“鑢(やすり)” の例文
「左樣、鑢(やすり)一梃の根(こん)仕事だから、先づ一生懸命に打ち込んでも、延べにして一千日——つまり一人の力では三年くらゐかゝりませう」
この果実を植える時砥石あるいは鑢(やすり)でその頭を磨り破るか、あるいは焙烙(ほうらく)で炒って置くときは、水が滲み込み易い故早く芽が出ます。
植物記 (新字新仮名) / 牧野富太郎(著)
『師匠。……すみません。これから、自分の愚鈍へも鑢(やすり)をかけて、猶(なお)、一生懸命にやりますから、どうか、もっと叱って下さいまし』
山浦清麿 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
針金が手の平に食い入って、鑢(やすり)の様に骨をこすった。畸形児は半(なかば)も滑らぬ内に、痛さに耐え難くなった。もう針金を握る力がなかった。
一寸法師 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
ソコデ江戸に這入(はいっ)たとき、今思えば芝の田町(たまち)、処も覚えて居る、江戸に這入て往来の右側の家で、小僧が鋸(のこぎり)の鑢(やすり)の目を叩(たたい)て居る。
福翁自伝:02 福翁自伝 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
針金を接いだり、鑢(やすり)をかけたりするような「休養」がなくては、普通の人だったら、とても長い研究生活などには耐えられないのであろう。
米粒の中の仏様 (新字新仮名) / 中谷宇吉郎(著)
さまでの苦痛を堪(こら)えたな。——あとでお澄の片頬に、畳の目が鑢(やすり)のようについた。横顔で突(つっ)ぷして歯をくいしばったのである。
鷭狩 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
そしてそれを捩(ね)ぢ、叩き、ひつかき、鑢(やすり)をかける。絹糸は一つ一つに負けて擦りきれてゆく。穴が出来る。蝶は外に出るのだ。
たとへばシチーリアの牡牛が(こは鑢(やすり)をもて己を造れる者の歎きをその初聲(はつごゑ)となせる牛なり、またかくなせるや好し) 七—九
神曲:01 地獄 (旧字旧仮名) / アリギエリ・ダンテ(著)
治療室からはギリギリと鑢(やすり)を擦る音が聞えました。さうして時々ガチヤリ/\といふ金属性の道具の触れ合ふ音がします。
美智子と歯痛 (新字旧仮名) / 牧野信一(著)
爪を鋏で切りっぱなせば角(かど)があって方々へ引っかかる。この角をなくするために鑢(やすり)というものがあるが、おいそれと常に間に合うものではない。
白銅貨の効用 (新字新仮名) / 海野十三、佐野昌一(著)
「櫻材をもつて模型をつくり數多の鑢(やすり)と鏨(たがね)をあつらへ、銅又は眞鍮を用ひて、長方形大小各種の種字を作りだし」云々。
光をかかぐる人々 (旧字旧仮名) / 徳永直(著)
まぎれもなく金属を細かくたたく音や、鑢(やすり)をかける響きや、そうかと思うと何をするのかわからないが、金と金との触れ合う音が断続して伝わる。
爪の間にかくせるほどの鑢(やすり)で、鉄窓のボールトをすり切ろうとしているときの通りの、寸分異わない熱心さ——常識で判断出来ない忍耐と、努力
日は輝けり (新字新仮名) / 宮本百合子(著)
それから硝子戸をあけて格子を見ました。果たしてそのうちの二本が鑢(やすり)で切られ、左右へ折りまげてありました。
暗夜の格闘 (新字新仮名) / 小酒井不木(著)
彼は妻の枕頭で注射器をとりだして、アンプルを截ろうとしたが、いつも使う鑢(やすり)がふと見あたらなくなった。
遥かな旅 (新字新仮名) / 原民喜(著)
べつだんに詰責するらしい様子もなく、吉本は微笑を含みながら言うのであったが、永峯にはなにかしら鑢(やすり)にかけられるようなものが身内を走る感じだった。
