にわ)” の例文
しかしその菫菫菜が我がスミレのいずれにあたるかは今にわかに分り兼るがかくスミレのある一種の名でそれは支那でそういうのである。
植物記 (新字新仮名) / 牧野富太郎(著)
彼らはにわかに姿をかくしたにちがいない。——あきらかに本船を意識してのがれた、とそう思われた。港の家々はも抜けの殻であった。
石狩川 (新字新仮名) / 本庄陸男(著)
事実右翼諸団体の統一運動は、軍部・ブルジョア政党・反動諸団体の表面上強調する国体明徴の運動によって、にわかに促進された。
辞典 (新字新仮名) / 戸坂潤(著)
にわかに人の叫ぶ声があって、たしか第六天の前、それとも柳橋のたもとあたりの空気が、ヒヤリと振動したのが、ここまで打って響きます。
大菩薩峠:19 小名路の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
ちとにわかだが、それがしは今日ここを立って、美濃みの国許くにもとへまかり越え、その足ですぐ安土あづちへ伺い、信長公の御処分をうけようと思う。
新書太閤記:06 第六分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
南部産の黒い牡牛おうしが、やがて中央の庭へ引出されることに成った。その鼻息も白く見えた。繋いであった他の二頭はにわかに騒ぎ始めた。
千曲川のスケッチ (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
銭湯からの帰りしなに、泡鳴は満足げにぶらぶらと歩いていたが、にわかに気がついたと見えて、煙草を買いに、とある雑貨店に立寄った。
恰度、雷雨がやって来そうになる前の空模様とか、にわかに光線の加減が変って死相を帯びる叢の姿にそっくりそれは似ていた。
雲の裂け目 (新字新仮名) / 原民喜(著)
今や博士の心理物理学とでもいうべき学問は、世界開発の将来の鍵を握るものだとして、にわかに学界の注目の標的ひょうてきとなった。
キド効果 (新字新仮名) / 海野十三(著)
しかしそれと同時に尊敬している大村との隔てが、にわかに無くなったような気がしたので、純一は嬉しさに覚えず微笑ほほえんだ。
青年 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
にわかに馬が物に驚いて、一散に駈け出す。……道も溝も谷も見境なしに、まるで狂ったように村を駈け抜け、池を越え、工場を過ぎ、野原へ出る。
グーセフ (新字新仮名) / アントン・チェーホフ(著)
「へッ! 此の間、彼様あんなに悪い人間のように言っていたものが、何うしてまた、そうにわかに可哀そうになった?」
別れたる妻に送る手紙 (新字新仮名) / 近松秋江(著)
そして、それを早めたことが、実際ロシアの民衆にとって、よいことであったか、悪いことであったかは、にわかに断定さるべきではないと私は思うものだ。
広津氏に答う (新字新仮名) / 有島武郎(著)
最初先生の不可思議ふかしぎにわかの家出を聞いた時、私は直ぐ先生の終が差迫さしせまって来た事を知りました。それで先生のに接した時も、少しも驚きませんでした。
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)
許してたもれ! 許してたもれ! 暴風雨あらしあまつ日の光りをおおえかしと魔女は森の中に駆け込んだ。天日てんじつにわかに掻き曇って、湖面の水黒く渦巻き返える。
森の妖姫 (新字新仮名) / 小川未明(著)
にわかに裏山のあたりでただならずわめののしる声が起ったかと思ううち、たちま庫裡くりのあたりから火があがりました。
雪の宿り (新字新仮名) / 神西清(著)
父親は、兄弟はと、もつれた糸がにわかにほぐれだしたように、娘は次々と質問を始めた、今日まで訊きたいと思っていたことが、一時に口へのぼったのである。
内蔵允留守 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
と、にわかに、前後して、鷓鴣は飛び出す。どこまでも寄り添って、ひとかたまりになっている。私はそのかたまりのなかへ、拳骨げんこつで殴るように、弾丸たまを撃ち込む。
博物誌 (新字新仮名) / ジュール・ルナール(著)
生産場面に女子が吸収されて行くばかりでなく、にわかに拡がった南方の島々へ、又は満州や中国へ、さまざまの名目で、いわゆる進出する女性の数が夥しくなった。
私たちの建設 (新字新仮名) / 宮本百合子(著)
にわかに忠臣を気取ってみたり、このたびのオフィリヤの事件を転機として、しどろもどろに乱れていますが、それは君のきょうまで堪えに堪えて来た或る種の感情が
新ハムレット (新字新仮名) / 太宰治(著)
山田も僕もにわかにその時計が欲しくなった。然し店にはあいにく一つしか無かった。山田は暫し思案していたが漸く肚を決めて、貴様の方が年長だから譲ろうと云い出した。
汝自身を知れ:ベルンにて (新字新仮名) / 辰野隆(著)
と近年にわかに女の問題は、所謂識者の口に筆に難解の謎の如く、是非論評せらるゝに至れるが、而も其多くは身勝手なる男子がやや覚醒せんとしつゝある、我等婦人の気運を見て
肱鉄砲 (新字旧仮名) / 管野須賀子(著)
にわかに彼の脳裡には、このと月の自分の生活が不思議なほどありありと描き出されて、自分が病気なこと、それも何処が悪いかということまでが、はっきり悟られたのだった。
今日とりてはしき事をしましたと談次だんじ、先生にわかにたちえんの方にいでらる。
