らん)” の例文
旧字:
見よ見よ、やがてあめしたに大らんを生ぜしめん、といふ。西行此のみことのりに涙をとどめて、こは浅ましき四六御こころばへをうけたまはるものかな。
そういう夜の不安は、応仁おうにんらんあたりから後は、都会でも地方でも、もう当り前のことになって、誰も怪しもうとはしない。
新書太閤記:01 第一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
寛永かんえい十五年正月、島原しまばららんが片づき、つづいて南蛮鎖国令が出て後、天文てんもん十八年以来百余年の長きにわたり
そして、帰りには安酒をあおってぐでんぐでんに正体もなく酔っ払って来た。するとまたらんちき騒ぎが始まる。
「君子は義をもってじょうとす。君子くんし勇ありて義なければらんす。小人しょうじん勇ありて義なければとうをなす」と。
自警録 (新字新仮名) / 新渡戸稲造(著)
つねさんなければ恒の心なく、ひんすればらんすちょう事は人の常情じょうじょうにして、いきおむを得ざるものなり。
妾の半生涯 (新字新仮名) / 福田英子(著)
天武帝は壬申じんしんらんを通じて即位せられたために、古来史家の間にさまざまの論議をひき起こしてはいるが、われわれにとっては他の意味で興味の深い代表的人物である。
古寺巡礼 (新字新仮名) / 和辻哲郎(著)
それは東京の中学校を落第して仕方なしに浦和へきた怠惰生たいだせいからの感染かんせんであった。孔子こうし一人いちにん貪婪どんらんなれば一国いっこくらんをなすといった、ひとりの不良があると、全級がくさりはじめる。
ああ玉杯に花うけて (新字新仮名) / 佐藤紅緑(著)
ひだりへ折れて血塔の門に入る。今は昔し薔薇しょうびらんに目に余る多くの人を幽閉したのはこの塔である。草のごとく人をぎ、にわとりのごとく人をつぶし、乾鮭からさけのごとくしかばねを積んだのはこの塔である。
倫敦塔 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
また百姓ひゃくしょうはい地租改正ちそかいせいのために竹槍ちくそう席旗せきき暴動ぼうどうかもしたるその余炎よえんいまおさまらず、いわんや現に政府の顕官けんかん中にもひそかに不平士族と気脈きみゃくを通じて、蕭牆しょうしょうへんらんくわだてたる者さえなきに非ず。
せつ此程このほどより所労しょろう平臥中へいがちゅう、筆をるにものうく、らん蒙御海容度ごかいようをこうむりたくそうろう
凍えた泥のらん反射をわたり
『春と修羅』 (新字旧仮名) / 宮沢賢治(著)
国土のわずらいでも、一身のらんでも、なにか大事にたちいたると、すぐ、加持祈祷かじきとうへ頼むところは、わがちょうの藤原時代の権門とも、まったく同じ風習だった。
新・水滸伝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
シーザーがその留守中にローマにらんの起これるを聞き、出征先より大軍をひきいて帰国し、自国に入ろうか入るまいかとルビコン河畔かはんに立ったときは、凡人の考え得られぬ苦心があったであろう。
自警録 (新字新仮名) / 新渡戸稲造(著)
「なんと。この護良もりながへ、頭をまろめて坊主になれとの仰せというか。……そしてまた、らんとなったら、またぞろ髪を伸ばせばよいとの、お沙汰であるか?」
中頃、後鳥羽院ごとばいんの武者所に勤番し、承久ノ乱にも宮方、元寇げんこうらんにも、率先そっせん、国難にあたってきた。
私本太平記:11 筑紫帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
北条氏であれ、東国の諸武士であれ、みな一天の君の赤子せきし。諸民の悪行は、君の御不徳に帰しましょう。まして、らんとなれば、塗炭とたんの苦しみは、良民に降りかかります。
私本太平記:03 みなかみ帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「今より百二十余年前、蜂須賀三代の国主は義伝公ぎでんこう、当時南には天草あまくさらんが起っておりました」
鳴門秘帖:01 上方の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「いや、らんをのぞむ、戦賊の鳴り物、山家やまがそだちが、都へのし出ようとする方便に過ぎない」
鳴門秘帖:05 剣山の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「けれど、ほかにも東宮の御位みくらいをのぞんでやまぬものがあれば、らんになるしかございません」
この自然下にあった特性が、史上、将門がよび起したものといわれて来たいわゆる“天慶てんぎょうらん”なるものを、ひどく凄惨なものにしたに違いないことは、疑いの余地もない。
平の将門 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
周馬の抱き方がまずいので、らんびん蒼白の死者が、グタッと襟骨えりぼねとがらせて垂れている。
鳴門秘帖:05 剣山の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
それは理窟だ、大君を国柱くにばしらとし、大君に仕えるとは、衆智の理を超えた理の磨き合いにほかならぬ。でなければそのような国姿は、かえって悪徒に利用されがちならんもとと相なろう。
私本太平記:11 筑紫帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
壬申じんしんノ乱の大海人おおしあま皇子みこ軍。木曾義仲の寿永じゅえいの都入り。承久じょうきゅうらんの北条勢と朝廷がた
私本太平記:10 風花帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
まず宮門にらん平定へいていを報告した後、庶民には善を施し、社寺には供養くようをすすめ、道路橋梁の工事を見たり、荒れすたれた禁裡きんりの諸門をつくろうなど、さながら家の中心になってよく働く子が
黒田如水 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「大覚寺統は、亀山上皇を中心に、承久じょうきゅうらんの怨みを報ぜんと計っている」
私本太平記:03 みなかみ帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
むかし天慶てんぎょうらんに、将門まさかどの猛威に抗し難くなった軍勢が、彼の叔父にあたる者の木像を輿に乗せて陣頭にかつぎ出し、叔父に矢を射るかと将門まさかど威嚇いかくして追いくずしたということは聞きましたが
黒田如水 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
元々、西園寺家と北条氏とは、遠い承久じょうきゅうらんいらいの深い因縁がある。
八人法師の拍子打ひょうしうちに始まって、簓踊ささらおどりは本座の阿古あこらんどり舞は新座の彦夜叉、かたな玉取りはどう一と、おのおの妙技をつくして、猿楽さるがくの一と幕も佳境に入り、やがて将軍家の桟敷さじきわきの橋がかりから
私本太平記:13 黒白帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「まだこんならんにもならぬ以前から、日野朝臣とわしとは、公的にも、またわたくしまじわりも浅くなかった。するうち、血の気の多い朝臣はあんなふうに突ッ走って、ついに鎌倉の断罪に会うてしまったのだが」
私本太平記:04 帝獄帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
たみらんを思わず、武士は勁勇けいゆう、むかうところ敵なしです
三国志:07 赤壁の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
にいてらんを忘れず、の共感なのかもしれなかった。
私本太平記:03 みなかみ帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
つひに らん 天下に及び
私本太平記:12 湊川帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)