為方しかた)” の例文
旧字:爲方
九月朔日ついたちの朝は、南風みなみ真当面まともに吹きつけて、縁側の硝子ガラス戸を閉めると蒸暑く、あけると部屋の中のものが舞上って為方しかたがなかった。
九月一日 (新字新仮名) / 水上滝太郎(著)
それを温和に過ぐる性質の安はいさめようともしないので、五百は姉を訪うてこの様子を見る度にもどかしく思ったが為方しかたがなかった。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
成らうことなら、批評も聞かず、批評もせずにゐたいものだが、何うもそれではこの世の中が成り立つて行かないから為方しかたがない。
批評 (新字旧仮名) / 田山花袋田山録弥(著)
だけども、徴兵で為方しかたがなしになった軍人よ。月給を貰って妻子を養ってる、軍人とは違うんでしょう。貴方は家の相続人ですわ。
昇降場 (新字新仮名) / 広津柳浪(著)
店の主人は子供に物を言って聞かせるように、引金や、弾丸を込める所や、筒や、照尺をいちいち見せて、射撃の為方しかたを教えた。
女の決闘 (新字新仮名) / 太宰治(著)
店の主人は子供に物を言って聞かせるように、引金や、弾丸を込める所や、筒や、照尺を一々見せて、射撃の為方しかたを教えた。
かれは為方しかたなしに舟をもと来た水脈の上にしずかに戻した。かれの顔容は寂しいゆがみをもちながら、目は桃花村の方にそそがれていたのである。
みずうみ (新字新仮名) / 室生犀星(著)
上官は為方しかたがないので、規則上の責任者に罪を帰した。それは組長とその助手とであつた。二人共その日の内に調べられた。
朝早く彼をたづねようと思つたが、宿はどこも一杯で、それに一人旅だと聞いて素気なく断わられたので、為方しかたなしいきなり訪ねることにした。
或売笑婦の話 (新字旧仮名) / 徳田秋声(著)
昨日もお見舞にお出で下すつたお方に変な事を申掛けまして、何も病気の事で為方しかたもございませんけれど、私弱りきりましたのでございます。
金色夜叉 (新字旧仮名) / 尾崎紅葉(著)
六月みなつきつちさへけて照る日にも吾が袖めや君に逢はずして」(巻十・一九九五)等は、同じような発想の為方しかたの歌として味うことが出来る。
万葉秀歌 (新字新仮名) / 斎藤茂吉(著)
だが、世の中を知らない二人だけでは、すべてのことがいよいよ思うにまかせなくなって来ることは為方しかたがなかった。
曠野 (新字新仮名) / 堀辰雄(著)
穿鑿といえど為方しかたに両様あり。一は智識を以て理会する学問上の穿鑿、一は感情を以て感得する美術上の穿鑿是なり。
小説総論 (新字新仮名) / 二葉亭四迷(著)
去年秋銃猟の途次みちすがら、渋茶を呑みに立寄って以来、婆や、うちは窮屈で為方しかたがねえ、と言っては、夜昼くつろぎに来るので、里の乳母のように心安くなった。
黒百合 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
物を言ったって聞えないほどやかましい馬車の中では、黙っているより外為方しかたが無いと云うことになりますからね。
辻馬車 (新字新仮名) / フェレンツ・モルナール(著)
これは神ばかりでなく、人も行うた為方しかたであった。どこから来るとも名のらず、ひどいのになると、顔や姿さへ暗闇まぎれに一度も見せないのがある。
最古日本の女性生活の根柢 (新字新仮名) / 折口信夫(著)
「そんならどこかそこらへ腰を掛け給へ。なんにもないなら、為方しかたがないから、地の上にでも坐り給へ。そしてこつちの云ふ事を注意して聞き給へ。」
為方しかたがないからそのおでかい奴を、どしこと拾って帰った。明日喰べる積りである。人の話によると不味まずい相である、するめを喰べるようだ相である。
でも御覧のやうな目に逢ひましたのですから、為方しかたがございません。実は町から橇に乗つて遊山に出ましたの。
「君はひどいよ。手紙なんというものは書かない流義と見えるね。まあ、為方しかたがない。さあ、出て来たまえよ。」
みれん (新字新仮名) / アルツール・シュニッツレル(著)
……もう為方しかたがないから、では此処で腹を切ってくれ、私が介錯かいしゃくするからと云うと、それでは、近藤殿から、斬れと云われたお前の役目が立つまいと云うのだ。
甲州鎮撫隊 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
僕は別段君に注意してゐたわけでもないが、どうもこの頃物を観察するのが癖になつてゐるもんだから為方しかたがない。そこで見てゐると、君は下を向いて歩いてゐる。
『何と申して可いか……ナンですけれども、お決めになつてあるのだば為方しかたがない訳でごあんす。』
足跡 (新字旧仮名) / 石川啄木(著)
自分なども自画像を描く度にまだだなあと思う。顔の事を考えると神様の前へ立つようで恐ろしくもあり又一切自分を投出してしまうより為方しかたのない心安さも感じられる。
(新字新仮名) / 高村光太郎(著)
