てん)” の例文
そして、すらりとした華奢きゃしゃな体を、揺り椅子いすに横たえて、足へはかかとの高い木沓きぐつをうがち、首から下を、深々とした黒てん外套がいとうが覆うていた。
紅毛傾城 (新字新仮名) / 小栗虫太郎(著)
一寸法師は、王様の白てんの寝衣の肩へ飛び乗った。そして、真黒な穴へ、何か囁くのを聞いているうちに、王様の顔は、だんだん晴々として来た。
地は饒なり (新字新仮名) / 宮本百合子(著)
元気のいゝ子路は紫のてんの裘を飜して、一行の先頭に進んだ。考深い眼つきをした顔淵、篤実らしい風采の曾参が、麻の履を穿いて其の後に続いた。
谷崎潤一郎氏の作品 (新字旧仮名) / 永井荷風(著)
木曾街道で有名な、ももんじだなである。隣から隣へつづいて半丁ばかりの両側は、みな、大熊、熊のてんの皮、などという看板をかけた店ばかり。
鳴門秘帖:03 木曾の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
博物学者によるとてんと家猫の交合によっていろいろなあいができているそうだから。わたしが猫を飼うのだったら正にこういう猫を飼うべきだろう。
年長ねんちやうの婦人は、てんの皮でふちをとつた高價な天鵞絨びろうどのショールに包まれ、フランス風な捲毛の附け前髮をつけてゐた。
そう云ってそれを置いて行ったが、衣筥の中から出たものは、立派なてんかわごろもで、昔の人のきしめた香の匂が、今もなつかしくかおっているのであった。
少将滋幹の母 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
ある時も栖鳳氏は荒野にてんを配合した絵をきあげた。そして出来上ると、いつものやうに豆千代を振かへつてみた。
洋装の女は、年齢としのころ、二十二、三であろうか。断髪をして、ドレスの上には、贅沢なてんの毛皮のコートを着ていた。すこぶる歯切れのいい東京弁だった。
蠅男 (新字新仮名) / 海野十三(著)
「それも外套によりけりでしてな。もし襟にてんの毛皮でもつけ、頭巾を絹裏にでもして御覧ごろうじろ、すぐにもう、二百ルーブルにはなってしまいますからなあ。」
外套 (新字新仮名) / ニコライ・ゴーゴリ(著)
おそらくはてんであろうと判断されたが、それほどの大きい貂は滅多めったにあるものではないというので、所詮は得体えたいのわからない一種の怪獣と見なされてしまった。
半七捕物帳:43 柳原堤の女 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
古寺に老いたるてんが住んで人を驚かせし例は、先年の『新潟東北日報』の雑報にても読んだことがある。
おばけの正体 (新字新仮名) / 井上円了(著)
と、ひどく礼を言った後で、きれいな着物一かさねてんぼうしと履物を添えてくれ、孔生が手足を洗い髪に櫛を入れて着更えをするのを待って、酒を出してめしをすすめた。
嬌娜 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
てんの皮でふちを取った広いそでからは、光りも透き通るほどのあけぼのの女神の指のような、まったく理想的に透明な、限りなく優しい貴族風の手を出していました。
てん露西亜ロシア帽を耳深に冠った、花恥かしいカルロ・ナイン殿下であったが、急いで歩かれたせいか真赤に上気しておられるのが、又なく美しく、あどけなく見えた。
暗黒公使 (新字新仮名) / 夢野久作(著)
一軒の倒れかかったてんとり小屋があったので、そこへ泊った。その晩徹夜してイラクサの枯茎の皮をむいた。皮をむきながらいろいろ語りあった。一人の娘は恋ざんげをした。
えぞおばけ列伝 (新字新仮名) / 作者不詳(著)
彼は伝票を見て、帳簿のページをめくる、「バンサン・アレ、——と、黒てんのケープ、七、次にミンクのケープ五、五、と、それから銀狐のケープ一ダズン、三、一ダズンと三」
超過勤務 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
こうしておくと兎の大敵てん等に足跡を伝われても安全だということだ。夕方から気温が下り雲が動き出して天候快復の兆が見えてきた。明日の準備をして早くから床へもぐり込む。
単独行 (新字新仮名) / 加藤文太郎(著)
てんのように黒い眉と、まつげの長い灰色がかった空色の美しい眼とは、どんなに雑踏した人なかを散歩している気のないぼんやりした男でも、その顔を見ては、思わず立ち止まって
そこで工夫をして、他所よそから頂戴してたくわえているひょうの皮を釣って置く。と枇杷びわの宿にいすくまって、裏屋根へ来るのさえ、おっかなびっくり、(坊主びっくりてんの皮)だから面白い。
二、三羽――十二、三羽 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
