殷賑いんしん)” の例文
日本一の都、殷賑いんしんを極めた江戸の大町人達が、手もとに集まつて來る黄金を、何處に隱して置いたか、考へて見てもわかることです。
私のいわゆる神楽坂プロパーと等しなみの殷賑いんしんを見るに至り、なお次第に矢来方面に向って急激な発展をなしつつある有様である。
早稲田神楽坂 (新字新仮名) / 加能作次郎(著)
したがって厩橋城下は殷賑いんしんを極め、武士の往来は雑とうし、商家は盛んに、花街はどんちゃん騒ぎの絶え間がなかったという。
純情狸 (新字新仮名) / 佐藤垢石(著)
大坂の殷賑いんしんは、三郎兵衛の眼を驚かした。この新都市の一月か半月の変化は、他地方の十年二十年にもまさる発展ぶりである。
新書太閤記:10 第十分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
大内は西国の大大名で有った上、四国中国九州諸方から京洛きょうらくへの要衝の地であったから、政治上交通上経済上に大発達を遂げて愈々いよいよ殷賑いんしんを加えた。
雪たたき (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
そして左手遠くなだらかな丘のふもと殷賑いんしんな市街を見下ろした雄大な景色は莫迦ばかにしていた私の想像を根柢から裏切って、思わず眼をみはらしめたのであった。
ナリン殿下への回想 (新字新仮名) / 橘外男(著)
当時この市場の近くに、近代的な高層建築の百貨店が出来ていたが、この方は至って淋しく、この大市場は殷賑いんしんを極めており、興味ある対照をなしていた。
鷺町の殷賑いんしんのさまは、空にみなぎる煤煙と、障子の外に響く歓声嬌声とに説明を任せまして、わたくしの身の上に就て関係のあることだけを述べて行きましょう。
生々流転 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
帝都最大の殷賑いんしん地帯、ネオン・ライトの闇夜の虹が、幾万の通行者を五色にそめるG街、その表通りを一歩裏へ入ると、そこにこの都の暗黒街が横たわっている。
黒蜥蜴 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
伊万里町は殷賑いんしんなること昔時に及ばずといふ。ここより盛に陶磁器を輸出せし時代やいかなりけむ。
松浦あがた (新字旧仮名) / 蒲原有明(著)
嵐のような参詣者や信者の群の跫音あしおと話声と共に耳をろうするばかりの、どんつくどんどんつくつくと鳴る太鼓の音が空低しとばかりに響き渡る、殷賑いんしんを極めた夜であった。
放浪作家の冒険 (新字新仮名) / 西尾正(著)
その辺には洋食屋やカフエ、映画館などもあり、殷賑いんしん地帯で、芸者の数も今銀子のいる東京のこの土地と乙甲おつかつで、旅館料理屋兼業の大きい出先に、料亭りょうていも幾つかあった。
縮図 (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
一時は松村辰次郎の手に渡り、再び浜野のもとに帰った因縁つきの邸であるが、機を見るに敏な浜野といえども、今日の殷賑いんしんな光景は恐らく予想し得なかったところであろう。
四谷、赤坂 (新字新仮名) / 宮島資夫(著)
問屋の帳場が揚荷の帳付ちょうつけ。小買人が駆廻る、仲買が声をらす。一方では競売せりが始まっていると思うと、こちらでは荷主と問屋が手をめる。雑然、紛然、見る眼を驚かす殷賑いんしん
水へ向っては殷賑いんしんを予想されるのでありますが、今はそれが裏切られて行くような筋道にも、弁信はさのみ失望しなかったと見えて、その草叢くさむらの中を進み進んで行きますうちに
大菩薩峠:36 新月の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
東京が焼け原になってしまって何一つ無くなった、ということも、殷賑いんしんだった東京と、その店々の印象を大切にもっている母には事実を疑わないまでも実感から遠いことであろう。
播州平野 (新字新仮名) / 宮本百合子(著)
だから、僕等はニューヨークの殷賑いんしんを想像しながら無数の摩天閣の聳ゆる市街を眺めても、近代主義の墓地のようで、石塔や塔婆の林立する墓所を観ているようにも思えるのである。
パリの散策 (新字新仮名) / 辰野隆(著)
資産かねのあるにまかせて、堀留から蠣殻町まで、最も殷賑いんしんな人形町通りを、取りまき出入りの者を引きしたがえて、くるわのなかを、大尽だいじん客がそぞめかすように、日ごとの芝居茶屋通いで
鉄道開通以来、土地の人が頑固で、折角せっかくの停車場の設置をがえんぜなかったばかりに、木曾下流の渡船場として殷賑いんしんであったこの笠松街道もさっぱり寂れてしまったということであった。
木曾川 (新字新仮名) / 北原白秋(著)
一時はあれほど殷賑いんしんをきわめた夜の逃亡も、次第に人足が減じて来たのである。
壊滅の序曲 (新字新仮名) / 原民喜(著)
途中たがいにもの言うにさえ、声の疲れた……激しい人の波を泳いで来た、殷賑いんしん心斎橋しんさいばし高麗橋こうらいばしと相並ぶ、天満の町筋をとおしてであるにもかかわらず、説き難き一種寂寞せきばくの感が身に迫った。
南地心中 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
なんという殷賑いんしんな、そして莫大な田舎町ヒック・バアグであろう! これが私の組織を電閃フラッシし去った正直な第一印象だった。見わたすところ、家も人も路も権威ある濃灰色オクスフォウドの一いろの歴史的凝結にすぎない。
大正末から昭和初頭の寄席不況時代も大阪の落語界はかなりに殷賑いんしんをきわめていた(事変後急に漫才を重点的に起用しだしてからこの東西の位置は顛倒てんとうしだし、しばらく東京方から挽回しだした)
わが寄席青春録 (新字新仮名) / 正岡容(著)
シカゴは商工業ともに殷賑いんしんをきわめているひどく汚い街である。煖房としては、無煙炭しかいてはいけない規則になっているのだそうであるが、どの建物もひどくすすけ、道路もかなり乱雑である。
