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眼にも見えないその怪異に取りかれたものは、最初に一種の瘧疾おこりにかかったように、時々にひどい悪寒さむけがして苦しみ悩むのである。
半七捕物帳:30 あま酒売 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
お小姓は静かに立上って庫裡くりの方に退くと、死ぬほど恥ずかしがったお由利は、かれたもののように起って、その後を追うのです。
銭形平次捕物控:239 群盗 (新字新仮名) / 野村胡堂(著)
「京師方の娘! 私の許婚いいなずけ!」——するとお粂は狂人のように、胸の前で両手を叩き合わせたが、かれた女のように口説き出した。
娘煙術師 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
画家の山中はものにかれたように身動きもしなかった。その時ふと私は、老いた花子の顔の孤独のしわを伝う幾条かの銀色の涙を見た。
バルザックの寝巻姿 (新字新仮名) / 吉行エイスケ(著)
「あとの者どもはあれらに勝手にさせたらいいだろう。おれ一人に取りいた宿命でおまえはもう沢山だろうからいいかげんに止せ。」
しゃりこうべ (新字新仮名) / 室生犀星(著)
成経は成経で、妖怪もののけかれたような、きょとんとした目付きで、晴れた大空を、あてどもなく見ながら、溜息ばかりついている。
俊寛 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
何たるカラクリ、又、狡猾さであろうか。我々はこの歴史的カラクリにかれ、そして、人間の、人性の、正しい姿を失ったのである。
続堕落論 (新字新仮名) / 坂口安吾(著)
双眼鏡のレンズのせいか、岩肌の陰影がどぎつく浮き、非情の強さで私の眼を圧迫した。かれたように私はそれに見入っていた。
桜島 (新字新仮名) / 梅崎春生(著)
お高は不思議なものにかれたような気がして、このおせい様の前に、自分がすでに磯五の妻であるとはどうしてもいえなかった。
巷説享保図絵 (新字新仮名) / 林不忘(著)
一心不乱に経文を読誦とくしょうしながら、絶え間なく伏せがねたたきつづけ、誰が言葉をかけても、きものがしたように振り向きもしなかった。
暗黒星 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
光子のやつはね、なにかきものでもしているような、へんにきみのわるいところがあるんですよ、たとえばあいつは決して大きな声を
季節のない街 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
帆村珠偵は、何かにかれた人のように血相かえて立ち上ると、それを心配して引きとめる糸子の手をふりはらって、外へとびだした。
蠅男 (新字新仮名) / 海野十三(著)
化物ばけもの屋敷へ探険に行つたり悪霊あくりやうかれたのをなほしてやつたりする、それを一々書き並べたのが一篇の結構になつてゐるわけです。
近頃の幽霊 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
吉本! きみこそ偽映鏡に取りかれているんじゃないか? さっきから偽映鏡の話ばかりしているじゃないか? それに、最初に発作を
街頭の偽映鏡 (新字新仮名) / 佐左木俊郎(著)
重態なようでしかも今日まで死なずにいることのできた人には、何かがきっといていてわざわいをしているものらしく思われます。
源氏物語:55 手習 (新字新仮名) / 紫式部(著)
わがくにで狐や狸にかれたという者が、その獣らしい挙動をして、傍の者を信ぜしめるのと、最もよく似た精神病の兆候である。
山の人生 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
「おらにくでねえぞ、悪魔!」さう、助役は戸の隙間に口をあてて言つた。「もし、その場から動かなかつたら、戸を開けてやらう。」
これ、狐きにあらずして酒憑きというべきものである。ずいぶん世間には、狐の人をだますにあらずして、酒の人をだますことが多い。
おばけの正体 (新字新仮名) / 井上円了(著)
これを見詰めて、禰宜と、仕丁と、もろともに、のりかれ、声を上ぐ。——「のりつけほう。——のりつけほうほう、ほう。」
多神教 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
もう長いあいだ二十年も三十年もの前から慢性の神経衰弱にかれていて、外へ出ても、街の雑音が地獄の底から来るようにものうく聞こえ
仮装人物 (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
かのヘルモン山麓さんろくの悪鬼にかれた子供の父親のごとく、「我信ず、信仰なき我を助け給え」と即時に叫ぶことにあります(九の二四)。
石神の話はこの国の秘密の話で、これを聞いた者は、その話しの中に居る悪魔に取りかれると、昔から申し伝えて御座います。
白髪小僧 (新字新仮名) / 夢野久作杉山萠円(著)
主従十数騎は、狐にままれたように、彼方此方迷い歩いた。どうしても、乱石の八陣から出られなくなってしまったのである。
