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殷賑
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いんしん
ふりがな文庫
“
殷賑
(
いんしん
)” の例文
日本一の都、
殷賑
(
いんしん
)
を極めた江戸の大町人達が、手もとに集まつて來る黄金を、何處に隱して置いたか、考へて見てもわかることです。
銭形平次捕物控:306 地中の富
(旧字旧仮名)
/
野村胡堂
(著)
私のいわゆる神楽坂プロパーと等しなみの
殷賑
(
いんしん
)
を見るに至り、なお次第に矢来方面に向って急激な発展をなしつつある有様である。
早稲田神楽坂
(新字新仮名)
/
加能作次郎
(著)
したがって厩橋城下は
殷賑
(
いんしん
)
を極め、武士の往来は雑
鬧
(
とう
)
し、商家は盛んに、花街はどんちゃん騒ぎの絶え間がなかったという。
純情狸
(新字新仮名)
/
佐藤垢石
(著)
大坂の
殷賑
(
いんしん
)
は、三郎兵衛の眼を驚かした。この新都市の一月か半月の変化は、他地方の十年二十年にも
勝
(
まさ
)
る発展ぶりである。
新書太閤記:10 第十分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
大内は西国の大大名で有った上、四国中国九州諸方から
京洛
(
きょうらく
)
への要衝の地であったから、政治上交通上経済上に大発達を遂げて
愈々
(
いよいよ
)
殷賑
(
いんしん
)
を加えた。
雪たたき
(新字新仮名)
/
幸田露伴
(著)
▼ もっと見る
そして左手遠くなだらかな丘の
麓
(
ふもと
)
に
殷賑
(
いんしん
)
な市街を見下ろした雄大な景色は
莫迦
(
ばか
)
にしていた私の想像を根柢から裏切って、思わず眼を
瞠
(
みは
)
らしめたのであった。
ナリン殿下への回想
(新字新仮名)
/
橘外男
(著)
当時この市場の近くに、近代的な高層建築の百貨店が出来ていたが、この方は至って淋しく、この大市場は
殷賑
(
いんしん
)
を極めており、興味ある対照をなしていた。
一商人として:――所信と体験――
(新字新仮名)
/
相馬愛蔵
、
相馬黒光
(著)
鷺町の
殷賑
(
いんしん
)
のさまは、空に
漲
(
みなぎ
)
る煤煙と、障子の外に響く歓声嬌声とに説明を任せまして、わたくしの身の上に就て関係のあることだけを述べて行きましょう。
生々流転
(新字新仮名)
/
岡本かの子
(著)
帝都最大の
殷賑
(
いんしん
)
地帯、ネオン・ライトの闇夜の虹が、幾万の通行者を五色にそめるG街、その表通りを一歩裏へ入ると、そこにこの都の暗黒街が横たわっている。
黒蜥蜴
(新字新仮名)
/
江戸川乱歩
(著)
伊万里町は
殷賑
(
いんしん
)
なること昔時に及ばずといふ。ここより盛に陶磁器を輸出せし時代やいかなりけむ。
松浦あがた
(新字旧仮名)
/
蒲原有明
(著)
嵐のような参詣者や信者の群の
跫音
(
あしおと
)
話声と共に耳を
聾
(
ろう
)
するばかりの、どんつくどんどんつくつくと鳴る太鼓の音が空低しとばかりに響き渡る、
殷賑
(
いんしん
)
を極めた夜であった。
放浪作家の冒険
(新字新仮名)
/
西尾正
(著)
その辺には洋食屋やカフエ、映画館などもあり、
殷賑
(
いんしん
)
地帯で、芸者の数も今銀子のいる東京のこの土地と
乙甲
(
おつかつ
)
で、旅館料理屋兼業の大きい出先に、
料亭
(
りょうてい
)
も幾つかあった。
縮図
(新字新仮名)
/
徳田秋声
(著)
一時は松村辰次郎の手に渡り、再び浜野の
許
(
もと
)
に帰った因縁つきの邸であるが、機を見るに敏な浜野といえども、今日の
殷賑
(
いんしん
)
な光景は恐らく予想し得なかったところであろう。
四谷、赤坂
(新字新仮名)
/
宮島資夫
(著)
問屋の帳場が揚荷の
帳付
(
ちょうつけ
)
。小買人が駆廻る、仲買が声を
嗄
(
か
)
らす。一方では
競売
(
せり
)
が始まっていると思うと、こちらでは荷主と問屋が手を
〆
(
し
)
める。雑然、紛然、見る眼を驚かす
殷賑
(
いんしん
)
。
平賀源内捕物帳:長崎ものがたり
(新字新仮名)
/
久生十蘭
(著)
水へ向っては
殷賑
(
いんしん
)
を予想されるのでありますが、今はそれが裏切られて行くような筋道にも、弁信はさのみ失望しなかったと見えて、その
草叢
(
くさむら
)
の中を進み進んで行きますうちに
大菩薩峠:36 新月の巻
(新字新仮名)
/
中里介山
(著)
東京が焼け原になってしまって何一つ無くなった、ということも、
殷賑
(
いんしん
)
だった東京と、その店々の印象を大切にもっている母には事実を疑わないまでも実感から遠いことであろう。
播州平野
(新字新仮名)
/
