陰影かげ)” の例文
私はその痛みの行衛ゆくえを探すかのように、片手で頭を押えたまま、黄色い光線と、黒い陰影かげ沈黙しじまを作っている部屋の中を見まわした。
ドグラ・マグラ (新字新仮名) / 夢野久作(著)
はじめは、メディチのヴィナスのように、片手を乳の上に曲げ、他の伸ばしたほうのを、ふさふさとした三角形デルタ陰影かげの上に置いた。
紅毛傾城 (新字新仮名) / 小栗虫太郎(著)
燭台の灯火が大きく揺れ、壁上の陰影かげがその瞬間大蜘蛛ぐもの形を描き出したのは、月子の貪慾どんよくな心願を映し出したとも云われるのである。
神州纐纈城 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
夫人は良人おっとの手を振り離そうともしないで、じっとしていた。その蒼ざめた顔にはすこしも恐怖の陰影かげがない。彼女はしゃんと顔をあげて
犬舎 (新字新仮名) / モーリス・ルヴェル(著)
春は陰影かげで煮〆たようなキャフェ・マキシムでもなかろう。堅苦しいフウケでもなかろう。アメリカの石鹸臭いアンパはなおさらのことだ。
巴里のキャフェ (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
本所の南、五本松の浄巌寺じょうがんじに、庄太郎の遺骸なきがらを埋めて、今は陰影かげと静寂の深い家に、老夫婦は、こうして、ぼんやりすわって来たのだった。
そして、これは一時的であるかも知れぬが、少なからぬ「疲労」の憔悴が此大気をして一層「悄然」の趣を深くせしむる陰影かげを作して居る。
雲は天才である (新字旧仮名) / 石川啄木(著)
ホロリとするところへくると充分にしみじみとした陰影かげをも漂わせ、「おせつ徳三郎」の心中場など、深川木場あたりの宵闇の景色の描写は
寄席 (新字新仮名) / 正岡容(著)
その山の左右から月と日の光がさしてあたりを照らしています。私には山の陰影かげが落ちて光のさしてくることはないのです。
源氏物語:34 若菜(上) (新字新仮名) / 紫式部(著)
神々しい夜だ! 蠱惑的な夜だ! 闇にとざされた森は霊化したもののやうにさゆらぎもせず、厖大な陰影かげを投げてゐる。
今回の悲劇の起りをよく了解して頂くためには私の生家にまつわって居る恐しい呪いの陰影かげから申し上げねばなりません。
呪われの家 (新字新仮名) / 小酒井不木(著)
彼の少年らしくもない、深い陰影かげを持った顔は、何時か熱っぽく上気し、激しく心臓から投出される、血潮は、顳顬こめかみをひくひくと波打たせていた。
夢鬼 (新字新仮名) / 蘭郁二郎(著)
一概に田舍言葉と言ひますけれども、鄙びた言葉づかひが柔軟やはらかに働いて東京言葉では言ひ表はせないやうな微細な陰影かげまでも言ひ表はせるのが有ります。
ともすれば置き忘れたその青玉のひとみほのかなタナグラ人形の陰影かげから小さな玉虫の眼のやうに顫へて、絶えず移り気な私の心を気遣はしさうに熟視みつめる。
桐の花 (新字旧仮名) / 北原白秋(著)
たゞ不思議な光が彼の眼にひらめき、怪しい陰影かげが彼の顏をよぎつたゞけだつた。とう/\彼は口を切つた。
熱帯の陽はそこに赫々かくかくとして輝き、白雲はくらめかしく悠々と白光のうちにうかんでいるにもかかわらず、密林は妖しげな陰影かげをうつろわせて、天日もなんとなく仄暗ほのぐら
令嬢エミーラの日記 (新字新仮名) / 橘外男(著)
坂口は苦々しげにその様子を眺めているうちに、フト忘れていた黒い陰影かげが脳裡に拡がってきた。
P丘の殺人事件 (新字新仮名) / 松本泰(著)
伜彌八郎が唐紙の中へ引つ込むと、入れ代つて椽側から、障子を靜かにあけて、滑るやうに入つて來たのは、肉體的な陰影かげを持たないやうな、世にも清らかな乙女でした。
その後は、私の夢のなかでも一片の雲の陰影かげが射したやうに、もうまるで憶えてゐなかつた。
挿頭花 (新字新仮名) / 津村信夫(著)
写生帳にはびんの梅花、水仙、学校の門、大越おおごえの桜などがあった。沈丁花じんちょうげの花はややたくみにできたが、葉の陰影かげにはいつも失敗した。それから緋縅蝶ひおどしちょう紋白蝶もんしろちょうなども採集した。
田舎教師 (新字新仮名) / 田山花袋(著)
さなきだに燭の光りのそこここに陰影かげをつくれるが怪しく物怖ろしげに見ゆる中に、今や落ちかからんずる勢して、したたかなる大きさの岩の人の頭の上に臨めるさま、見るものの胆を冷さしむ。
知々夫紀行 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
浮雲の引幕ひきまくから屈折して落ちて来る薄明うすあかるい光線は黄昏たそがれの如くやわらかいので、まばゆく照り輝く日の光では見る事あじわう事の出来ない物の陰影かげと物の色彩いろまでが、かえって鮮明に見透みとおされるように思われます。
監獄署の裏 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