故に未だ其底蘊を罄ざる者鮮しと為さず、たゞ人をして医道の真面目を知らしめんと欲するに急にして、にわかに剞劂きけつに附し、れを天下に公けにす。今自ら之を観れば、慙愧ざんき殊に甚だし。
杉田玄白 (新字新仮名) / 石原純(著)
幸か、不幸か、彼は尻を突き上げられて、にわかに自分にかえった。そして思わず
論語物語 (新字新仮名) / 下村湖人(著)
故に人の干渉をたのみ人の束縛を受るの人民は、なほ窖養こうようの花、盆栽の樹のその天性の香色を放ち、その天稟てんぴん十分の枝葉を繁茂暢達ちょうたつせしむること能はずして、にわかにこれを見れば美なるが如きも
金はある時、女の帰っていくのを遥かにつけていったが、女がもうそれをさとったものかにわかに腕釧の光をおおった。すると木立の中は真暗になって、自分のてのひらさえ見えないようになったので引返した。
五通 (新字新仮名) / 蒲 松齢(著)
それに強烈なのと微弱なのとあり、また遺伝から来るのと特発するのとあるが、それが或事を誘因としてにわかに迫って来る時には、人は意識の統一を失って自分で自分が制し切れなくなるものである。
姑と嫁について (新字新仮名) / 与謝野晶子(著)
御殿の中の空気はにわかに緊張して
後方から駈けつづいてゆく者たちは、信長のそういう声を聞いたが、何でにわかに鳴海城へ行くのか、信長の気もちは察しられなかった。
新書太閤記:02 第二分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
ようやく彼が青年期に入って彼自身のにわかな成長を感じ始めた頃、郷里の方にある老祖母さんの死去を聞いて一度帰省したことがある。
新生 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
宇治山田の米友は今やこの梯子一挺を武器に、あらゆる茶袋を向うに廻して大格闘にうつろうとする時、にわかに群集の一角がくずれました。
大菩薩峠:17 黒業白業の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
ある夜、彼は東京から帰る電車のなかで、にわかに人々の動揺する姿を見た。と、車内の灯は急に仄暗くなりつづいて電車は停車してしまった。
死のなかの風景 (新字新仮名) / 原民喜(著)
昔のままの恰好かっこうをして、型にしたがってつらなっている彼らには、この静かな境地ににわかな変化が起ろうとは思われなかった。起したくなかった。
石狩川 (新字新仮名) / 本庄陸男(著)
にわかに裏山のあたりでただならずわめののしる声が起つたかと思ふうち、たちま庫裡くりのあたりから火があがりました。
雪の宿り (新字旧仮名) / 神西清(著)
あつッ」と叫びながら、にわかに飛び出したのはその学生らしい男であった。たちまちに、湯槽の中は激しい波がしょうじて、熱湯ねっとうが無遠慮に陽吉の背筋に襲いかかった。
電気風呂の怪死事件 (新字新仮名) / 海野十三(著)
私はにわかに好奇心が湧いた——早く家に帰って留守の間に、すべての秘密を探ってやろう、大股に歩いて家に帰るといつの間にやら婆さんは私よりも先に帰って
老婆 (新字新仮名) / 小川未明(著)
鶴見は両三遍りょうさんべん唱え言を繰り返してから、にわかに勢づいていった。「天工を奪うとはこの事だ」と。
来太はそこまで考えをつき詰めると、いつもの癖でにわかにその事実の上へ傲然ごうぜんと腰をおろした。
花咲かぬリラ (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
とその時まるで幕が下りたように、月が雲間にかくれて、あたり一めんにわかに暗くなった。
イオーヌィチ (新字新仮名) / アントン・チェーホフ(著)
苦楽寵辱ちょうじょく人生之呼吸也。達者ニ在ッテハ何ゾ必ズシモ其にわカニ至ルヲ驚カン
不審庵 (新字新仮名) / 太宰治(著)
この一年あまり以来、マルクス主義の陣営はにわかに後退したと云われている。
ダガ、昨日まで暖飽な生活をして来た私がにわかに毎月十五円とは、これには弱った。何分足りない、足りなきゃ借金が出来る。それから段々子供が生れだし、驚くなかれ後には遂に十三人に及んだ。
植物記 (新字新仮名) / 牧野富太郎(著)
こういう問題はにわかに解決を得なくてもよい。
婦人と思想 (新字新仮名) / 与謝野晶子(著)
鋭敏な少年は、さなきだに、胸がいっぱいだった所へ、生命という言葉が出たので、にわかに、声をしゃくって武蔵の胸で嗚咽おえつし出した。
宮本武蔵:08 円明の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
昨日きのうまでのあそびの友達ともだちからはにわかにとおのいて、多勢おおぜい友達ともだち先生達せんせいたち縄飛なわとびに鞠投まりなげに嬉戯きぎするさまを運動場うんどうじょうすみにさびしくながめつくした。
伸び支度 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
その時一行の中からにわかに哄笑が湧き上りました。それは嘲笑でもなければ感笑(変な熟字だが)でもありません。一種異様の笑い声でありました。
山道 (新字新仮名) / 中里介山(著)
もうそれはフレッシュな理智ではなくて、肉体的の苦痛によつてにわかに、そして不自然に生長したほのかな情感の吐息を波立たせてゐるかの様にさへ見えるのであつた。
水と砂 (新字旧仮名) / 神西清(著)
と、この時にわかに独言ひとりごとのように溜息をいて目から涙がこぼれる。しかしれも見ているのでないから、落つるままにしておくと、涙が頬を伝うてぽたぽたと膝の上に落ちた。
稚子ヶ淵 (新字新仮名) / 小川未明(著)