宮本百合子
(著)
だから、僕等はニューヨークの
殷賑
(
いんしん
)
を想像しながら無数の摩天閣の聳ゆる市街を眺めても、近代主義の墓地のようで、石塔や塔婆の林立する墓所を観ているようにも思えるのである。
パリの散策
(新字新仮名)
/
辰野隆
(著)
資産
(
かね
)
のあるにまかせて、堀留から蠣殻町まで、最も
殷賑
(
いんしん
)
な人形町通りを、取りまき出入りの者を引きしたがえて、
廓
(
くるわ
)
のなかを、
大尽
(
だいじん
)
客がそぞめかすように、日ごとの芝居茶屋通いで
旧聞日本橋:24 鬼眼鏡と鉄屑ぶとり(続旧聞日本橋・その三)
(新字新仮名)
/
長谷川時雨
(著)
鉄道開通以来、土地の人が頑固で、
折角
(
せっかく
)
の停車場の設置を
肯
(
がえん
)
ぜなかったばかりに、木曾下流の渡船場として
殷賑
(
いんしん
)
であったこの笠松街道もさっぱり寂れてしまったということであった。
木曾川
(新字新仮名)
/
北原白秋
(著)
一時はあれほど
殷賑
(
いんしん
)
をきわめた夜の逃亡も、次第に人足が減じて来たのである。
壊滅の序曲
(新字新仮名)
/
原民喜
(著)
途中
互
(
たがい
)
にもの言うにさえ、声の疲れた……激しい人の波を泳いで来た、
殷賑
(
いんしん
)
、
心斎橋
(
しんさいばし
)
、
高麗橋
(
こうらいばし
)
と相並ぶ、天満の町筋を
徹
(
とお
)
してであるにもかかわらず、説き難き一種
寂寞
(
せきばく
)
の感が身に迫った。
南地心中
(新字新仮名)
/
泉鏡花
(著)
なんという
殷賑
(
いんしん
)
な、そして莫大な
田舎町
(
ヒック・バアグ
)
であろう! これが私の組織を
電閃
(
フラッシ
)
し去った正直な第一印象だった。見わたすところ、家も人も路も権威ある
濃灰色
(
オクスフォウド
)
の一いろの歴史的凝結にすぎない。
踊る地平線:02 テムズに聴く
(新字新仮名)
/
谷譲次
(著)
大正末から昭和初頭の寄席不況時代も大阪の落語界はかなりに
殷賑
(
いんしん
)
をきわめていた(事変後急に漫才を重点的に起用しだしてからこの東西の位置は
顛倒
(
てんとう
)
しだし、しばらく東京方から挽回しだした)
わが寄席青春録
(新字新仮名)
/
正岡容
(著)
シカゴは商工業ともに
殷賑
(
いんしん
)
をきわめているひどく汚い街である。煖房としては、無煙炭しか
焚
(
た
)
いてはいけない規則になっているのだそうであるが、どの建物もひどく
煤
(
すす
)
け、道路もかなり乱雑である。
ウィネッカの秋
(新字新仮名)
/
中谷宇吉郎
(著)
豊田の郷はもう昔年のさびれた屋並みではなく、商戸も市も繁昌を見せ始め、この地方の小首都らしい
殷賑
(
いんしん
)
を呈してきた。
平の将門
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
公議所
(
フォラム
)
、
裁判所
(
パシリカ
)
、
闘技場
(
コロスシウム
)
、公衆浴場、……貴族の邸は立ち
列
(
つら
)
なり諸国からの朝貢は織るがごとく、市街は
殷賑
(
いんしん
)
を極めこのたった一つの建物を取り
毀
(
こほ
)
って船に積んで
搬
(
はこ
)
ぶだけでも
ウニデス潮流の彼方
(新字新仮名)
/
橘外男
(著)
今島田附近は、ああして
殷賑
(
いんしん
)
工場多く、大抵田地一二丁もってそっちは老人夫婦がやっていて、若いもの夫婦は工場がよいしてゆくというのが、理想の縁談とされているのだそうです。
獄中への手紙:06 一九三九年(昭和十四年)
(新字新仮名)
/
宮本百合子
(著)
喧騒と臭気と極彩色と
殷賑
(
いんしん
)
と音響のなかを大通りキタイスカヤ街へ出た。
踊る地平線:01 踊る地平線
(新字新仮名)
/
谷譲次
(著)
支那街の異臭、
雑沓
(
ざっとう
)
、商業街の
殷賑
(
いんしん
)
、私たちはそれ等を車の窓から見た。ここまで来る航行の途中で、
上海
(
シャンハイ
)
と
香港
(
ホンコン
)
の
船繋
(
ふながか
)
りの間に、西洋らしい都会の景色も、支那らしい町の様子もすでに見て来た。
河明り
(新字新仮名)
/
岡本かの子
(著)
幟
(
のぼり
)
が並ぶ。銀座と六区とを一つにしたように
殷賑
(
いんしん
)
である。
フレップ・トリップ
(新字新仮名)
/
北原白秋
(著)
空
(
むな
)
しく、干し柿は見過ごしてしまったが、程なく木曾第一の
殷賑
(
いんしん
)
な地、
信濃
(
しなの
)
福島の町中へさしかかると、折から陽も
八刻
(
やつ
)
頃だし、腹も
減
(
へ
)
り頃なので
宮本武蔵:06 空の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
AH!
