二十人ばかりが横列になり、先頭に抜刀をふりかざした若武者が指揮していた。かれらは黙っていた、みんな槍をぴたりと脇につけ、足並をそろえて犇々ひしひしと進んでいった。
石ころ (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
調書に依れば、そちの両親は、小石川水道端の秋田淡路守どののお長屋に住み、徒士かちを勤め、禄五十石。
大岡越前 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
こんな所へ来る侍はたいてい足軽か精ぜいお徒士かちきまったものだが、その客は着ている物も立派だしずばぬけた美男で、おまけに恐ろしく金放れがいい。年は二十四五だろう。
若殿女難記 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
バラバラと玄蕃を取り囲んだ徒士かち侍が、否応なく折重なって、両の利腕ききうでをグッと抑えとってしまった。
剣難女難 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
友達の家は徒士かちにすぎなかったが、二人は兄弟よりも親しかったといってもいいでしょう、さよう、——いちどこんなことがありました、たしか十一か二のときだったでしょう
橋の下 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
「なんの、どれが知盛様やら、重衡様やら、分るものではない。四、五百ほどの人数が、ごっちゃになって、馬も徒士かちも、押しあい、揉みあい、われ勝ちにな——」
源頼朝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
東から、この関所の木戸へ向って、騎馬一人、徒士かち七人ばかりの、侍たちが近づいて来た。その先頭は、すでに木戸にかかっている、そして、馬上にいるのは、菱屋庄兵衛であった。
山彦乙女 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
だが放鷹ほうようが目的ではない。君臣十騎ばかり徒士かち一隊をつれて、一日、山野を駈けあるいた。
新書太閤記:04 第四分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
喜十郎は三百二十石で、徒士かち組総支配を勤めている、代二郎は右京亮に云った。
初夜 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
三間柄の長い朱槍しゅやり約四百、徒士かちの郎党、足軽組の者、およそ、三百人あまりと数えられた。
新書太閤記:01 第一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)