街頭の偽映鏡 (新字新仮名) / 佐左木俊郎(著)
路地の突当りにある鍍金屋(めっきや)の鑢(やすり)の響もしない。みんな日比谷か上野へでも出掛けたにちがいない。花火の音につれて耳をすますとかすかに人の叫ぶ声も聞える。
花火 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
ねえ、お前さん、あたしゃもう我慢ができないんだから。昨夜(ゆうべ)はとろっともしないんだよ。布団に噛(か)みついていたのさ。もうたくさん。鑢(やすり)を持っといでよ。歯を
大工は鉢巻(はちま)きをはじめるし、木挽(こび)きは鑢(やすり)の目を舐(な)めてみるのであった。今までのところは鳶(とび)と大工と木挽きであった。やがて左官や屋根屋が必要になるだろう。
石狩川 (新字新仮名) / 本庄陸男(著)
しばらくは父の押木(おしぎ)の上に一ぱいに散らかっている鉄槌(かなづち)だの、鏨(たがね)だの、鑢(やすり)だのを私にいじらせてくれた。
幼年時代 (新字新仮名) / 堀辰雄(著)
工程は鉄に最初鑢(やすり)目をつけ、銀の針金または延金(のべがね)を、上から叩(たた)きつつ入れる。そうして多くはこれに黒漆をかけてみがき出すのである。古きもの例外なく美しい。
工芸の道 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
こちらの武士は、耳を着けていたところより一尺ばかり下の透間へ手を当てると、その透間からスーッと抜き取ったのは、柄(え)のない一挺の鑢(やすり)のようなものであります。
大菩薩峠:13 如法闇夜の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
教室で卵が割られる場合、特殊技能をもった技師君がいて、彼が鑢(やすり)を用いて実に正確に卵を割る。
細君は小さい、可哀(かはい)らしい手を振つて、さも厭だと云ふ様子をして、己の前を遮つた。たつた今ブラシで掃除して鑢(やすり)を掛けた爪には、薄赤い血が透き通つて見えてゐる。
やはり、以前の所に天幕(テント)をはっていて、みるも哀れな死を遂げているのだ。氷海嘯の端に当ったらしく鑢(やすり)で切ったように、左腕、左膝から下が無残にもなくなっている。
人外魔境:08 遊魂境 (新字新仮名) / 小栗虫太郎(著)
押(おさ)える必要上左手の指の爪(つめ)の生(は)え加減を気にするものだが必ず三日目ごとに爪を剪(き)らせ鑢(やすり)を
春琴抄 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
鮫の皮は荒いが、鱏の皮は鑢(やすり)そっくりで、この辺の原住民が木目を出して木肌を滑らかにするために使うが、それで顔や胸を一と撫でされると、いっぺんに皮膚が剥げて赤味がでる。
ノア (新字新仮名) / 久生十蘭(著)
尤(もっと)もこういう顔は世間にざらにあって、これを仕上げるのに造物主は大して苦心も払わず、鑢(やすり)だの錐(きり)だのといったような小道具は一つも使わないで、ただおおざっぱに刻んだだけだ。
鳶(とび)のように、虚空へ分け入ったのは、私たちである、あれから五夜で、私たちは海抜八千尺ほどの、甲州アルプスへ来た、山の上には多年雪に氷に磨り減らされて、鑢(やすり)のように尖った岩が
白峰山脈縦断記 (新字新仮名) / 小島烏水(著)
はっきりと大きくは唸(うな)ったものの、すぐとその後から、ゴウゴウゴウと何処(どこ)かの無電がしっきりなく邪魔をしかけて、それからの義太夫も太棹(ふと)も聴いてる方で頭を鑢(やすり)でこすられるようで苦しかった。
フレップ・トリップ (新字新仮名) / 北原白秋(著)
沢べりに大鋸を控えて、眼鏡をかけた老爺が鑢(やすり)を使っていた。
ある偃松の独白 (新字新仮名) / 中村清太郎(著)
