“因(よつ)” の例文
と忽ち心一決(けつ)爲し久左衞門は軈(やが)て江戸へと久八を連て下り弟六右衞門に逢(あひ)て事の仔細を委敷(くはしく)話し頼み置つゝ歸りけり因(よつ)て六右衞門所々(しよ/\)を
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
因(よつ)て齊(せい)に家(いへ)せり。世(よ)の・老子(らうし)を學(まな)ぶ者(もの)は則(すなは)ち儒學(じゆがく)を絀(しりぞ)け、儒學(じゆがく)も亦(また)老子(らうし)を絀(しりぞ)く。『道(みち)、同(おな)じからざれば、相(あひ)爲(た)めに謀(はか)らず』とは、豈(あに)是(これ)を謂(い)ふ邪(か)。
因(よつ)て母と倶(とも)に遠江(とほたふみ)国井伊谷に至り、舅(しうと)の菅沼治郎右衛門忠久の家に寓す。後徳川家康の今川義元の許(もと)に在るや、其の側に侍す。尋(つい)で義元の子氏真に仕ふ。
聞書抄:第二盲目物語 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
即(すなはち)文化の一具を欠くものと謂可(いふべ)し。(中略)余茲(ここ)に感ずる所あり。寸暇(すんか)を得るの際、米仏等(とう)の書を繙(ひもと)き、その要領を纂訳(へんやく)したるもの、此冊子(さつし)を成す。因(よつ)て之を各国演劇史と名(なづ)く
本の事 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
吾人は世の詩人が斯(かく)の如くなるを尤(とが)むる者に非ず、然れども若し是を以て一種の哲学となし、因(よつ)て以て人事を律せんとするに至つては即ち大声叱呼して其非を鳴さゞるを得ず
凡神的唯心的傾向に就て (新字旧仮名) / 山路愛山(著)
因(よつ)て其駁雑(そのはくざつ)を刪(けづ)り、校訂(かうてい)清書(せいしよ)し、図(づ)は豚児(とんじ)京水に画(ゑがゝ)しめしもの三巻、書賈(しよか)の請(こひ)に応(おう)じ老人に告(つげ)て梓(し)を許(ゆる)し以(もつて)世(よ)に布(しき)しに、発販(はつはん)一挙(いつきよ)して七百余部(よぶ)を鬻(ひさげ)り。是(これ)に依(より)て書肆(しよし)後編(こうへん)を乞(こ)ふ。
因(よつ)て其駁雑(そのはくざつ)を刪(けづ)り、校訂(かうてい)清書(せいしよ)し、図(づ)は豚児(とんじ)京水に画(ゑがゝ)しめしもの三巻、書賈(しよか)の請(こひ)に応(おう)じ老人に告(つげ)て梓(し)を許(ゆる)し以(もつて)世(よ)に布(しき)しに、発販(はつはん)一挙(いつきよ)して七百余部(よぶ)を鬻(ひさげ)り。是(これ)に依(より)て書肆(しよし)後編(こうへん)を乞(こ)ふ。
養生(やうじやう)を榮燿(えいやう)の樣(やう)に思(おも)ふは世上(せじやう)一般(いつぱん)の習慣(ならはし)なり。今(いま)余(よ)が言(い)へる養生法(やうじやうはふ)は、いかなる貧人(ひんじん)、いかなる賤業(せんげふ)の人(ひと)にても、日夜(にちや)心(こゝろ)を注(そゝ)げば出來(でき)る事(こと)なり。因(よつ)て其(その)大意(たいい)を三首(さんしゆ)の蜂腰(ほうえう)に綴(つゞ)ること爾(しか)り。
養生心得草 (旧字旧仮名) / 関寛(著)
而(しか)して國沴(こくてん)、一偈(いちげ)を作(つく)り汝(なんぢ)が流水(りうすゐ)に歸(かへ)るを送(おく)るべしとて、因(よつ)て吟(ぎん)じて云(い)ふ。
唐模様 (旧字旧仮名) / 泉鏡花、泉鏡太郎(著)
それに因(よつ)て我等自身も構成されたる原理であれば
山羊の歌 (新字旧仮名) / 中原中也(著)
其方儀嘉川家嫡子(ちやくし)の身分を以て常々不行跡(ふぎやうせき)の由沙汰有之の處當時(たうじ)病氣(びやうき)にて存命も量(はか)り難き由是に因(よつ)て全快まで親類(しんるゐ)へ御預仰付らる
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
是(これ)に因(よつ)て越前守と任官(にんくわん)し大岡越前守藤原忠相(ふぢはらのたゞすけ)と末代までも名奉行(めいぶぎやう)の名を轟(とゞろ)かしたるは此人の事なり將軍家には其後も越前は末代の名奉行なりと度々上意(じやうい)ありしとかや
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)