神戸こうべ)” の例文
外は十二月の夜で、月が真白まっしろい霜にさえておりました。蟹の出たのは神戸こうべある宿屋の中庭だったのです。あたりはしんとしております。
椰子蟹 (新字新仮名) / 宮原晃一郎(著)
その後大学生時代に神戸こうべと郷里との間を往復する汽船の中でいつも粗悪な平円盤レコードの音に悩まされた印象がかなり強く残っている。
蓄音機 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
日本では、大阪おおさかなり神戸こうべなりからちょっと四国へ渡るにも、船に乗れば、私たちは必ず船員から姓名、住所、年齢等をきかれる。
貧乏物語 (新字新仮名) / 河上肇(著)
これで諭吉ゆきちは、ぶじにふねにのり、いのちびろいをしたわけですが、神戸こうべ宿屋やどやについてみると、東京とうきょう塾頭じゅくとう小幡おばたから、手紙てがみがきていました。
というなつかしい言葉が添えられてあったのでした。かくて十月八日マルセイユ出帆の北野丸に塔乗とうじょうして十一月十七日に神戸こうべに到着されたのです。
ただハルピン育ち、神戸こうべにも大阪にもいたことがあるというだけで、現在名乗っている名前さえ虚僞か本当か分からない。
宝石の序曲 (新字新仮名) / 松本泰(著)
おりから煙をき地をとどろかして、神戸こうべ行きの列車は東より来たり、まさにでんとするこなたの列車と相ならびたり。
小説 不如帰  (新字新仮名) / 徳冨蘆花(著)
爺さんは、船が神戸こうべ横浜よこはまの港に泊っている間じゅう、めずらしい日本の町々を見物するために、背の高いからだを少し前こごみにして、せっせと歩きまわりました。
海からきた卵 (新字新仮名) / 塚原健二郎(著)
「お前もう横浜じゃとてもだめだから、神戸こうべへでも行って見たらどうだね、そのサンパンに乗ってさ。え」
海に生くる人々 (新字新仮名) / 葉山嘉樹(著)
東京に三田みたあり、摂州せっしゅう三田さんだあり。兵庫の隣に神戸こうべあれば、伊勢の旧城下に神戸かんべあり。俗世界の習慣はとても雅学先生の意に適すべからず。貧民は俗世界の子なり。
小学教育の事 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
神戸こうべなる某商館の立者とはかねてひそかに聞き込みいたれど、かくまでにドル臭き方とは思わざりし。
おとずれ (新字新仮名) / 国木田独歩(著)
極東への道をあけるために進んで来た黒船の力が神戸こうべ大坂の開港開市を促した慶応三、四年度のことを引き合いに出すまでもなく、また、日本紀元二千五百余年来
夜明け前:04 第二部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
つづいて神戸こうべの造船所ではたらいている正が、これはいかにも労働者らしくきたえられた面魂つらだましいながら、人のよい笑顔で頭をさげ、きまりわるげに耳のうしろをかいた。
二十四の瞳 (新字新仮名) / 壺井栄(著)
「私も牧野さんに頼まれたから、一度は引き受けて見たようなものの、万一ばれた日にゃ大事おおごとだと、無事に神戸こうべへ上がるまでにゃ、随分これでも気をみましたぜ。」
奇怪な再会 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
京都きょうとの某壮士或る事件を頼まれ、神戸こうべへ赴き三日ばかりで、帰るつもりのところが十日もかかり、その上に示談金が取れず、たくわえの旅費はつかいきり、帰りの汽車賃にも差支さしつか
枯尾花 (新字新仮名) / 関根黙庵(著)
次に静岡しずおか、次に浜松はままつ、それからさらに大阪おおさか神戸こうべ京都きょうと金沢かなざわ長野ながのとまわって、最後さいご甲府市こうふしへ来たときは、秋もぎ、冬もし、春も通りぬけて、ふたたび夏が来ていました。
曲馬団の「トッテンカン」 (新字新仮名) / 下村千秋(著)
「うん、東京にいるのがいやになって、旅に出ていた。実は神戸こうべの辺をブラブラしていたというわけさ。あっちの方は六甲ろっこうといい、有馬ありまといい、舞子まいこ明石あかしといい、全くいいところだネ」
ゴールデン・バット事件 (新字新仮名) / 海野十三(著)
万に一つ治る奇蹟きせきがあるのだろうかと、寺田は希望を捨てず、日頃ひごろけちくさい男だのに新聞広告で見た高価な短波治療機ちりょうきを取り寄せたり、枇杷びわの葉療法の機械を神戸こうべまで買いに行ったりした。
競馬 (新字新仮名) / 織田作之助(著)
こと神戸こうべ停車場ステーションにて、このかばんはかりにかけし時の如き、中にてがらがらと音のしたるを駅員らの怪しみて、これは如何いかなる品物なりやと問われしに傷持つ足の、ハッと驚きしかど、さあらぬていにて
妾の半生涯 (新字新仮名) / 福田英子(著)
おれは日本が好きだ。若いとき、船乗りだったから、横浜や、神戸こうべに、度々たびたび行ったよ。ゲイシャガアルは素晴しいね」とか言い、しわくちゃの顔いっぱいに、歯のまばらな口を開け、笑ってみせます。
オリンポスの果実 (新字新仮名) / 田中英光(著)
近いところでは神戸こうべにも、このネンガラという語が行なわれていた。
こども風土記 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
いよいよ西洋へ出発となって神戸こうべまで行ったらあす船に乗るという日に、もう前歯の前面に取り付けた陶器の歯が後面の金板から脱落した。
自由画稿 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
当時の鉄道と言えば、支線として早く完成せられた東京横浜間を除いては、神戸こうべ京都間、それに前年ようやく起工の緒についた京都大津おおつ間を数えるに過ぎなかった。
