橋場はしば)” の例文
町人といっても、人形町にんぎょうちょうの三河屋という大きい金物問屋で、そこのお内儀かみさんがとかく病身のために橋場はしばの寮に出養生をしている。
籠釣瓶 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
その得意先とくいさきの一けん橋場はしば妾宅せふたくにゐる御新造ごしんぞがおいと姿すがたを見て是非ぜひ娘分むすめぶんにして行末ゆくすゑ立派りつぱな芸者にしたてたいと云出いひだした事からである。
すみだ川 (新字旧仮名) / 永井荷風(著)
あっしは十時に店を閉めて、お由が留守だから久し振りでたまへ行って見る気になりました。今戸から橋場はしばをぬけて白鬚橋しらひげばしを渡ったんです。
白蛇の死 (新字新仮名) / 海野十三(著)
「二人ともよく泳ぐさうですよ、——もつとも女共は皆んな徳利とつくりだ、少しでも泳げさうなのは、橋場はしばで育つたお袖位のもので」
これから妻籠つまごの方へ向かって行きますと、橋場はしばというところがありますよ。あの大橋を渡ると、道が二つに分かれていまして、右が伊那道です。
夜明け前:01 第一部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
これよりさき帝国大学に在学しておった高田、天野諸氏は、当時橋場はしばすまったあずさ君を休日に訪問し、我が国の時事を談論することを常としていた。
東洋学人を懐う (新字新仮名) / 大隈重信(著)
「そうじゃあねえ、おいら初め橋場はしばの親分まで、このところ可笑おかしいくれえの不漁しけさ、このまま三日もいれあ人間の干乾しが出来ようてえ始末なんだ」
お美津簪 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
しやちくぢらなかへ、芝海老しばえびごとく、まれぬばかりに割込わりこんで、ひとほつ呼吸いきをついて、橋場はしば今戸いまど朝煙あさけむりしづ伏屋ふせや夕霞ゆふがすみ、とけむながめて、ほつねんと煙草たばこむ。
大阪まで (旧字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
国家老を引出しましたのは市ヶ谷原町はらまちのお出入町人秋田屋清左衞門あきたやせいざえもんという者の別荘が橋場はしばにあります。
菊模様皿山奇談 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
「兄弟分の橋場はしばの大将と、河岸の親分とがよろしいというので、一緒に行ってくれたそうだ」
娘煙術師 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
浅草の橋場はしば中川口なかかわぐちのお船改番所ふなあらためばんしょの関所をしめ、下り船の船どめをして一艘ずつしらみつぶしに調べあげているんですが、いまだに、なんの手がかりもねえようなわけなんで……。
顎十郎捕物帳:07 紙凧 (新字新仮名) / 久生十蘭(著)
正面まともに見てまぶしくない大きな黄銅色しんちゅういろ日輪にちりんが、今しも橋場はしば杉木立すぎこだちに沈みかけた所である。
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)
橋場はしば玉川軒ぎょくせんけんう茶式料理屋で、一中節いっちゅうぶしの順講があった。
老年 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
その得意先とくいさきの一軒で橋場はしば妾宅しょうたくにいる御新造ごしんぞがお糸の姿を見て是非娘分むすめぶんにして行末ゆくすえは立派な芸者にしたてたいといい出した事からである。
すみだ川 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
「あれを——氣が付きませんか、橋場はしばのあたりでせう。闇の中に尾を引いて、人魄ひとだまが飛びましたよ」
「どうも仕方がない。これから橋場はしばへ一緒に行って、わたしから主人によく詫びてやろう」
籠釣瓶 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
鼻緒の下請負したうけおいは、同じ区内の今戸いまどとか橋場はしばあたりの隣町となりまちの、おびただしい家庭工場で、しんを固めたり、麻縄あさなわを通したり、その上から色彩さまざまのさやになった鼻緒をかぶせたり、それが出来ると