大きさいたちほどもあり、足の指には水掻みずかきがあったともいうのは、一部は浜の者が打ち殺しもしたからかと思うが、後にはてんのごときけものが現われて、追々にこれを退治し尽したというのは
海上の道 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
てんのやうな女の光つた眼が、酒の酔ひで、昔のエールを発散しはじめてゐる。
浮雲 (新字旧仮名) / 林芙美子(著)
婦人は素敵な美人であつたけれど、それよりも私等仲間の注目をいたのは、西欧の王さまたちが即位のとき身に飾る黒てんの毛皮に、白金の糸を織り込んだやうな銀狐の皮であつたのである。
たぬき汁 (新字旧仮名) / 佐藤垢石(著)
なるほど、はなしいたとおり、夜中よなかになると、なんにんとなくあお着物きもの赤鬼あかおにや、あか着物きもの黒鬼くろおにが、てんの目のようにきらきらひかかりをつけて、がやがやいいながらてきました。
瘤とり (新字新仮名) / 楠山正雄(著)
高価な毛皮で縁どった天鵞絨びろうどの服や、レエスの着物や、刺繍のある衣服や、駝鳥だちょうの羽根で飾った帽子——てんの皮の外套がいとう、それから小さな手袋、手巾ハンケチ、絹の靴下——帳場の後方うしろに坐っていた婦人達は
火口壁の聳えたところに、折り目がいくつか出来ている、そうして近頃の新火口らしい円い輪形から、てんの毛のような、褐色なっさりとした烟が、太く立ち上って、頂上から少し上の空を這って
谷より峰へ峰より谷へ (新字新仮名) / 小島烏水(著)
八年前の十一月初めて奈良に来たゆうべ、三景楼の二階から紺青こんじょうにけぶる春日山に隣りして、てんの皮もて包んだ様な暖かい色の円満ふっくらとした嫩草山の美しい姿を見た時、余の心は如何様どんなおどったであろう。
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)
てんならむ我が冷えわぶる後夜ごやにして鼠ひた追ふ音駈けめぐる
黒檜 (新字旧仮名) / 北原白秋(著)
彼女は、てんで高い襟のついた剣術着フェンシング・ケミセットのような黄色い短衣ジャケットの上に、天鵞絨びろうど袖無外套クロークを羽織っていて、右手に盲目のオリオンとオリヴァレス伯
黒死館殺人事件 (新字新仮名) / 小栗虫太郎(著)
てんは戸口の前の沼池からしのび出て岸の蛙をつかまえる。ハマスゲはあちこち飛びかわす食米鳥の重みでたわむ。
あるところは、右にもたき、左にも滝、そして、渓流のとろちたおれている腐木ふぼくの上を、てんや、むささびや、りすなどが、山葡萄やまぶどうをあらそっているのをひるでも見る。
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
古寺や古屋に妖怪沙汰ざたあるは、てんいたちの古びたるものが住み、夜中恐ろしき響きを伝え、あるいは暗き所に光りたる目を見せたりするのを見聞し、これに神経が加わり想像が手伝い
おばけの正体 (新字新仮名) / 井上円了(著)
途中、日が暮れたのでてんとり小屋に泊った。真夜中に弟は何かの声で目がさめた。
えぞおばけ列伝 (新字新仮名) / 作者不詳(著)
少年はふくろを解いて、見ごとな毛裘けごろもをとり出した。それはてんの皮で作られたもので、金や珠の頸かざりが燦然さんぜんとして輝いているのを見れば、捨て売りにしても価い万金という代物しろものである。
壁うらに食はるる鼠声啼けり飽くなきてんもはたや寒かる
黒檜 (新字旧仮名) / 北原白秋(著)
名妓とてん3・9
そこにはまた、蛙や亀の清らかな種族があり、貽貝いがいも少々ある。ジャコウネズミやてんは池のほとりに跡をのこし、時には旅の泥亀もおとずれることがある。
「どうもおあいにく様で。それにいくら木曾の山中でも黒毛のてんなどはめったに捕れません」
鳴門秘帖:03 木曾の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
その、乳を流した鏡のような世界の中では、あの二つの複雑な色彩、秘密っぽい黒てん外套がいとうも、燃えるような緑髪も、きらびやかな太夫着だゆうぎの朱と黄金を、ただただ静かな哀傷としてながめられた。
紅毛傾城 (新字新仮名) / 小栗虫太郎(著)
冬夜さり鼠のごふも果てけらしてんまなこじきに和むか
黒檜 (新字旧仮名) / 北原白秋(著)
朝きげんのいい栗鼠りす、はしゃぎ者のむささび、雨ぎらいのてん、などがりながらえさをあさりに出だした。そこらに山葡萄やまぶどうくさるほどなっている。くりはいたるところにれている。
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「てのひらだよ、黒いてんの」
鳴門秘帖:03 木曾の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)