夜明け前:04 第二部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
外国奉行がいこくぶぎょう竹内下野守たけうちしもつけのかみ松平石見守まつだいらいわみのかみ京極能登守きょうごくのとのかみの三にん使節しせつで、その役目やくめは、まえにやくそくしていた江戸えど大阪おおさか兵庫ひょうご神戸こうべ)・新潟にいがたでとりひきをはじめるのを
御隠居様も御姫様も中津なかつの浜から船にのっ馬関ばかんに行き、馬関で蒸気船に乗替えて神戸こうべと、すべての用意調ととのい、いよ/\中津の船に乗て夕刻沖の方に出掛けた処が生憎あいにく風がない
福翁自伝:02 福翁自伝 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
「わかったとも、大わかりだ、」と楠公なんこうやしろに建てられて、ポーツマウス一件のために神戸こうべ市中をひきずられたという何侯爵なんのこうしゃくの銅像を作った名誉の彫刻家が、子供のようにわめいた。
号外 (新字新仮名) / 国木田独歩(著)
それは、三郎と同郷の、神戸こうべ生れの艇夫で、鳥原彦吉とりはらひこきちという男であった。彼は、やさしい男で、そして艇夫には似あわぬものしりだった。三郎は、彼を、ほんとうの兄のように思っていた。
大宇宙遠征隊 (新字新仮名) / 海野十三(著)
船が動き出すと同時に、奥さんが顔にハンケチを当てたのを見た。「秋風の一人を吹くや海の上」という句をはがきに書いて神戸こうべからよこされた。
夏目漱石先生の追憶 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
神戸こうべ村の東の寂しく荒れはてた海浜に新しい運上所うんじょうしょが建てられ、それが和洋折衷の建築であり
夜明け前:03 第二部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
神奈川かながわ横浜よこはま)・長崎ながさき新潟にいがた兵庫ひょうご神戸こうべ)のみなとをひらくことがきめられました。
老母の大坂見物も叶わずさて神戸こうべついた処で、母は天保七年、大阪をさってから三十何年になる、誠に久し振りの事であるから、今度こそ大阪、京都方々ほうぼうを思うさま見物させてよろこばせようと
福翁自伝:02 福翁自伝 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
いよいよ東京を立って横浜よこはままでは汽車で行ったが、当時それから西はもう鉄道はなかったので、汽船で神戸こうべまで行くか人力じんりきで京都まで行くほかはなかった。
蒸発皿 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
当時は西の京都神戸こうべ方面よりする鉄道工事も関ヶ原辺までしか延びて来ていない。
夜明け前:04 第二部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
ねがえりの耳に革鞄の仮枕いたずらに堅きも悲しく心細くわれながら浅猿あさましき事なり。残夢再びさむれば、もう神戸こうべが見えますると隣りの女に告ぐるボーイの声。
東上記 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
そういうわたしは、相州そうしゅう鎌倉かまくらにも小田原にも、上総かずさ富津ふっつにも時を送ったことがあり、西は四日市よっかいち神戸こうべ須磨すま明石あかしから土佐とさの高知まで行って見て、まんざら海を知らないでもありませんでした。
力餅 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
そしてハース氏夫妻、神戸こうべからいっしょのアメリカの老嬢二人、それに一等のN氏とを食堂に招待してお茶を入れた。菓子はウェーファースとビスケットであった。
旅日記から (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
横浜よこはまであったか、神戸こうべであったか、それすらはっきりしないが、とにかくそういう港町の宿屋に、両親に伴なわれてたった一晩泊まったその夜のことであったらしい。
涼味数題 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
神戸こうべからずっといっしょであった米国の老嬢二人も、コンチャーの家族も、いよいよここで下船して、ジェルサレムへ、エジプトへ、思い思いに別れて行くのであった。
旅日記から (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
そうして東京、横浜よこはま沼津ぬまづ静岡しずおか浜松はままつ名古屋なごや大阪おおさか神戸こうべ岡山おかやま広島ひろしまから福岡ふくおかへんまで一度に襲われたら、その時はいったいわが日本の国はどういうことになるであろう。
時事雑感 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
神戸こうべ東京間でこのへんに限って雪が深いのが私には不思議であった。現に雪の降っていない時でも伊吹山の上だけには雪雲が低くたれ下がって迷っている場合が多かったように記憶している。
伊吹山の句について (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
神戸こうべで乗った時は全体で九人であったのに。
旅日記から (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)