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大發掘
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だいはつくつ
這んな
事で一
向に
要領を
得ず、
山頂の
方では、
僅かに
埴輪の
破片(
雲珠、
鞆等)を
見出したのみ、それで
大發掘の
第一
回を
終つた。
或はマンロー
氏の
大發掘では
有るまいかと、
首を
傾けながら
行つて
見ると、それは
土方氏の
非學術的大發掘であつた。
米國のエドワルド、エス、モールス
氏が、
明治十二
年に
於て、
初めて
此所に
遺跡を
發見し、
然うして
大發掘を
試みられた
記事は『
理科會粹』の
第一
帙として
一寸知れ
難い
處である。
遺跡は
廣いが、
先年、チヤンバーレン
氏が
大發掘を
試みたとかで、
畑地の
方は
斷念して、
臺地北側の
荒地緩斜面の
中に四
人は
入つた。
最初に
余等が
發掘した
方面に
當つて、
人の
數、
男女を
合して十二三
人。
大發掘をつゞけて
居るのを
發見した。
其時に(
地底探檢記一五七
頁參照)
貝灰の
原料とすべく
土方が
大發掘をして
居たのを
初めて
知り、それから六
月十四
日に
又一
度行つて
見たが、
兩度とも
實に
大失望であつた。
博士はいよいよ十
月七
日より
數日間此所に
大發掘を
擧行せらるゝ
事となつた。
既に
大發掘をした
後なので、
土器はモー
留守であつた。