“くみ”のいろいろな漢字の書き方と例文
カタカナ:クミ
語句割合
55.0%
24.4%
5.6%
4.4%
3.3%
1.7%
苦味1.7%
0.6%
久見0.6%
0.6%
0.6%
0.6%
球美0.6%
0.6%
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
われ等は断じて力量以上の、立入った穿鑿せんさくにはくみしない。われ等は心静かに知識の増進を待って居る。汝等もまたそれを待たねばならぬ。
引込ひつこませる、とみづのでばなとふのでも、おくみはさすがに武家ぶけ女房にようばう中間ちうげんはだいたものを無理むりようとはしなかつた。
片しぐれ (旧字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
くみまゐりし者は當時は拙者弟子なれども元は師匠ししやう天道てんだうが弟子にてかれは師匠が未だ佐渡さど淨覺院じやうがくゐんの持主たりし時門前にて有しを
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
呉起ごきここおいて、さんとほつし、つひ其妻そのつまころし、もつせいくみせざるをあきらかにす。つひもつしやうとなす。しやうとしてせいめ、おほいこれやぶる。
女王にくみした涜神な人たちが、此僧院を一炬いつきよに附したのは、遠い昔の事である。今は此少年が再び燈心草の屋根を葺いて、老人の残年を安らかにすごすべきたよりとした。
(略)其角きかくを尋ね嵐雪らんせつを訪ひ素堂そどういざな鬼貫おにつらに伴ふ、日々この四老に会してわづかに市城名利の域を離れ林園に遊び山水にうたげし酒をくみて談笑し句を得ることはもっぱら不用意を貴ぶ
俳人蕪村 (新字旧仮名) / 正岡子規(著)
苦味くみ丁幾ちんきを服し、ペプシンを服し、粥を煑て吸ひ、フランス麪麭をあがたひてくらひ、壓し麥を喫ふのを見ることは多いが、咀嚼時間を長くして
努力論 (旧字旧仮名) / 幸田露伴(著)
かれわたくしよりは四つ五つの年長者としかさで、したがつくみちがつてつたので、始終しじうまぢはるでもなかつたが、其頃そのころ校内かうない運動うんどう妙手じやうずなのと無暗むやみ冐險的旅行ぼうけんてきりよかう嗜好すきなのとで、かれわたくしとはゆびられ
かれわたくしとはおの/\くみ撰手チヤンピオンとなつて、必死ひつし優勝旗チヤンピオンフラグあらそつたことや、其他そのほかさま/″\の懷舊談くわいきうだんて、ときうつるのもらなかつたが、ふと氣付きづくと、當家このや模樣もやうなにとなくいそがしさう
大八島おおやしまの旧国の中にも、数多くの久米または久見くみの地があり、その中の二、三は内陸の山間であるが、他の多くは海から近づき得る低地であって、今も稲田がよくみのる古い土着の地であった。
海上の道 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
呼韓邪単于の大幕屋を巡って、無数の部下の無数の幕屋が篝火の光を出入口から放して、くみを作って並んでいた。
沙漠の美姫 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
誰か一統して民をやすきにらしめんや。又一三八誰にかくみし給はんや。翁云ふ。これ又人道なれば我がしるべき所にあらず。
遼の国俗三月三日木を刻んで兎としくみを分けて射た、因ってこの日を陶里樺とうりか(兎射)と称えたとづ。
各々その西南側に古見または久米という旧地があり、さらに南端の八重山群島のまんなかに、古見こみまたは球美くみという稲作の大きな根拠地があったのである。
海上の道 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
ここに殿とのくみ一〇より出で向へたまふ時に、伊耶那岐の命語らひて詔りたまひしく、「うつくしき汝妹なにもの命、吾と汝と作れる國、いまだ作りへずあれば、還りまさね」