葛西かさい)” の例文
人間の癖に水のなかに棲んでいて、時々におかや船にあがってくる。まったく河童の親類のような奴だ。葛西かさいの源兵衛堀でも探してみるかな
半七捕物帳:32 海坊主 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
上杉憲顕のりあきをはじめ、江戸氏、葛西かさい党、三浦一族、坂東ばんどう八平氏、武蔵七党などの混成旅団で、あなどりがたい兵質と数であった。
私本太平記:13 黒白帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
それは葛西かさいっていう遠いところから来るので、自分でとった魚や貝やなんか持って来るのでしょ、その漁師や漁師のおかみさんなんかが来て
葛西かさい善蔵と云うひとの小説みたいにどうにもならなくなりそうだ。私は別に酒が飲みたいよくもないけれど、生きようがないではありませんか。
新版 放浪記 (新字新仮名) / 林芙美子(著)
昨夜は丁度下女を葛西かさいの在所に歸して、たつた一人淋しく過してゐると、夜中過ぎに、天窓をコジあけて、覆面ふくめんの大男が入つて來たといふのです。
あっちへ蹌々ひょろひょろ、こっちへ踉々よろよろ、狐のいたように、俺の近所を、葛西かさい街道にして、肥料桶こえたごにおいをさせるのはどこの奴だ。
婦系図 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
葛西かさい肥料屋こやしやでは、肥桶こえおけにぐっとうでを突込み、べたりと糞のつくとつかぬで下肥しもごえ濃薄こいうすい従って良否を験するそうだ。
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)
東雲しののめ橋、洲崎、葛西かさい橋、小松川と東京湾へ流れ出す川口は、日曜ともなると、女子供、家族連れで、おか張りが何千人というくらいたいへんな人出になる。
江戸前の釣り (新字新仮名) / 三遊亭金馬(著)
左馬権介さまごんのすけ結城ゆうき七郎、千葉平兵衛尉ちばへいべえのじょう葛西かさい十郎、筑後ちくご六郎、和田わだ三郎、土肥先二郎どひせんじろう佐原さはら太郎、多多良たたら四郎、長井ながい太郎、宇佐美うさみ三郎、佐佐木小三郎ささきこさぶろう南条平次なんじょうへいじ
頼朝の最後 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
いま日本に於いて、多少ともウール・シュタンドに近き文士ぶんしは、白樺派の公達きんだち葛西かさい善蔵、佐藤春夫。
父は同じ東京となった放水路の川向うの江戸川区えどがわくには移り住むのを極度におそれた。葛西かさいという名が、旧東京人の父には、市内という観念をいかにしても受付けさせなかった。
渾沌未分 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
いやあ、歩かなくちゃいけないんだ、歩こう歩こう。小金から松戸まつどへ二里だっていった。松戸から葛西かさい、千住まで四里。そうすると、あす中に親方の処まで行けるぞ。(食べ始める)
一本刀土俵入 二幕五場 (新字新仮名) / 長谷川伸(著)
十万余騎を三手に分けて三方より同じくときを作る、入道恵性えしよう驚きて周章あわて騒ぐ処へ、三浦兵六力を得て、江戸、豊島としま葛西かさい、川越、坂東ばんどうの八平氏、武蔵の七党を七手になし、蜘手くもで輪違わちがひ
大菩薩峠:21 無明の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
葛西かさい産同 一二・六〇 四・三〇 一・一八 七七・二一 二・六七 二・〇四
食道楽:春の巻 (新字新仮名) / 村井弦斎(著)
葛西かさい善蔵ときたら、茂緒の家と川一つへだてた、ごみごみの町の長屋にいた。
(新字新仮名) / 壺井栄(著)
小山田おやまだ、江戸、葛西かさいなど七党の兵二千余騎が集められて、再び三浦の衣笠きぬがさの城に攻撃をかけ、一日一夜攻め続けて大介は討ちとり、残った子供たちは九里浜の浦より舟で安房、上総へ渡った
先妻は葛西かさい小岩井村こいわいむらの百姓文左衞門ぶんざえもんの娘で、大根畠だいこんばたけという処に淺井あさい様と云うお旗下はたもとがございまして其の処へ十一歳から奉公をして居りましたから、江戸言葉になりまして、それにごく堅い人で
敵討札所の霊験 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
関東の方では、埼玉県の羽生はにゅう町にネボケ流しがある。これも七日の午前三時頃から床を離れ、葛西かさい用水掘に飛込んで、泳ぎ廻ったのは子供のみでなかった(新聞)。同県熊谷地方ではネム流し。
年中行事覚書 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
現に今語ろうとする蒲生氏郷は、豊臣秀吉即ち当時の主権執行者の命によりて奥羽鎮護の任を帯びて居たのである。然るに葛西かさい大崎の地に一揆いっきが起って、其地の領主木村父子を佐沼の城に囲んだ。
蒲生氏郷 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
ゆく春や葛西かさいの男鋏刀はさみして躑躅つつじを切りぬ居丈ゐだけばかりに
舞姫 (新字旧仮名) / 与謝野晶子(著)
隄空鎖葛西家 つつみにしてむなしくとざ葛西かさいの家
向嶋 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
すでに、葛西かさいやついちめんは、冷たいような猛火みょうかだった。極熱のほのおが燃えきわまると、逆に、しいんと冷寂な「」の世界が降りて来る——。
私本太平記:08 新田帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
河童野郎。八丁堀へでも、葛西かさいの源兵衛堀へでも勝手に行け。おれ達は渡り奉公の人間だ。万一ことれたところで、あとは野となれ、屋敷を
半七捕物帳:11 朝顔屋敷 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
そのうちに、葛西かさい汽船の三十二号から、一人の少年があらわれ、渡り板を踏んで岸へあがると、そこで草履をはいて「千本」の店のほうへ来た。
青べか物語 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