空襲葬送曲 (新字新仮名) / 海野十三(著)
月島つきしま埋立工事うめたてこうじが出来上ると共に、築地つきぢの海岸からはあらた曳船ひきふねの渡しが出来た。向島むかうじまには人の知る竹屋たけやわたしがあり、橋場はしばには橋場はしばわたしがある。
水 附渡船 (新字旧仮名) / 永井荷風(著)
橋場はしばの親類のうちにいるじゃあねえか。熊が出るなんて詰まらねえ囈言うわごとを云って、娘はもう一度橋場へやって貰おうという算段だろう。火事が取り持つ縁とは、とんだ八百屋お七だ。
半七捕物帳:29 熊の死骸 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
月島つきしまの埋立工事が出来上ると共に、築地つきじの海岸からは新に曳船ひきふねの渡しが出来た。向島むこうじまには人の知る竹屋たけやの渡しがあり、橋場はしばには橋場の渡しがある。
そうですか。わたくしは橋場はしばまでお寺まいりに……。毎月一遍ずつは顔を
半七捕物帳:10 広重と河獺 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
其後そのご父親が死んだをりには差当さしあたり頼りのない母親は橋場はしば御新造ごしんぞの世話で今の煎餅屋せんべいやを出したやうな関係もあり
すみだ川 (新字旧仮名) / 永井荷風(著)
主人夫婦と娘とは橋場はしばの親類の方へ立ち退いているとのことであった。
半七捕物帳:29 熊の死骸 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
「あの、ィ………四つ目の瓦斯燈ガスとうの出てるところだよ。松葉屋まつばやと書いてあるだらう。ね。あのうちよ。」とおいとしば/\橋場はしば御新造ごしんぞにつれて来られたり
すみだ川 (新字旧仮名) / 永井荷風(著)
この時代の町奴の習いとして、その他の者共も並木なみき長吉ちょうきち橋場はしば仁助にすけ聖天しょうでん万蔵まんぞう田町たまち弥作やさくと誇り顔に一々名乗った。もうこうなっては敵も味方も無事に別れることの出来ない破目になった。
番町皿屋敷 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
俳諧師のむれ瓢箪ひょうたんを下げて江東こうとうの梅花に「ややとゝのふ春の景色」を探って歩き、蔵前くらまえの旦那衆は屋根舟に芸者と美酒とを載せて、「ほんに田舎もましば橋場はしば今戸いまど
夏の町 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
あるいは橋場はしば瓦斯ガスタンクと真崎稲荷まっさきいなりの老樹の如き、それら工業的近世の光景と江戸名所の悲しき遺蹟とは、いずれも個々別々に私の感想を錯乱させるばかりである。
上流の小松島から橋場はしばへわたる渡船も大正の初めには早く白鬚橋しらひげばしがかけられて乗る人がなくなったので、現在では隅田川に浮ぶ渡船はどこを眺めても見られなくなった。
水のながれ (新字新仮名) / 永井荷風(著)
三囲みめぐり橋場はしば今戸いまど真崎まっさき山谷堀さんやぼり待乳山まつちやま等の如き名所の風景に対しては、いかなる平凡の画家といへども容易に絶好の山水画を作ることを得べし。いはんや広重においてをや。
江戸芸術論 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
十年十五年と過ぎた今日こんにちになっても、自分は一度ひとた竹屋たけや橋場はしば今戸いまどの如き地名の発音を耳にしてさえ、忽然こつぜんとして現在を離れ、自分の生れた時代よりも更に遠い時代へと思いをするのである。
夏の町 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
これを例するに浅野あさのセメント会社の工場と新大橋しんおほはしむかうに残る古い火見櫓ひのみやぐらの如き、或は浅草蔵前あさくさくらまへの電燈会社と駒形堂こまがただうの如き、国技館こくぎかん回向院ゑかうゐんの如き、或は橋場はしば瓦斯がすタンクと真崎稲荷まつさきいなりの老樹の如き
水 附渡船 (新字旧仮名) / 永井荷風(著)
土曜といわず日曜といわず学校の帰り掛けに書物の包を抱えたまま舟へ飛乗ってしまうのでわれわれは蔵前くらまえ水門すいもん、本所の百本杭ひゃっぽんぐい代地だいちの料理屋の桟橋さんばし橋場はしばの別荘の石垣、あるいはまた小松島こまつしま
夏の町 (新字新仮名) / 永井荷風(著)