素読そどく)” の例文
旧字:素讀
その漢学者からは捨吉もまだ少年の時分に詩経しきょう素読そどくなぞを受けたことのある人だ。茶の間の柱のところへも行ってりかかって見た。
桜の実の熟する時 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
十八史略までは素読そどくを授かった覚えのある七兵衛は、「我をして洛陽負郭二頃らくようふかくにきょうでんあらしめば、いずくんぞよく六国の相印しょういんびんや」
大菩薩峠:22 白骨の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
お祖父様のお仕込みで、小学校入学前に四書の素読そどくが一通り済んでいた私は、その振仮名無しの新聞を平気でスラスラと読んだ。
父杉山茂丸を語る (新字新仮名) / 夢野久作(著)
そこは、八十三郎の部屋なので、机で素読そどくをしながら、矢が、まとへゆかないうちに、窓からよく云いあてて、父を揶揄からかった。
松のや露八 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
初学の者にはずそのガランマチカを教え、素読そどくさずけかたわらに講釈をもして聞かせる。これを一冊読了よみおわるとセインタキスを又そのとおりにして教える。
福翁自伝:02 福翁自伝 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
「伏見宮御使則賢出会之処、過日御相談被進候若江修理大夫女おふみ女御様御素読そどく御頼に被召候而も御差支無之旨御返答也」
津下四郎左衛門 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
習字と漢籍の素読そどくと武芸とだけで固めた吾等の父祖の教育の膳立ては、ともかくも一つのイデオロギーに統一された、筋の通り切ったものであった。
わたくしは齠齔ちょうしんのころ、その時代の習慣によって、はやく既に『大学』の素読そどくを教えられた。成人の後は儒者の文と詩とをしょうすることをたのしみとなした。
西瓜 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
「拙者は長谷倉甚六郎、西国の浪人者だ。十年越しこの町内に住み、うたいや碁の手ほどきから、棒振り剣術、物の本の素読そどくなどを少しばかり教えている」
大津は梅子の案内で久しぶりに富岡先生の居間、即ち彼がそのかみ漢学の素読そどくを授ったへやに通った。無論大学に居た時分、一夏帰省した時もうた事はある。
富岡先生 (新字新仮名) / 国木田独歩(著)
清水しみずがこうたずねたのをしおに、近藤こんどうは悠然とマドロス・パイプの灰をはたきながら、大学の素読そどくでもしそうな声で、おもむろに西洋のうした画の講釈をし始めた。
路上 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
父親ははんでも屈指の漢学者で、漢詩などをよく作った。今は町の役場に出るようになったのでよしたが、三年前までは、町や屋敷の子弟に四書五経ししょごきょう素読そどくを教えたものである。
田舎教師 (新字新仮名) / 田山花袋(著)
尾州にいたりてのちに初めて学にけり。組外れに漢学塾ありたりしが、その門に入りて漢学を修めり。また余の叔父おじなる人にも就きて素読そどくを修めり。藩に学あり、英仏両語を教授す。
二葉亭四迷の一生 (新字新仮名) / 内田魯庵(著)
みよは安之助に少しずつ素読そどくの口まねをさせたり、筆を持たせてかな文字を書かせたりしながら、いとまを惜しんでせっせと草鞋をつくった、海道のことで往来の人は絶え間がなかったから
日本婦道記:箭竹 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
内地の古老から話に聞く寺小屋より、もう一時代前のものとさえ思われる。温突オンドル部屋二た間にあふれるほどつまった小童が、あぐらをかいて身体をゆすぶって大声を挙げながら素読そどくの雑唱をやる。
全羅紀行 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
こゝの所は徳川将軍家のお儒者林大學頭様の仮声こわいろを使わんければならない所でございますが、四書ししょ素読そどくもいたした事のない無学文盲のわたくしには、所詮お解りになるようには申上げられませんが
名人長二 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
例年の通りに、お茶の水の聖堂で素読そどく吟味ぎんみが行なわれた。
半七捕物帳:11 朝顔屋敷 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
「読めなくってよ、いろはにほへとから源平藤橘げんぺいとうきつ、それから三字経さんじきょう千字文せんじもん、四書五経の素読そどくまで俺らは習っているんだ」
大菩薩峠:06 間の山の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
