“まも”のいろいろな漢字の書き方と例文
カタカナ:マモ
語句割合
46.7%
28.6%
7.6%
目守4.5%
3.1%
1.7%
守護1.4%
見守1.1%
0.8%
目戍0.6%
0.6%
護衛0.6%
熟視0.3%
0.3%
0.3%
0.3%
目安0.3%
看視0.3%
諦視0.3%
0.3%
0.3%
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
七、日軍肉迫すモンテ・カルロの堅塁けんるい。金鍍金めっきとルネッサンス式の唐草と、火・風・水・土の四人に神々にまもられた華麗けばけばしき賭博室サル・ド・ジュウ
むまつのなく鹿しかたてがみなくいぬにやんいてじやれずねこはワンとえてまもらず、しかれどもおのづかむまなり鹿しかなりいぬなりねこなるをさまたけず。
為文学者経 (新字旧仮名) / 内田魯庵三文字屋金平(著)
何も悪意あつて排斥するでは無いが、学校の統一といふ上から言ふと、これた止むを得ん——斯う校長は身のまもりかたを考へたので。
破戒 (新字旧仮名) / 島崎藤村(著)
我わがあたりをみれば、わが動く處、わが向ふ處、わが目守まもる處すべてあらたなる苛責あらたなる苛責を受くる者ならぬはなし 四—六
神曲:01 地獄 (旧字旧仮名) / アリギエリ・ダンテ(著)
帰り来たれば頭白うしてまた辺をまもる。辺庭流血海水を成す。武皇辺を開いて意いまだまず。君見ずや漢家山東の二百州、千村万落荊杞けいきを生ずるを。
将来の日本:04 将来の日本 (新字新仮名) / 徳富蘇峰(著)
だから、教へぬに日月を語ることは、極めて聡い人の事として居た頃である。愈魂をとり戻されたのかなと、まもり乍らはら/\して居る乳母であつた。
死者の書:――初稿版―― (新字旧仮名) / 折口信夫(著)
だってじいさん、そうじゃあねえか、俺らは御岳みたけの氏子だよ。それ神様というものは、氏子を守護まもるがお義務つとめだ。ところが話は反対ぎゃくじゃあねえか。干乾しにしようって云うのだからな
任侠二刀流 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
后は王の寵愛を受くる時、常に其石像を見守まもりし由に候。
まもる者なくては叶はずと云ながらの友次郎が脇指わきざしをお花に渡し此脇指を肌身はだみはなさず何事も相談して怪我けがなき樣に暮すべしと懷中くわいちうより二包ふたつゝみの金子と藥の入し印籠いんろう
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
わがたま君がたまのみ目戍まもるときか。
独絃哀歌 (旧字旧仮名) / 蒲原有明(著)
そして、其麽そんな所から此人はまあ、どうして此處まで來たのだらうと、源助さんの得意氣な顏を打まもつたのだ。それから源助さんは、東京は男にや職業が一寸見附り惡いけれど、女なら幾何いくらでも口がある。
天鵞絨 (旧字旧仮名) / 石川啄木(著)
盗賊かせぎには持って来いの処だったのですが、しかし、何よりもタッタ一つ、一番恐ろしい番犬がこの柳仙の家をガッチリと護衛まもっている事が、最初から判明わかっているのでした。
二重心臓 (新字新仮名) / 夢野久作(著)
『省吾さん。』と丑松は少年の横顔を熟視まもり乍ら、『君はねえ、家眷うちの人の中で誰が一番好きなんですか——父さんですか、母さんですか。』
破戒 (新字旧仮名) / 島崎藤村(著)
すゞしい、とはいへ涙にれたひとみをあげて、丑松の顔を熟視まもつたは、お志保。仮令たとひ口唇くちびるにいかなる言葉があつても、其時の互の情緒こゝろもちを表すことは出来なかつたであらう。
破戒 (新字旧仮名) / 島崎藤村(著)
吾は如何いかにしてここに逢へる! 貫一はその胸の夢むるひまうつつともなく彼をまもれり。
金色夜叉 (新字旧仮名) / 尾崎紅葉(著)
別人と見るまでに彼の浅ましくやつれたるおもてまもりて、譲介は涙の落つるを覚えず。
金色夜叉 (新字旧仮名) / 尾崎紅葉(著)
凡そ情熱のあるところには必らずまもるところあり、故に大なる詩人には必らず一種の信仰あり、必らず一種の宗教あり、必らず一種の神学あり、ホーマーに於て希臘ギリシヤ古神の精を見る
情熱 (新字旧仮名) / 北村透谷(著)
たとい造仏の完成は後年であろうとも、天武天皇の信仰は、持統、文武もんむ、元明の三朝を通して、語り継ぎ言い継ぎまもられて行ったに相違ないと思う。
大和古寺風物誌 (新字新仮名) / 亀井勝一郎(著)
信心深き魂の一むれ、もだしつゝ、我等よりもはやく歩みて後方うしろより來り、過ぎ行かんとして我等を目安まもれり 一九—二一
神曲:02 浄火 (旧字旧仮名) / アリギエリ・ダンテ(著)
「うむ、かつをがするので皆な外の者共ア看視まもつて居る。俺等も行かんならんのやれど、誰も人が居らいで、今誰かに頼まうと思うて来たのやが。」
厄年 (新字旧仮名) / 加能作次郎(著)
とおきやうものさしつゑ振返ふりかへりて吉三きちざうかほ諦視まもりぬ。
わかれ道 (旧字旧仮名) / 樋口一葉(著)
大人は自分の見栄みえや骨惜しみのために子供を犠牲にしています。大人は、ことに母親は、子供を危険からまもり、子供の天分てんぶんをのばしてやるのがその職分です。
静かに休んでゐる時には、それは見えない。胃袋の中にはいつてゐる鞘の中に隠してあるのだ。自分をまもる時には、その鞘から引き出して、その尖を、無遠慮な指に突つ込むのだ。