ウィネッカの秋 (新字新仮名) / 中谷宇吉郎(著)
豊田の郷はもう昔年のさびれた屋並みではなく、商戸も市も繁昌を見せ始め、この地方の小首都らしい殷賑いんしんを呈してきた。
平の将門 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
公議所フォラム裁判所パシリカ闘技場コロスシウム、公衆浴場、……貴族の邸は立ちつらなり諸国からの朝貢は織るがごとく、市街は殷賑いんしんを極めこのたった一つの建物を取りこほって船に積んではこぶだけでも
ウニデス潮流の彼方 (新字新仮名) / 橘外男(著)
今島田附近は、ああして殷賑いんしん工場多く、大抵田地一二丁もってそっちは老人夫婦がやっていて、若いもの夫婦は工場がよいしてゆくというのが、理想の縁談とされているのだそうです。
喧騒と臭気と極彩色と殷賑いんしんと音響のなかを大通りキタイスカヤ街へ出た。
踊る地平線:01 踊る地平線 (新字新仮名) / 谷譲次(著)
支那街の異臭、雑沓ざっとう、商業街の殷賑いんしん、私たちはそれ等を車の窓から見た。ここまで来る航行の途中で、上海シャンハイ香港ホンコン船繋ふながかりの間に、西洋らしい都会の景色も、支那らしい町の様子もすでに見て来た。
河明り (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
のぼりが並ぶ。銀座と六区とを一つにしたように殷賑いんしんである。
フレップ・トリップ (新字新仮名) / 北原白秋(著)
むなしく、干し柿は見過ごしてしまったが、程なく木曾第一の殷賑いんしんな地、信濃しなの福島の町中へさしかかると、折から陽も八刻やつ頃だし、腹もり頃なので
宮本武蔵:06 空の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
AH! 殷賑いんしんをきわめる空の交通整理よ! 行ってしまった。
踊る地平線:04 虹を渡る日 (新字新仮名) / 谷譲次(著)
いま江戸は、開府創市の機運にあい、どこもかしこも埋立てるやら屋敷や町家をたてるやら、また道路や橋工事などに、ほこりだって、殷賑いんしんをきわめていた。
剣の四君子:05 小野忠明 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
河北の広大をあわせ、遼東りょうとう遼西りょうせいからもみつぎせられ、王城の府許都きょとの街は、年々の殷賑いんしんに拍車をかけて、名実ともに今や中央の府たる偉観と規模の大を具備してきた。
三国志:06 孔明の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
連れは、柴進と戴宗たいそうと、そして浪子ろうし燕青えんせいだけをつれ、あとは自由行動にさせておいたのである。いわゆる六街三市の人口やその殷賑いんしんは、さすが大宋の帝都で何ともたたえようがない。
新・水滸伝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
この殷賑いんしんに立って、さかんなる夕べの楽音を耳にし、万斛ばんこくの油が一夜にともされるという騒曲の灯の、宵早き有様を眺むれば、むしろ、世を憂え嘆く者のことばが不思議なくらいである。
三国志:02 桃園の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
そして、町屋の殷賑いんしんなさまや軒毎のいとなみを見て、心からうれしそうにつぶやいた。
梅里先生行状記 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
安土の殷賑いんしん二十日はつか正月を過ぎても衰えは見えない。旅客の往還と、参府帰府の諸侯は相かわらずはげしいし、街道にお使番の早馬や、他国の使臣の寛々かんかんたる歩みを見ない日もなかった。
新書太閤記:06 第六分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
呉用はほっとしながらも、わざと悠々、関内かんないへ入って行く。たちまち、目もあやに織られるばかりな大名府の殷賑いんしんな繁華街が果てなくひらかれ、ともすれば、李逵りきは迷子になりそうだった。
新・水滸伝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
今にも戦争が始まる、織田軍が侵入してくると、昼ながら堺の殷賑いんしんもまるで墓場のようにさびれているのに、塗師ぬしの亭主だけは、きょうも漆桶うるしおけと共に、ぽつねんと、薄暗い店に坐っている。
新書太閤記:03 第三分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
遠い唐の時代からかまが築かれ、宋元の頃には、宮廷の御用品を焼く官窯かんようが出来、それに附随する役所だの、商家だの、職人町などで、当時、支那第一の陶府とうふといわれるほど殷賑いんしんを極めていた。
新書太閤記:01 第一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
帰洛きらくの公卿行列を見送るとまもなく、浜松には、師走しわすの風景が訪れていた。歳暮の市は、年ごとに殷賑いんしんを呈した。ここにも、増大してゆく国の富強が見られ、むかしを知っている市の古老は
新書太閤記:10 第十分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
けれど首府の殷賑いんしんがそのまま朝廷の盛大をあらわすものとはいえなかった。
三国志:05 臣道の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
四川の名は、それに起因おこる。河川流域の盆地は、米、麦、桐油、木材などの天産豊かであり、気候温暖、人種は漢代初期からすでに多くの漢民族が入って、いわゆる巴蜀文化の殷賑いんしんを招来していた。
三国志:08 望蜀の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)