宛然えんぜん)” の例文
山は開けて上流を見るべく、一曲毎きよくごとに一らいをつくり、一瀬毎に一たんをたゝへたる面白き光景は、宛然えんぜん一幅の畫圖ぐわとひろげたるがごとし。
秋の岐蘇路 (旧字旧仮名) / 田山花袋(著)
当時江戸に集っていた列藩の留守居は、宛然えんぜんたるコオル・ヂプロマチックをかたちづくっていて、その生活はすこぶる特色のあるものであった。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
その顔面の皮膚の下から見る見る現われて来た兇猛な青筋……残忍な感情を引き釣らせる筋肉……それは宛然えんぜんたる悪魔の相好であった。
暗黒公使 (新字新仮名) / 夢野久作(著)
もし樹木も雑草も何も生えていないとすれば、東京市中の崖は切立った赤土の夕日を浴びる時なぞ宛然えんぜん堡塁ほうるいを望むが如き悲壮の観を示す。
当時はまだその忍藩三万石だけが領邑りょうゆうで、右門は早くもそのことに気がつきましたものでしたから、もうあとは宛然えんぜんたなごころをさすがごとし
外の附添いたちと小使部屋の一隅を占めて宛然えんぜん「女王」の如くにふるまっていた。小使なんぞあごでみんなつかっていた。
雷門以北 (新字新仮名) / 久保田万太郎(著)
斬られた者のうめき声が、泥濘でいねいにまみれてそこここに断続だんぞくする。濡れた刀が飛び違い、きらめき交わして、宛然えんぜんそれは時ならぬ蛍合戦ほたるがっせんの観があった。
丹下左膳:01 乾雲坤竜の巻 (新字新仮名) / 林不忘(著)
宛然えんぜん一国をなす都市であり、未来の発生地であり、バビロンとコリントを結合した驚くべき都であるが、これを上に述べきたった見地から見る時には
指定せられた十八番地の前に立って見れば、宛然えんぜんたる田舎家である。この家なら、そっくりこのままイソダンに立っていたって、なんの不思議もあるまい。
田舎 (新字新仮名) / マルセル・プレヴォー(著)
またその辺りから一帯の街道、平野、部落へかけて、麾下きか諸侯の幡旗ばんきや、各隊のつわものの指物さしものが、霞むばかり蝟集いしゅうして、宛然えんぜん戦捷式せんしょうしきかのごとき盛観を呈した。
新書太閤記:09 第九分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「また来たね。そんな仙骨を相手にしちゃ少々骨が折れ過ぎる。宛然えんぜんたる列仙伝中の人物だね」
吾輩は猫である (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
ふねよりふねわたりて、其祝意そのしゆくいをうけらるゝは、当時そのかみ源廷尉げんていゐ宛然えんぜんなり、にくうごきて横川氏よこかわしとも千島ちしまかばやとまでくるひたり、ふね大尉たいゐ萬歳ばんざい歓呼くわんこのうちにいかりげて
隅田の春 (新字旧仮名) / 饗庭篁村(著)
親戚が来ても一緒に聞うじゃないかという風である。宛然えんぜん俗人の家で、学者の生活としては実に平凡極まるものである。しかのみならず訪問客には坊主もいれば神主もいる。
現在この夜のカッフェで給仕とテエブルを分っている先生は、宛然えんぜんとして昔、あの西日にしびもささない教室で読本を教えていた先生である。禿げ頭も変らない。紫の襟飾ネクタイも同じであった。
毛利先生 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
宛然えんぜん市楽所しらくしょ」の空気だ。横へ出たところに植込みをめぐらしたあき地があって、雪のように真っ白に鳩が下りている。母や姉らしい人につれられた子供達がをやっているのだった。
踊る地平線:05 白夜幻想曲 (新字新仮名) / 谷譲次(著)
若い者の前では、つとめて、新時代への理解を示そうとしながら、しかも、その物の見方の、どうにもならない頑冥がんめいさにおいて、宛然えんぜん一個のドン・キホーテだったのは悲惨なことであった。
斗南先生 (新字新仮名) / 中島敦(著)
甲板かんぱんると、弦月丸げんげつまる昨夜ゆふべあひだにカプリとうおきぎ、いまはリコシアのみさきなゝめ進航しんかうしてる、季節せつは五ぐわつ中旬なかばあつからずさむからぬ時※じこうくはふるに此邊このへんたい風光ふうくわう宛然えんぜんたる畫中ぐわちゆうけい
宛然えんぜんとして古風土記をよむがごとし。
遠野物語 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
頬の肉は耳とつながってぴくぴくと上下し、遂には顔中の筋肉が一つ一つ違った方向に動きはじめた。……それは宛然えんぜんたる畜生の表情であった。
暗黒公使 (新字新仮名) / 夢野久作(著)
住居の類は先づわが肉体をおかして漸次ぜんじにわが感覚を日本化せしむると共に、当代の政治ならびに社会の状態は事あるごとに宛然えんぜんわれをして封建時代にあるのおもいあらしめき。
矢立のちび筆 (新字旧仮名) / 永井荷風(著)
浙江せっこう一帯の沿海を持つばかりでなく、揚子江の流域と河口をやくし、気温は高く天産は豊饒ほうじょうで、いわゆる南方系の文化と北方系の文化との飽和によって、宛然えんぜんたる呉国色をここに劃し
三国志:06 孔明の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
彼は時には根も葉も無き黄禍論こうかろんをまで世界に流布して、新興国の我が日本をばその勢力未だ大いに張らざるの時にこれを暴圧せんと欲した。その為すところは宛然えんぜんかの戦国策士の亜流であった。
永久平和の先決問題 (新字新仮名) / 大隈重信(著)
のちには吉原の西の宮と云う引手茶屋と、末造の出張所とは気脈を通じていて、出張所で承知していれば、金がなくても遊ばれるようになっていた。宛然えんぜんたる遊蕩ゆうとう兵站へいたんが編成せられていたのである。
(新字新仮名) / 森鴎外(著)
その「多情多恨」の如き、「伽羅枕からまくら」の如き、「二人女房」の如き、今日なほ之を翻読するも宛然えんぜんたる一朶いちだ鼈甲牡丹べつかうぼたん、光彩更に磨滅すべからざるが如し。人亡んで業あらはるとは誠にこの人のいひなるかな。
銀波、銀砂につらなる千古の名松は、清光のうちに風姿をくして、宛然えんぜん、名工の墨技ぼくぎ天籟てんらいを帯びたるが如し。行く事一里、漁村浜崎はまさきを過ぎて興なお尽きず。
ドグラ・マグラ (新字新仮名) / 夢野久作(著)
緩流清澈せいてつ宛然えんぜん一匹ノ白練しろねりナリ。ケダシソノ大蛇トイヒ絹トイフハ水勢ニ由テ名ヲ得タルナリ。氏家駅ニ飯ス。三里余ニシテ喜連川ノ駅ニ宿ス。夜ニ入ツテ従者皆眠ニ就ク。余独リネズ。
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
この様な僭越な思想の行われた時代に、列強はしきりに植民政策を競ったので、その手段は甚だ残忍酷薄を極め、南阿辺の土人をば宛然えんぜん兔狩うさぎがりの如くに狩り立て、これを奴隷として国外に輸出する。
永久平和の先決問題 (新字新仮名) / 大隈重信(著)