三国志:10 出師の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
夏の頃、彼は窓の下にへちまの種をいて、痩土やせつちに生長して行く植物の姿を、つくづくと、まるでかれたように眺めていた。
冬日記 (新字新仮名) / 原民喜(著)
すでに夜も深更に及んでいたが、正造は一刻も猶予がならぬと、かれた人のような一轍をみせて、ただちに現地へ発足した。
渡良瀬川 (新字新仮名) / 大鹿卓(著)
京子がひょっとして或る病的妄想にとらわれ出すと、加奈子の生活はまるできものにでもまとわれたように暗い陰を曳き始める。
春:――二つの連作―― (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
美術史の合間に、大チャンはかれたようによくこんな話をした。私は、自分が彼の言葉を理解できていたという自信はない。
軍国歌謡集 (新字新仮名) / 山川方夫(著)
しかし、主はそれを見せびらかしておいて、「もし、これが欲しかったら、その前に、誰それに、とりいて来い」と命じる。
花と龍 (新字新仮名) / 火野葦平(著)
不意に視野に入れた刹那せつな、私は急に何か自分にいていたものからめたような気持で、その建物の中で多数の病人達に取り囲まれながら
風立ちぬ (新字新仮名) / 堀辰雄(著)
もう消え消えな燈芯の灯の中に浮きだしている次郎吉の額へは、可哀かあいや物の怪にでもかれたかのようにベットリ脂汗が滲みだしてきていた。
小説 円朝 (新字新仮名) / 正岡容(著)
人に狐をけるなどという事が一般に信ぜられていたに乗じて、他の者から仕組まれてせられた冤罪えんざいだったかも知れない。
魔法修行者 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
『おまえはあいつに生き写しだな、あのかれた女に』彼は自分の亡き妻で、アリョーシャの母をそう呼んでいたのである。
そしてそのときに、ハテな、己はひょっとすると寝ていた間に狐にかれやしなかったかなと、そう思ったと云うんです。
紀伊国狐憑漆掻語 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
ものかれでもしたかのごとくふるえ声で叫んだ千之介の制止を、同じ物の怪に憑かれでもしたように林田が跳ね返し乍らつづけていった。
十万石の怪談 (新字新仮名) / 佐々木味津三(著)
多くの人人が、たれも経験するところの、あの苛苛いらいらした執念の焦燥が、その時以来きまとつて、絶えず私を苦しくした。
田舎の時計他十二篇 (新字旧仮名) / 萩原朔太郎(著)
いていた狐が落ちでもしたように。そしてきまり悪るげにそこにいた三人の顔に眼を走らすと慌てて爪を噛みはじめた。
星座 (新字新仮名) / 有島武郎(著)
この病院の医長の療法にしたがって頸筋くびすじ発泡膏はっぽうこう塗布とふするためであったが、部屋の様子を一目みると、彼は恐怖と忿怒ふんぬに取っかれてしまった。
月丸は、かれた人のように、独り言を云いつつ、くるりと、堂の方を、振向いた。もう、縁側には誰も居なかった。月丸は、大きい溜息をした。
南国太平記 (新字新仮名) / 直木三十五(著)
そしてようやくなだめられて辞去したのちも、絶望のあまり終夜、泥濘でいねいにまみれてペテルブルグの近郊をかれた者のようにさまよったのであった。
と叫ぶとかれたように私を振りもぎって母屋のほうへ逃げ出しました。そして今の家内の叫びに驚いたのでしょう。
蒲団 (新字新仮名) / 橘外男(著)
そして日本の国土を狙ふ夷狄いてきの悪魔にかれた者、国賊が虐殺される事は当然な正しい制裁だと考へるやうになつた。
この邪神がそなたにいてたぶらかしたのも、結局そなたの美男ぶりにひかれて情欲をほしいままにしたと思われる。
何かにかれたように、我を忘れていた。そうした父の空気に同化するまでには、私たちきょうだいは骨が折れた。
光り合ういのち (新字新仮名) / 倉田百三(著)
ところが、ガンパウダーは悪魔にかれたもののように、その道についてゆかずに、反対のほうへ曲り、丘をくだって左へまっしぐらに突きすすんだ。
同時に何かしらき物にでも逃げだされたような放心の気持と、禅に凝ってるのではないかと言った弟の言葉が思いだされて、顔のあかくなるのを感じた。
父の出郷 (新字新仮名) / 葛西善蔵(著)
絵すがたのおもてを刺すように鋭どい瞳でみつめつつ、狂うがごとく、かれたごとく、何やら口の中で口走しっていましたが、やがてその場にうつぶして
艶容万年若衆 (新字新仮名) / 三上於菟吉(著)
嫁が来た日から病に取りかれたのだというその意味は、登勢の胸にも冷たく落ち、この日からありきたりの嫁いじめは始まるのだと咄嗟とっさに登勢は諦めたが
(新字新仮名) / 織田作之助(著)
「先生、まったくあなたのおっしゃった通り、たしかにあの部屋には何かがいていますよ」と、僕は言った。
むしろ、何か悪霊あくりょうにでも取りかれているようなすさまじさを、人々は緘黙かんもくせる彼の風貌ふうぼうの中に見て取った。夜眠る時間をも惜しんで彼は仕事をつづけた。
李陵 (新字新仮名) / 中島敦(著)
ふッと頼りない思いにかれたのだ。この川がどこであるかとくのは、彼ではなく自分でなければなるまい。
石狩川 (新字新仮名) / 本庄陸男(著)