いや、いさんだのさふらふの、瓜井戸うりゐどあねはべたりだが、江戸えどものはコロリとるわ、で、葛西かさいに、栗橋北千住くりはしきたせんぢゆどぢやうなまづを、白魚しらをつて、あごでた。
二た面 (旧字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
お寅の里は葛西かさいの百姓、死体はその日のうちに、親が来て引取りましたが、下手人の見当はまるっきり付きません。
そうして帰途は必ず、何くそ、と反骨をさすり、葛西かさい善蔵の事が、どういうわけだか、きっと思い出され、断乎としてこの着物を手放すまいと固執の念を深めるのである。
服装に就いて (新字新仮名) / 太宰治(著)
大正の十四年ごろ、葛西かさいの船堀、三角あたりでよい型のヤマベが出た。
江戸前の釣り (新字新仮名) / 三遊亭金馬(著)
東京小石川こいしかわの某町に、葛西かさいと云って、もと幕臣であった富裕な家があって、当主の芳郎よしろうと云うのは仏蘭西フランスがえりの少壮民権家として、先輩から望みをしょくされていた。微曇うすぐもりのした風の無い日であった。
赤い花 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
奥羽では葛西かさいや小野寺、南部、千葉などはこの例である。
家の話 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
いや、いさんだのさふらふの、瓜井戸うりゐどあねえは、べたりだが、江戸えどものはころりとるわ、で、葛西かさいに、栗橋くりはし北千住きたせんぢゆ鰌鯰どぢやうなまづを、白魚しらうをつて、あごでた。
片しぐれ (旧字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
昨夜ゆうべはちょうど下女を葛西かさいの在所に帰して、たった一人淋しく暮していると、夜中過ぎに、天窓をコジあけて、覆面の大男が入って来たというのです。
葛西かさいのくらしは平穏で、病気のほうも順調に恢復かいふくしていること、兄や弟たちと畑にも出るし、田の草取りもやった。
さぶ (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
どういう訳か、葛西かさいの源兵衛(源兵衛堀—いまの北十間じっけん川のこと)が名所になっています。
江戸の化物 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
葛西かさいさんがいらした時には、お二人で、雨宮さんの悪口をおっしゃって、憤慨したり、嘲笑ちょうしょうしたりして居られますし、雨宮さんがおいでの時は、雨宮さんに、とても優しくしてあげて
きりぎりす (新字新仮名) / 太宰治(著)
「これはいかぬ。ここは捨てよう。東勝寺へ退け。葛西かさいやつの東勝寺へ移ろうぞ」
私本太平記:08 新田帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
葛西かさいの火事」くそやけ、やけくそだ
昔の言葉と悪口 (新字新仮名) / 三遊亭金馬(著)
江東区の高橋たかばしから出ていた通船、葛西かさい、東湾の両汽船とも、ずっと以前に運行をやめ、もっぱらバスの乗り継ぎに切り替えられた、と聞いていたから
青べか物語 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
頼母たのもしいのと、當人たうにん自慢じまん生白なまじろところへ、足駄あしだをひつくりかへしたのは、門内もんない團右衞門だんゑもんとは隣合となりあはせの當家たうけ家老からう山田宇兵衞やまだうへゑ召使めしつかひの、葛西かさい飯炊めしたき
片しぐれ (旧字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
葛西かさいから婿に来る前は、大神楽だいかぐらの一座にいたそうで、道化は天稟の名人、潮吹ひょっとこの面を冠って、倶利迦羅紋々くりからもんもんの素肌を自慢の勇みの間に交り、二つの扇を持って
河太郎もその一つで、葛西かさいの源兵衛堀で生け捕ったとか、筑後の柳川から連れて来たとか、子供だましのような口上を列べ立てているが、その種はもう大抵の人にも判っていた。
半七捕物帳:19 お照の父 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
Zenzo Kasai, one of the most unfortunate Japanese novelists at present, said,“——葛西かさい善蔵は
猿面冠者 (新字新仮名) / 太宰治(著)
からくも血路を切りひらき、葛西かさいやつへいま引きあげて来たものだった。
私本太平記:08 新田帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
江東区の高橋たかばしから出ていた通船、葛西かさい、東湾の両汽船とも、ずっと以前に運行をやめ、もっぱらバスの乗り継ぎに切り替えられた、と聞いていたから
青べか物語 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
頼母たのもしいのと當人たうにん自慢じまんだけの生白なまじろところへ、足駄あしだをひつくりかへしたのは、門内もんない團右衞門だんゑもんとは隣合となりあはせの當家たうけ家老からう山田宇兵衞やまだうへゑ召仕めしつかへの、まはり葛西かさい飯炊めしたき
二た面 (旧字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
そのお安という五十過ぎの乳母が、番頭の忠五郎に葛西かさいの在にいるのを捜し出され、小松屋へ来て二度目の奉公をしているうちに、私の許嫁のお浜と同じような病気にかかり
千人風呂は葛西かさい善蔵氏の作品でございました。
狂言の神 (新字新仮名) / 太宰治(著)
「十五の年の冬だったっけ、おれが店をとびだして、葛西かさいの田舎へ帰ろうとした、雨に濡れながら両国橋を渡ってると、栄ちゃんが追っかけて来たっけ」
さぶ (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
そのお安といふ五十過ぎの乳母が、番頭の忠五郎に葛西かさいの在に居るのを搜し出され、小松屋へ來て二度目の奉公をして居るうちに、私の許嫁のお濱と同じやうな病氣にかゝり
「いやだ、おら葛西かさいへ帰る」とさぶが云った、「おかみさんに出ていけって云われたんだ、もう三度めなんだ」
さぶ (新字新仮名) / 山本周五郎(著)