親鸞 (しばらく黙然として目を閉じている。やがて目をひらき、何ものかの影に脅かさるるごとくあたりを見まわす)どこからともなく、わしの魂をおおうてくる、この寒い陰影かげは何ものであろう。
出家とその弟子 (新字新仮名) / 倉田百三(著)
日はもう、よっぽど西にかたよって、丘には陰影かげもできました。
なんといふさみしい自分の陰影かげであらう
だ大いなる陰影かげのたなびく国なるか。
晶子詩篇全集 (新字旧仮名) / 与謝野晶子(著)
その陰影かげをさへとらへんすべもなし
忘春詩集:02 忘春詩集 (新字旧仮名) / 室生犀星(著)
風がその広※ひだ陰影かげを与へた。
傾ける殿堂 (新字旧仮名) / 上里春生(著)
何時いつしか暗い陰影かげ頭腦あたまはびこつて來る。私は、うして何處へといふ確かな目的あてもなく、外套を引被ひつかけて外へ飛び出して了ふ。
菊池君 (旧字旧仮名) / 石川啄木(著)
ハタハタ、ハタハタと蝙蝠こうもりが二人の周囲まわりを飛び廻わる。その羽風に灯火が揺れ、壁上の陰影かげが延び縮みする。そうして大河の音が聞こえる。
神州纐纈城 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
画描きでその画面に己が生活の貧苦の陰影かげの漂ふやうな、薄志の仁は決して盛名を克ち得るものでないと談られたので、それは宛ち絵画の道許りでなく
滝野川貧寒 (新字旧仮名) / 正岡容(著)
日にかざした薄色の絹は彼女の頬のあたりに柔かな陰影かげを作った。山本さんは又、旧いことまで思出したように、彼女と二人で歩くことを楽みにして歩いた。
(新字新仮名) / 島崎藤村(著)
憂鬱な心の蟾蜍かへろがかやつり草の陰影かげから啼き出す季節——而してやや蒸し暑くなつたセルのきものの肌触りさへまだ何となく棄て難い今日此頃の気惰けだるい快さに
桐の花 (新字旧仮名) / 北原白秋(著)
頭髪かみ金色こんじきに染め、その蒼白い頬を生々した薔薇色に見せ、彼女の周囲まわりをちょろちょろとダンスをやりながら、額や、眼瞼まぶたや、唇のあたりに気まぐれな陰影かげを投げかけた。
犬舎 (新字新仮名) / モーリス・ルヴェル(著)
夜が明けて日が出ると、その姿は見えなくなる。ただ時たま、山の住民どもは、山腹に何か長い陰影かげがチラチラ映るのに気づくけれど、空は晴れ渡つて、雨雲ひとつ無い。
ミケロアンゼロの憂鬱いううつはわれを去らずけり桜花さくら陰影かげは疲れてぞ見ゆれ
(新字旧仮名) / 岡本かの子(著)
そのあしもとから曳くたよりない陰影かげ
………けがらわしい地球の陰影かげ
月蝕 (新字新仮名) / 夢野久作(著)
甲板に立てる人皆陰影かげを曳かず。
晶子詩篇全集拾遺 (新字旧仮名) / 与謝野晶子(著)
はしらの陰影かげを地に落し
春と修羅 第二集 (新字旧仮名) / 宮沢賢治(著)
何時しか暗い陰影かげ頭脳あたまはびこつて来る。私は、うして何処へといふ確かな目的あてもなく、外套を引被ひつかけて外へ飛び出して了ふ。
菊池君 (新字旧仮名) / 石川啄木(著)
肩の辺に月光が射し、長い陰影かげが地に落ちた。有髪の僧は階段を下の方へ下りて行った。世にも寂し気の姿であった。罪人のような姿であった。
神州纐纈城 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
ランプの笠の陰影かげで半分から上を薄暗く見せているその部屋には、燻っている蚊燻しの傍で七つになるもらい娘のお六が、クリクリした目を余計大きくさせて
寄席 (新字新仮名) / 正岡容(著)
その頭が煙突や屋根にまでとどくやうな厖大な陰影かげが壁面にゆらゆらと映つてゐる。
昼の蝋燭が鼻の真向まつかうにしんみりと光り輝く、眼と眼とがぢつとその底から吸ひ付くやうに差覗く……つくづくと陰影かげと霊魂と睨み会つたまま底の底から自愛と憐憫の心とが切々と滲み出る。
桐の花 (新字旧仮名) / 北原白秋(著)
霧雨は相変らず細々と降りつづいて、すべてのものが灰色の陰影かげのなかにぼかされかけていた。彼女の痩せた顔の輪廓もおぼろになって、熱に燃える大きな二つの眼玉ばかりが人目をひいた。
碧眼 (新字新仮名) / モーリス・ルヴェル(著)
尚よく見ると、言ふに言はれぬ恐怖おそれ悲愁うれひとが女らしい愛らしさに交つて、陰影かげのやうにあらはれたり、隠れたりする。何をお志保は考へたのだらう。何を感じたのだらう。何を思出したのだらう。
破戒 (新字旧仮名) / 島崎藤村(著)
せつせつとのあひだ陰影かげがある。
晶子詩篇全集 (新字旧仮名) / 与謝野晶子(著)
薔薇の陰影かげのじふてりあ
聖三稜玻璃:02 聖三稜玻璃 (旧字旧仮名) / 山村暮鳥(著)
一点の陰影かげも濁りもない、そういう人間に——それも女に——そうです女に限るんで、特に私には限るんですが——そういう女にぶつかりますと
あさひの鎧 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)