天鵞絨ビロード)” の例文
けばだった鶏頭の花をかき分けて、一つびとつ小粒の実を拾いとるのは、やがて天鵞絨ビロードや絨氈の厚ぼったい手ざわりを娯むのである。
艸木虫魚 (新字新仮名) / 薄田泣菫(著)
馬車に乗って、黄鼬テンの大きな長衣を着こみ、頭には天鵞絨ビロードの帽子を戴き、鳥の羽がさがりて顔もほとんど見えないばかりであった。
葡萄酒や天鵞絨ビロードや絹やその他の高価な貨物が五〇%下落しても、労賃率は影響を受けず、従って利潤は引続き変動しないであろう。
それからその手燭のかぎを、自分の寝台の頭のところに垂れている赤い天鵞絨ビロードへ引っかけておいて、気を鎮めるために寝床の上に坐った。
あちこち見て歩く内、応接間というような室に、硝子の箱に紫色の天鵞絨ビロードを敷いて、根附ねつけが百ばかり、幾段かに並べてありました。
鴎外の思い出 (新字新仮名) / 小金井喜美子(著)
彼女は橙色がかつた真紅の天鵞絨ビロードの袍を着てゐた。其黄鼬てんの毛皮のついた、広い袖口からは、限りなく優しい、上品な手が、覗いてゐる。
クラリモンド (新字旧仮名) / テオフィル・ゴーチェ(著)
刺繍をした黒天鵞絨ビロードの着物などを見ましたが、これは作り上げるのに幾年もかかるので、オタカラと云って大事にしています。
空色の薄いセーターに、運動靴、短かく刈り込んだ柔かい毛が春の光を天鵞絨ビロードのように吸い込んで居るのも美しい限りです。
死の予告 (新字新仮名) / 野村胡堂(著)
壁には名匠の油絵や、天鵞絨ビロードおおわれた壁龕へきがんがところどころに設けられて、大食堂も廊下も大舞踏室もことごとく、内庭の芝生に臨んでいる。
グリュックスブルグ王室異聞 (新字新仮名) / 橘外男(著)
一着の古い黒の背広服、黒天鵞絨ビロードのソフト帽、その横に白紙をのべて、上に黒眼鏡と、長髪のかつらと、つけ髭が並べてある。
恐怖王 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
天鵞絨ビロードの襟にふくら雀の紋を金糸きんしで縫わせたのを着て、見よがしに歩いてみたり——なにしろ藩中では、いや他藩までも
梅里先生行状記 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
墓前を埋めつくした真白な百合の花弁の上に、天鵞絨ビロードの艶を帯びた大黒揚羽蝶が、はねを休めて、息づいておった。…………
光と風と夢 (新字新仮名) / 中島敦(著)
上着の模様は唐草で、襟と袖とに銀の糸で、細く刺繍ぬいとりを施してある。紫色の袴の裾を洩れ、天鵞絨ビロードに銀糸で鳥獣を繍った、小さなくつも見えている。
前記天満焼 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
青い天鵞絨ビロードのコートと、黒狐の襟巻に包まれた彼女が、化粧をらした顔と、雪白のマンショーを浮き出さして、チンマリと坐っているのであった。
鉄鎚 (新字新仮名) / 夢野久作(著)
トオキイの音が、ふっと消えて、サイレントに変った瞬間みたいに、しんとなって、天鵞絨ビロードのうえを猫が歩いているような不思議な心地にさせられた。
狂言の神 (新字新仮名) / 太宰治(著)
夏の午後、畑の中で、天鵞絨ビロードのごとき牧場の上で、長い白楊樹はくようじゅのさらさらと鳴る下で、うっとりとふける夢想……。
冬の初のことで、白菜と大根の軟い緑の葉が、日の光を浴びて天鵞絨ビロードのやうに輝き、松の林の間々にこんもりと茂つた樹木の梢は、薄く色づいてゐます。
畦道 (新字旧仮名) / 永井荷風(著)
あたかも私の友人の家で純粋セッター種のが生れたので、或る時セッター種の深い長い艶々つやつやした天鵞絨ビロードよりも美くしい毛並けなみと、性質が怜悧りこう敏捷すばしこく
二葉亭余談 (新字新仮名) / 内田魯庵(著)