覆面も 麻藥も 鑢(やすり)も 匕首(あひくち)も 七つ道具はそろつてゐる
駱駝の瘤にまたがつて (旧字旧仮名) / 三好達治(著)
槌(つち)に鑢(やすり)の音(ね)もかすれ、言葉悲しき木(き)の函(はこ)よ
海潮音 (旧字旧仮名) / 上田敏(著)
七日(なぬか)にて鑢(やすり)に削り取られ
晶子詩篇全集 (新字旧仮名) / 与謝野晶子(著)
鑢(やすり)の音よ、だみ声よ
時計一つ鑢(やすり)で刻み出すのに人間の力を二年かけなければならぬとは、何んといふ馬鹿々々しくも氣の遠くなる根仕事(こんしごと)でせう。
鑢(やすり)かけして、相造(すがたづく)りが終ると、焼入(やきい)れにかかった。弟子に教えることは懇切(こんせつ)だった。だが、清人は清人だけの才分しかなかった。何か、気に触れた時である。
山浦清麿 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
孫六の専用した古式の鑢(やすり)を使いこなす域にまで到達したものがなかったために、やすりの箱は埃をかぶったまま長く開かれずついに彼の死後こんにちにいたるまで
丹下左膳:01 乾雲坤竜の巻 (新字新仮名) / 林不忘(著)
あとは実験室の片隅で鑢(やすり)がけや盤陀(はんだ)付けで小さい実験装置の部分品を作ったり、漫談に花を咲かせたり、時にはビーカーで湯を沸(わか)して紅茶を淹(い)れて飲んだりしていた。
と申すは只(ただ)の鑢は鋼鉄(はがね)を斯(こ)うして斯う遣れば私の手にもヲシ/\出来るが、鋸(のこぎり)鑢(やすり)ばかりは六(むず)かしい。
福翁自伝:02 福翁自伝 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
ソレガトウダンスノ胼胝ノオ蔭デスッカリ穢クナッチャッタンデ、トウヲ止メテカラ一生懸命モトノヨウニシヨウト思ッテ、毎日々々軽石ダノ鑢(やすり)ダノイロンナモノデ擦(こす)ッタノヨ。
瘋癲老人日記 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
直ちにポケットから鑢(やすり)を取り出して先端をこすると、間もなくビュンという音がした。
鼻に基く殺人 (新字新仮名) / 小酒井不木(著)
鉄片の先のトンがった方を電気鑢(やすり)へかまして、モーターを入れると、ツイーッ!
ズラかった信吉 (新字新仮名) / 宮本百合子(著)
彼は、親羊を抱き上げ、檻(おり)の中へ、そいつを別に入れる。頸(くび)へ藁(わら)のネクタイを結びつける。逃げた時にわかるようにだ。仔羊は、その後について行った。牝羊は鑢(やすり)のような音を立てて食っている。
にんじん (新字新仮名) / ジュール・ルナール(著)
その賤しい一筋の思いが、彼をして行方(ゆくえ)定めぬ旅に立たせる。背の荷にしょい込んだ幾枚かの大鋸(おおのこ)小鋸と何十丁かの鑢(やすり)が、彼の生命であり財産でもあった。拓けて行く蝦夷は彼らの餌食(えじき)であった。
石狩川 (新字新仮名) / 本庄陸男(著)
よろしいか、長さは二尺四寸、ちと長過ぎる故、摺上物(すりあげもの)に致そうかと思ったけれど、これほどの名物に鑢(やすり)を入れるのも勿体(もったい)なき故、このまま拵えをつけた、この地鉄(じがね)の細かに冴(さ)えた板目の波、肌の潤(うるお)い
大菩薩峠:14 お銀様の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
槌(つち)に鑢(やすり)の音(ね)もかすれ、言葉悲しき木(き)の函(はこ)よ
海潮音 (新字旧仮名) / 上田敏(著)
血の香(か)滴る鋸を鑢(やすり)の刃(は)もて
第二邪宗門 (新字旧仮名) / 北原白秋(著)
但し竹針も程度によりけりで、突端が潰れるまで使ってはレコードの溝に鑢(やすり)をかけるような結果になって勿論良くない。