まアまアなにしろみなしに雪がつては為方しかたがない、此家檐下のきした拝借はいしやくしようか……エーう日がれたからな、一倍いちばい北風きたかぜが身にむやうだ、ばうは寒くはないか。
かかや、自分の子なら、為方しかたもないが、ほんの床几しょうぎに休んだ旅の者でな、災難でござりますわ」
宮本武蔵:02 地の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
興哥は女がなすがままになるより他に為方しかたがなかった。彼は女のことばのままに次の室へ往った。
金鳳釵記 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
何という素晴しい日曜日を兵隊は見つけたものであろう!——兵隊は街へ活動写真を見に行く小遣銭を持っていなかったので、為方しかたがなく初めてこの原っぱへ来てみたのだった。
兵隊の死 (新字新仮名) / 渡辺温(著)
子供は為方しかたなしに、泣く泣く空から下がっている綱を猿のように登り始めました。子供の姿は段々高くなると一緒に段々小さくなりました。とうとう雲の中に隠れてしまいました。
梨の実 (新字新仮名) / 小山内薫(著)
為方しかたがないから借金だけ払つてやらうかと、おつしやつていらつしやいました。」
二黒の巳 (新字旧仮名) / 平出修(著)
余計な事を訊きやがると思つたが、為方しかたがない。「日本から。」と簡単に答へた。
幼少の思ひ出 (新字旧仮名) / 正宗白鳥(著)
こういう酩酊めいてい為方しかたいなあ、と思いかけていましたが、便所に立ったとらさんが帰って来て、「オイ表に出てみろよ、大変な貼出はりだしが出ているぜ、ハッハッハ」と豪傑ごうけつ笑いをするので
オリンポスの果実 (新字新仮名) / 田中英光(著)
あの人はこうなれば為方しかたがないという風でキスをする。その時のお前さんの様子ってなかったわ。まあ、度を失ったというような風ね。それがその時はわたしには気が付かなかったのだわ。
為方しかたがないさ、まアゆつくり探す事です。」と湯村は鷹揚に云つた。
茗荷畠 (新字旧仮名) / 真山青果(著)
自分のために面白い事が出来なければ為方しかたがないじゃないか。
力を添えて下さるのだから、いつも浄い為方しかたで、11920
主人が幾ら厭な顔をしても為方しかたがないのである。
薔薇 (新字旧仮名) / グスターフ・ウィード(著)
為方しかたなくなくあなへとげる。
とんぼの眼玉 (新字旧仮名) / 北原白秋(著)
その頃は申告の為方しかたなんぞはまっていなかったが、かどあって上官にえっする時というので、着任の挨拶は正装ですることになっていた。
(新字新仮名) / 森鴎外(著)
そんなことを気にして見たとて為方しかたがないとも思つたけれども、しかもかれは磯から磯へ、松原から松原へと行つて見ずにはゐられなかつた。
波の音 (新字旧仮名) / 田山花袋田山録弥(著)
この貧しげな在所から入って来ると、着いた当時はのろくさくて為方しかたのなかった寂しい町のさまが、可也にぎやかで、豊かなもののように見えて来た。
あらくれ (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
実はこんな土地へ、運命の手にもてあそばれて来たものは、補助でも受けなくては、飢ゑ凍えて死ぬるか、盗賊になるかより外に為方しかたがないのである。
「その縁の尽きないのが、究竟つまり彼我ふたりの身の窮迫つまりなのだ。おれもかう云ふ事に成らうとは思はなかつたが、成程、悪縁と云ふ者は為方しかたの無いものだ」
金色夜叉 (新字旧仮名) / 尾崎紅葉(著)
それでも為方しかたがないからまた言葉ことばをかけたがすこしもつうぜず、ばたりといふとわづかくび位置ゐちをかへて今度こんどひだりかたまくらにした、くちいてることもとごとし。
高野聖 (新字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
「子供って為方しかたのないものですねえ。あたしがそれは渋柿だから、取ったって喰べられやしないって云ったんですけれど、がりがりかじって見せたりして。」
果樹 (新字新仮名) / 水上滝太郎(著)
とうとうあきらめて、自然にとり沙汰の消えるのを待つより為方しかたがない、と思うようになったと言う。
死者の書 (新字新仮名) / 折口信夫(著)
こんなに胸が燃えて苦しくて為方しかたないのは、あの春の大野を焼く人達が焼き足りないで、私の心までもこんなに焼くのか知らん、というので、譬喩的にいったから
万葉秀歌 (新字新仮名) / 斎藤茂吉(著)
河を隔てゝ向河岸むかうがしにゐる百姓と話をする百姓の真似をする物真似である。その為方しかたは隣の室に隠れて、口の前に布団をあてゝ、精一ぱい大声を出して饒舌しやべるのである。
どうも為方しかたがないからお前がそういう考えに慣れてくれるより外はないよ。死ぬるといえば変なようだが、一年立てば別れるのだと思えば、それまでの事ではないか。
みれん (新字新仮名) / アルツール・シュニッツレル(著)
「とう/\わたしが賭に負けましたね。どうも為方しかたがありません。どつちの方にお掛けですか。」