巴里じゃ、窓のそばの天鵞絨ビロード椅子に坐って、足音にばかり耳をたてたっけ。でもそれはこっちの我儘なのよ。子供が大きくなれば母親なんかいらなくなる。
ユモレスク (新字新仮名) / 久生十蘭(著)
車室の中は、青い天鵞絨ビロードった腰掛こしかけが、まるでがらあきで、こうのねずみいろのワニスをったかべには、真鍮しんちゅうの大きなぼたんが二つ光っているのでした。
銀河鉄道の夜 (新字新仮名) / 宮沢賢治(著)
寂しき人々アインザーメメンシェン」のブラウン見たいな、まあよく銀座あたりのカフェーで出会でくわすような、天鵞絨ビロードの洋服を着て、髪もやっぱり画家流に刈り込んで(?)あった。
スウィス日記 (新字新仮名) / 辻村伊助(著)
その翌日、道子は黒い天鵞絨ビロードの服を着て、龍之介は茶の背広を着て、二人は一つの自動車で駅まで着いた。
謎の女 (新字新仮名) / 平林初之輔(著)
それはまるで美しい絨氈じゅうたんの飽くことのない深い天鵞絨ビロードを眺めているような、それでいて、絶えず自由に柔らかい光沢をもって、しきりに、巫山戯ふざけちらしていた。
或る少女の死まで (新字新仮名) / 室生犀星(著)
あお天鵞絨ビロードの海となり、瑠璃色るりいろ絨氈じゅうたんとなり、荒くれた自然の中の姫君なる亜麻の畑はやがて小紋こもんのようなをその繊細な茎の先きに結んで美しい狐色に変った。
カインの末裔 (新字新仮名) / 有島武郎(著)
應接間おうせつまとほると、おほきな洋卓テーブル周圍まはり天鵞絨ビロードつた腰掛こしかけならんでゐて、あはしてゐる三四人さんよにんが、うづくまるやうあごえりうづめてゐた。それがみんなをんなであつた。
(旧字旧仮名) / 夏目漱石(著)
まったく、身も世もないあの烈しい相剋ひしめきのなかで、静かに天鵞絨ビロードのうえを滑ってゆく思考の車があったのだ——それに今まで彼は気づかなかったまでのことである。
人魚謎お岩殺し (新字新仮名) / 小栗虫太郎(著)
そして往き來してゐる人々は大きな天鵞絨ビロードのやうな眼をしてゐて、それが重い眼瞼の下で閉ぢるやうに思はれた。この雨をもたらした風は、麝香や花の匂ひがした。
真中に炉を切って、冬になるとこれへ炭火を盛上げ、すっかり綿天鵞絨ビロードの磨切れている椅子をまわりへ置いて、みんな無遠慮に炉の上へ足を差出しながら煖をとった。
溜息の部屋 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
休憩椅子は海老茶えびちゃ天鵞絨ビロードの肌をひろげて、そばへ来る女の腰をしっかり受取ろうと用意していた。
踊る地平線:09 Mrs.7 and Mr.23 (新字新仮名) / 谷譲次(著)
ただコートの折りかえしだけが眼が痛くなるような紫の天鵞絨ビロードだった。上気した頬と、不安らしくひそめた眉と、決心しているらしい下唇とが私の眼に映じたのであった。
空中墳墓 (新字新仮名) / 海野十三(著)
そこに集まっているのはいずれも天鵞絨ビロードや紋織りの衣服を着て、羽根毛はねげのついている帽子をかぶって、むかしふうの佩剣はいけんをつけている人びとばかりであるのに驚かされました。
すると今まで静かに茶褐色の天鵞絨ビロードに包まれて、寝ていたかと思われる浅間山が、出し抜けに起き出してでも来るように、ドンドンと物をげ出す響きにつれて、紫陽花あじさいの大弁を
日本山岳景の特色 (新字新仮名) / 小島烏水(著)
殆ど一面に美しい天鵞絨ビロードの様な芝草に覆われ、処々に背の低い灌木の群をよこたえたその丘は、恰度ちょうど木の枝に梟が止った様な形をして、海に面した断崖沿いに一段とけわしく突出していた。
花束の虫 (新字新仮名) / 大阪圭吉(著)
内には溝状に橄欖色オリーブいろ天鵞絨ビロードの貼つてある、葉卷形のサツクの中の檢温器! 37 といふ字だけを赤く、三十五度から四十二度までの度をこまかに刻んだ、白々と光る薄い錫の板と
