案山子かかし)” の例文
ふねの中は藻抜けの殻だ——今まで敵だと思った人影は盗み出した品物を積み上げて、それに上衣うわぎを着せ帽子をかぶせた案山子かかしであった。
水晶の栓 (新字新仮名) / モーリス・ルブラン(著)
鳴子なるこ案山子かかしの立っているあたりから折々ぱっと小鳥の飛立つごとに、稲葉にうずもれた畦道あぜみちから駕籠かごを急がす往来ゆききの人の姿が現れて来る。
散柳窓夕栄 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
日の光りは案山子かかしのそれのような薄ぎたない彼の着物をあらわにした。そして彼の暗いそして深く落ちこんだ眼が牧師にジート注がれた。
「滅相な。」と帳場を背負しょって、立塞たちふさがるていに腰を掛けた。いや、この時まで、紺の鯉口こいぐちに手首をすくめて、案山子かかしのごとく立ったりける。
歌行灯 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
私達はすぐにへだてのない仲になった。鳴尾君は私のことを「案山居士」などと云った。山田の中の一本足の案山子かかしのことである。
西隣塾記 (新字新仮名) / 小山清(著)
由蔵は垢摺あかすりを持ったまま呆然ぼうぜん案山子かかしのように突っ立っている。二人の職人風のつれは、それと見るより呼応こおうして湯槽の傍へ駆けつけて来た。
電気風呂の怪死事件 (新字新仮名) / 海野十三(著)
「私などは案山子かかしも同然ですが、涌谷さまの御苦労こそなみたいていではございません、お側におられる貴方も、さぞ御心配のことでしょう」
垢じみた、鈍重な、酔眼朦朧たる、ぼろぼろ着物の案山子かかしみたいな例の海賊君との対照が、目に止ったことを覚えている。
いまもって、国もとの隣国間では“新田とんぼ”と一方でさげすめば、一方もまた“足利案山子かかし”と応酬して、決して、どっちもくだる風ではない。
私本太平記:07 千早帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
気の毒なのはひょろ松で、質にとられた案山子かかしのように、ぶざまにじんじんばしょりをし、遠くから竿をのばして、気がなさそうに糸を垂れている。
顎十郎捕物帳:04 鎌いたち (新字新仮名) / 久生十蘭(著)
其処は七八町歩ちやうぶの不規則な形をした田になつてゐて、刈り取つた早稲の仕末をしてゐる農夫の姿が、機関仕掛からくりじかけ案山子かかしのやうに彼方此方あちこちに動いてゐた。
(新字旧仮名) / 石川啄木(著)
林檎畑りんごばたけ案山子かかしは、樹の頂上からぴょこんと空中へ今正に飛び出した所だと云ったような剽軽ひょうきんな恰好をしている。
札幌まで (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
そんなものをよろって、風に吹かれる案山子かかしのように、安定を欠いた身体からだが、壇の上に、フラフラして居るのです。
刈田には、まだところどころに案山子かかしが残っていた。その徳利で作ったのっぺらぼうの白い頭が、風にゆらめいているのも、あまりいい気持ではなかった。
次郎物語:01 第一部 (新字新仮名) / 下村湖人(著)
「そのおこしらえは——ははあ、雪の日に、尾羽おはち枯らした御浪人、刀をさした案山子かかしという御趣向で、なるほどな、おそれいりました。おそれいりました。」
元禄十三年 (新字新仮名) / 林不忘(著)
オレの頭の上もいっぺん飛んだが、なんでもねえや。なんでもないに極ってらア。案山子かかしの同族野郎め。
武者ぶるい論 (新字新仮名) / 坂口安吾(著)
この女物の綿入れは途中で畑の中に立つてゐた案山子かかしを物色して、案山子のなかで一番富裕らしく着込んだ奴から、綿入れを強奪して、それを着込んだのである。
小熊秀雄全集-15:小説 (新字旧仮名) / 小熊秀雄(著)
義輔 「いや、もうその位で沢山だよ。君のやうに理窟をつければ、案山子かかし鎧武者よろひむしやになつてしまふ。」
好色 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
夏場はことに賑やかで団扇うちわ片手に浴衣ゆかたがけ一家そろってぞろぞろ、花火屋、虫屋、金魚屋の前は人の山、今戸焼の鉢へひえをまいて案山子かかしや白鷺をあしらった稗
明治世相百話 (新字新仮名) / 山本笑月(著)
... 『吉原へ矢先そろへて案山子かかしかな』など云ふ江戸座の発句ほつくを、そのまゝの実景として眺めることができたのである」と永井荷風先生の「里の今昔」にも記されてゐる。
吉原百人斬り (新字旧仮名) / 正岡容(著)
それは針線や木のしんの上に紙や布を巻きつけた、しろうとが作ったつたない人形で、案山子かかしに近いものであったが、顔だけは念入りに出来ており、断髪のかつらかぶっていた。
君の最後の工面をして案山子かかしに着物を着せ、君自身はしょんぼりそのそばに立っていて見たまえ
もっと簡単な手品では、犯人が案山子かかしに化けて警官の目をごまかす(チェスタートン)とか、蝋人形に化ける(カー「蝋人形館の殺人」、私の「吸血鬼」)とかがある。
探偵小説の「謎」 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
このスクナビコナの神のことを申し上げたクエ彦というのは、今いう山田の案山子かかしのことです。この神は足はあるきませんが、天下のことをすつかり知つている神樣です。
背丈せいが五尺と一寸そこらで。年の頃なら三十五六の。それが頭がクルクル坊主じゃ。眼玉落ち込み歯は総入歯で。せた肋骨あばらが洗濯板なる。着ている布子ぬのこが畑の案山子かかしよ。