殷賑
(
いんしん
)
をきわめる空の交通整理よ! 行ってしまった。
踊る地平線:04 虹を渡る日
(新字新仮名)
/
谷譲次
(著)
いま江戸は、開府創市の機運にあい、どこもかしこも埋立てるやら屋敷や町家をたてるやら、また道路や橋工事などに、
埃
(
ほこり
)
だって、
殷賑
(
いんしん
)
をきわめていた。
剣の四君子:05 小野忠明
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
河北の広大をあわせ、
遼東
(
りょうとう
)
や
遼西
(
りょうせい
)
からも
貢
(
みつ
)
ぎせられ、王城の府
許都
(
きょと
)
の街は、年々の
殷賑
(
いんしん
)
に拍車をかけて、名実ともに今や中央の府たる偉観と規模の大を具備してきた。
三国志:06 孔明の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
連れは、柴進と
戴宗
(
たいそう
)
と、そして
浪子
(
ろうし
)
燕青
(
えんせい
)
だけをつれ、あとは自由行動にさせておいたのである。いわゆる六街三市の人口やその
殷賑
(
いんしん
)
は、さすが大宋の帝都で何とも
讃
(
たた
)
えようがない。
新・水滸伝
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
この
殷賑
(
いんしん
)
に立って、
旺
(
さかん
)
なる夕べの楽音を耳にし、
万斛
(
ばんこく
)
の油が一夜にともされるという騒曲の灯の、宵早き有様を眺むれば、むしろ、世を憂え嘆く者のことばが不思議なくらいである。
三国志:02 桃園の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
そして、町屋の
殷賑
(
いんしん
)
なさまや軒毎の
営
(
いとな
)
みを見て、心からうれしそうにつぶやいた。
梅里先生行状記
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
安土の
殷賑
(
いんしん
)
は
二十日
(
はつか
)
正月を過ぎても衰えは見えない。旅客の往還と、参府帰府の諸侯は相かわらず
繁
(
はげ
)
しいし、街道にお使番の早馬や、他国の使臣の
寛々
(
かんかん
)
たる歩みを見ない日もなかった。
新書太閤記:06 第六分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
呉用はほっとしながらも、わざと悠々、
関内
(
かんない
)
へ入って行く。たちまち、目も
綾
(
あや
)
に織られるばかりな大名府の
殷賑
(
いんしん
)
な繁華街が果てなく
展
(
ひら
)
かれ、ともすれば、
李逵
(
りき
)
は迷子になりそうだった。
新・水滸伝
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
今にも戦争が始まる、織田軍が侵入してくると、昼ながら堺の
殷賑
(
いんしん
)
もまるで墓場のようにさびれているのに、
塗師
(
ぬし
)
の亭主だけは、きょうも
漆桶
(
うるしおけ
)
と共に、ぽつねんと、薄暗い店に坐っている。
新書太閤記:03 第三分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
遠い唐の時代から
窯
(
かま
)
が築かれ、宋元の頃には、宮廷の御用品を焼く
官窯
(
かんよう
)
が出来、それに附随する役所だの、商家だの、職人町などで、当時、支那第一の
陶府
(
とうふ
)
といわれるほど
殷賑
(
いんしん
)
を極めていた。
新書太閤記:01 第一分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
帰洛
(
きらく
)
の公卿行列を見送るとまもなく、浜松には、
師走
(
しわす
)
の風景が訪れていた。歳暮の市は、年ごとに
殷賑
(
いんしん
)
を呈した。ここにも、増大してゆく国の富強が見られ、むかしを知っている市の古老は
新書太閤記:10 第十分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
けれど首府の
殷賑
(
いんしん
)
がそのまま朝廷の盛大をあらわすものとはいえなかった。
三国志:05 臣道の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
四川の名は、それに
起因
(
おこ
)
る。河川流域の盆地は、米、麦、桐油、木材などの天産豊かであり、気候温暖、人種は漢代初期からすでに多くの漢民族が入って、いわゆる巴蜀文化の
殷賑
(
いんしん
)
を招来していた。
三国志:08 望蜀の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
殷
漢検1級
部首:⽎
10画
賑
漢検準1級
部首:⾙
14画
“殷”で始まる語句
殷々
殷
殷鑑
殷盛
殷富
殷紅
殷懃
殷直閣
殷紂
殷馗