弟の和助の方は、と言うと、これは引き続き学校へ通わせるかたわら、弓夫みずから『詩経』の素読そどくをも授けて来た。
夜明け前:04 第二部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
今の百姓の子供に、四角な漢字の素読そどくを授け、またはその講釈するも、もとより意味を解すものあるべからず。いたずらに双方の手間潰てまつぶしたるべきのみ。
小学教育の事 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
四書五経の素読そどくが八歳の時に相済み、大坪流の馬術、揚真流の居合なんど、免許同然の美事なもの……祖父の与九郎が大自慢という取沙汰で御座りまする
名君忠之 (新字新仮名) / 夢野久作(著)
成善は二年ぜんから海保竹逕ちくけいに学んで、この年十二月二十八日に、六歳にして藩主順承ゆきつぐから奨学金二百匹を受けた。おもなる経史けいし素読そどくおわったためである。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
いはんや方今の青年子女、レツテルの英語は解すれども、四書の素読そどく覚束おぼつかなく、トルストイの名は耳に熟すれども、李青蓮りせいれんの号は眼にうときもの、紛々ふんぷんとして数へ難し。
物語り物でも素読そどくしているらしい抑揚よくようである。声のぬしは、あるじの禅尼より若い女性らしくおもえた。
新書太閤記:10 第十分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
何やら素読そどくの稽古をすまし、一町とは隔つてゐない吾家の門前まで走つてきた時であつた。
冬の夜がたり (新字旧仮名) / 永井荷風(著)
漢学の素読そどくの仕方がまた非常に可笑をかしかつた、文章軌範の韓退之かんたいし宰相さいしやうたてまつるの書を其時分我々は読んで居つたが、それを一種可笑をかしい、調子を附けずには何うしても読めぬので
重右衛門の最後 (新字旧仮名) / 田山花袋(著)
かかるひまにお花と源造に漢書の素読そどく、数学英語の初歩などを授けたが源因もととなり、ともかく、遊んでばかりいてはかえってよくない、少年こどもを集めて私塾しじゅくのようなものでも開いたら
河霧 (新字新仮名) / 国木田独歩(著)
隣の長谷倉甚六郎の浪宅からは、何やら素読そどくを教える声。
父と共に仕えて表医者奥通おくどおりに至り、明治三年に弘前において藩学の小学教授に任ぜられ、同じ年に家督相続をした。小学教授とは素読そどくの師をいうのである。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
少年を率いて学にかしめ、習字・素読そどくよりようやく高きに登り、やや事物の理を解して心事の方向を定むるにいたるまでは、速くして五年、尋常にして七年を要すべし。
徳育如何 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
於通は、菩提山ぼだいさん松琴尼しょうきんにの手許で、源氏げんじ素読そどくを習っていた頃のような調子で、それを読んだ。
新書太閤記:11 第十一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「金沢町の素読そどくの師匠皆川半之丞みながわはんのじょう
竹内は四書の素読そどくを授け、土居、武内は撃剣を教え、その他の人々も思い思いに諸芸の指南をした。
堺事件 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
ほかの者は詩経しきょうを読むの書経しょきょうを読むのとうのに、私は孟子もうし素読そどくをすると云う次第である。
福翁自伝:02 福翁自伝 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
それを、たれともなく持ち出して、素読そどくしたり、輪講りんこうしたりする風が、近ごろ、若い地下人なかまに見えるとは、父忠盛も、いっていたことである。弟も、かぶれ出したにちがいない。
丁度ちょうど上方辺かみがたへん大地震おおじしんのとき、私は先生家の息子に漢書の素読そどくをしてやった跡で、表の井戸端で水をんで、大きな荷桶にないかついで一足ひとあし跡出ふみだすその途端にガタ/″\と動揺ゆれて足がすべ
福翁自伝:02 福翁自伝 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
それで多少興味づけられてから論語や小学の素読そどくへ移った。和書のページの難解な辞句の所には、朱唐紙しゅとうしを小さくちぎり、ちょっと舐めて、疑問の印に、辞句の部分へ貼りつけておいたりする。
少年のとき四書五経の素読そどくついやす年月はおびただしきものなり。字を知りし上にてこれを読めば、独見どくけんにて一月の間に読み終るべし。とかく読書の要は、易きを先にし難きを後にするにあり。
右いずれも素読そどくの教を受く。
慶応義塾新議 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)