病室より (旧字旧仮名) / 石川啄木(著)
白と金の羽目框パネル、室内を晴やかに広く見せる四方の鏡壁、窓脇腰掛バンタケットと向き合う椅子は薔薇ばらいろの天鵞絨ビロード張りで深々としている。静で派手な電光。それは一通り世の中を知ったマダムだ。
食魔に贈る (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
附近には岩高蘭がんこうらん苔桃こけもも、蔓苔桃が一面に緑の毛氈——そのすっきりした柔い感じは寧ろ天鵞絨ビロードを想わせる——を敷き詰めて、秋十月頃には紅色紫黒色の小果が玉累々たる有様を呈する。
秩父の奥山 (新字新仮名) / 木暮理太郎(著)
野暮くさい束髪頭の黒羅紗くろラシャのコオトにくるまって、天鵞絨ビロードの肩掛けをした、四十二三のでぶでぶした婦人のあから顔が照らし出されていたが、細面ほそおもの、ちょっときりりとした顔立ちの洋服の紳士が
仮装人物 (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
応接室だろうか、日当りはいいが、窓掛カーテンも何もない、頗る殺風景な部屋で、粗末な卓子テーブルと椅子が二三脚あるばかりだ。その一つの椅子の上に天鵞絨ビロードのような毛をした黒猫が丸くなって眠っていた。
黒猫十三 (新字新仮名) / 大倉燁子(著)
彼女の純白の、天鵞絨ビロードの乗馬服の肩さえが、なんとなく寂しかった。
恐怖城 (新字新仮名) / 佐左木俊郎(著)
この昇降機は天鵞絨ビロードの腰掛や化粧鏡のついた生やさしいものでない。
ぐうたら道中記 (新字新仮名) / 佐々木邦(著)
労働者が必要としない所の絹や天鵞絨ビロードや什器やその他の貨物が、それにより多くの労働が投ぜられる結果騰貴すると仮定すれば
天鵞絨ビロードの声と言われた、柔かい感触と、情緒の豊かな歌が、人間離れのした巨大な声量で、場の隅々まで凜々りんりんと響き渡った。
天鵞絨ビロードのやうな贅沢な花びらをかざり立てて、てんでにこつてりしたお化粧めかしをした上に、高い香をそこら中にぷんぷんとき散らし、木は木で
春の賦 (新字旧仮名) / 薄田泣菫(著)
勢のいい幅のある声とともに土間へ入って来たのは、相変らず年代も分らぬ古天鵞絨ビロードの丸帽子をかぶった重蔵であった。
猫車 (新字新仮名) / 宮本百合子(著)
静かな昼間、人のいない官舎の裏に南瓜カボチャつるが伸び、その黄色い花に、天鵞絨ビロードめいた濃紺色の蝶々どもが群がっている。
レンコオトも帽子もなく、天鵞絨ビロードのズボンに水色の毛糸のジャケツを着けたきりで、顔は雨に濡れて、月のように青く光った不思議な頬の色であった。
ダス・ゲマイネ (新字新仮名) / 太宰治(著)
溜りというよりも、小窓を切ってカーテンをかけ、油絵を飾って植木を並べて、天鵞絨ビロード張りの腰掛けがあるから、壁龕へきがんというのが当っているであろう。
グリュックスブルグ王室異聞 (新字新仮名) / 橘外男(著)
更に異様なのは、この部屋には到るところに厚い天鵞絨ビロードの垂幕が下って、一箇の大地下室を幾つもに区劃くかくし、迷路のような感じを与えていることであった。
偉大なる夢 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
さればこの仲間の弟子には自ら特別の風俗あり、頭髪を長くのばし衣服は天鵞絨ビロードの仕事服にて、襟かざりの長きを風になびかし、帽子は大黒頭巾の如きを冠る。
洋服論 (新字旧仮名) / 永井荷風(著)
英国製らしい最上等の黒羅紗らしゃに、青天鵞絨ビロード折襟おりえりを付けた鉄釦てつぼたんの上衣を、エナメル皮に銀金具の帯皮で露西亜ロシア人のように締めて、緑色柔皮グリーンレザーの乗馬ズボンを股高ももだかに着けて
暗黒公使 (新字新仮名) / 夢野久作(著)