ドグラ・マグラ (新字新仮名) / 夢野久作(著)
陸軍の候補者というのは案山子かかしに過ぎない。橋本家の方は安達君に定っても吉川君に定っても大同小異だと思っている。何れ後日橋本閣下に一切を告白して勘弁して貰う。
求婚三銃士 (新字新仮名) / 佐々木邦(著)
或いは案山子かかしを立て、或いは偽物をつくり、さんざんにかけ悩まそうと存ずる——それと聞いて風を食らった道庵、胆吹山へと道をげたのは我々の気勢に怖れをなしたか
大菩薩峠:35 胆吹の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
眼前に闇よりもひときわ黒くられたる案山子かかしは焼けこがらされし死骸のごとく、はるかの彼方に隠々として焔えつつ遠くなり近くなりパシパシ火の子のハシる阿園が棺の火は
空家 (新字新仮名) / 宮崎湖処子(著)
大衆はしばしば案山子かかしをも礼讃する。しかし生前すでに大衆の礼讃を獲得し得なかったような英雄もまた存しないのである。この点において人類の教師と英雄とは明白に相違する。
孔子 (新字新仮名) / 和辻哲郎(著)
どこかの案山子かかし玉蜀黍とうもろこしの畑から逃げだしてきたのかとまちがえるかもしれない。
案山子かかしは古い。牛小僧カウ・ボウイも月並だ。大がいの人が、衣裳は倫敦ロンドンから取り寄せる。キングスウェイにデニスン製紙会社というのがあって、いろんな色で註文通りの紙衣裳を作ってくれるのだ。
踊る地平線:11 白い謝肉祭 (新字新仮名) / 谷譲次(著)
まっかな幽霊の大撥条おおばねはもうこわれている。今や人はすべてそれを知っている。今はだれもその張子はりこを恐れない。小鳥はその案山子かかしになれ、兜虫かぶとむしはその上にとまり、市民はそれを笑っている。
なお老人たちはこの訪問者の服装が案山子かかしとよく似ており、その身に着けた鳴子、鳴りがね、馬の鈴、木貝と名づくるラッパのような楽器などが、鳥追い、鹿追う秋の田の設備と同じいのを見て
雪国の春 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
鳴子なるこを馬鹿にした群雀むらすずめ案山子かかし周囲まわりを飛び廻ッて、辛苦の粒々をほじっている,遠くには森がちらほら散ッて見えるが、その蔭から農家の屋根が静かに野良をながめている,へびのようなる畑中の小径こみち
初恋 (新字新仮名) / 矢崎嵯峨の舎(著)
この界隈の痩せこけた案山子かかしたちが、する仕事もなく腹をかしながら、永い間点灯夫のすることを眺めているうちに、その点灯夫のやり方を改良して、自分たちの境涯の暗闇くらやみを明るくするために
案山子かかしのおどけた顔が、いくつも、窓外を後方へ飛ぶ。
花と龍 (新字新仮名) / 火野葦平(著)
嵐の日にせた案山子かかしが吹きまくられるように。
智の一つ足らでをかしき案山子かかしかな 楽翁
俳句の初歩 (新字旧仮名) / 正岡子規(著)
ああ! 案山子かかしはないか——あるまい
山羊の歌 (新字旧仮名) / 中原中也(著)
案山子かかし奴。己を見忘れやがったか。
案山子かかし田甫たんぼ
朝おき雀 (新字旧仮名) / 野口雨情(著)
胴の間に仰向けで、身うちが冷える。、野宿には心得あり。道中笠を取って下腹へあてがって、案山子かかし打倒ぶったおれた形でいたのが。
浮舟 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
「何んだとえ、狼の遠吠で悪かったね、そう言うお前こそ、案山子かかしに魔が差したようなのを教えて居るくせに」
あんぐりと口を開いて、先刻さっき、大泣きに泣いたままな顔をして、——もちろん頭からズブ濡れになって、泥田になった耕地に案山子かかしみたいに立っているのだ。
宮本武蔵:06 空の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
頬骨がとびだし、口もとの尖ったのが赤裸に菰を纒っているのは、山田の案山子かかしといった体裁で、これが生きた人間のすがただとは、どうしても思えなかった。
ボニン島物語 (新字新仮名) / 久生十蘭(著)
「ないことがあるものか。鏡を見な鏡を。顔だって、からだだって、昔のお駒ちゃんの面影はありゃあしねえ。まるで、お駒ちゃんに似せた案山子かかしみたようだ」
巷説享保図絵 (新字新仮名) / 林不忘(著)
または「はや悲し吉原いでゝ麦ばたけ。」とか、「吉原へ矢先そろへて案山子かかしかな。」などいう江戸座の発句ほっくを、そのままの実景として眺めることができたのである。
里の今昔 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
天晴あっぱれ衆人の嘲笑と愚弄の的になりながら死ぬまで騎士の夢をすてなかったドンキホーテと、その夢を信じて案山子かかしの殿様に忠誠を捧げ尽すことの出来たサンチョと
雑記帳より(Ⅱ) (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
石敢当も亦実在の人物ならず、無何有郷裡むかいうきやうりの英雄なるべし。もし又更に大方おほかたの士人、石敢当の出処を知らんと欲せば、秋風禾黍くわしよを動かすの辺、孤影蕭然たる案山子かかしに問へ。
八宝飯 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
ホホウ、これは御趣向ですね。このフットボールの化物みたいなキルク玉で、あの案山子かかし人形を
地獄風景 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)