鹿島かしま)” の例文
もっともこれは本来ならばバスも通う道路であって、親鸞が稲田から鹿島かしま行方に往返のたび越えたのは東寄りの山路であるそうな。
加波山 (新字新仮名) / 服部之総(著)
その上にも、まことに無理なお願いであるが、どうか拙者をこのままかくまって、かすみうら常陸岸ひたちぎしか、鹿島かしまの辺まで便乗させてもらえまいか
旗岡巡査 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
たとえば能登のと鹿島かしま郡で六七月の頃にチーフレー、チーフレーと啼く鳥を慈悲心鳥じひしんちょうだというが、その点は私には判断が出来ない。
東部防衛司令官香取中将は作戦室の正面に厳然と席をしめ、鹿島かしま参謀長以下、幕僚を大卓子テーブルのまわりにグルリと集め、秘策をねっていた。
空襲警報 (新字新仮名) / 海野十三(著)
事件の覚書ノートを読んでいるのは平林文吾ひらばやしぶんごと云って、帝大出身の理学士、いま鹿島かしま水圧工業研究所の若手のぱりぱりである。
水中の怪人 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
酒は新川しんかわ鹿島かしま雷門前かみなりもんまえ四方よもから取り、椀は宗哲そうてつ真塗しんぬり、向付むこうづけは唐津からつ片口かたくちといったふうな凝り方なので
顎十郎捕物帳:18 永代経 (新字新仮名) / 久生十蘭(著)
今の利齋ぐれえにゃアす積りだが……むゝあの鹿島かしまさんの御注文で、島桐しまぎりの火鉢と桑の棚をこせえたがの、棚の工合ぐえいは自分でもく出来たようだから見てくれ
名人長二 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
茨城県鹿島かしま神社の境内に要石かなめいしという石がある。地上には丸っこい頭だけが出ているが、全部掘り出したら、多分石器時代の石棒に似た形のものではないかと想像される。
地震なまず (新字新仮名) / 武者金吉(著)
同君は千葉縣の人、いつか一緒に香取かとり鹿島かしまから霞ヶ浦あたりの水郷を廻らうといふ事になつてゐたのである。その日私は自分の出してゐる雜誌の七月號を遲れて編輯してゐた。
水郷めぐり (旧字旧仮名) / 若山牧水(著)
先ず香取かとり鹿島かしま及び息栖いきすの三社、それに流山ながれやま在の諏訪すわの宮、常陸は阿波村の大杉明神、立木村たつきむら蛟𧍑みずち神社、それ等の神々に詣で、身も心も二つながら清めて、霊剣一通り振り納め
死剣と生縄 (新字新仮名) / 江見水蔭(著)
鹿は春日かすがの第一殿鹿島かしまの神の神幸みゆきの時乗りたまいし「鹿」から、からす熊野くまの八咫烏やたがらすの縁で、猿は日吉山王ひよしさんのうの月行事のやしろ猿田彦大神さるだひこおおかみの「猿」の縁であるが如しと前人も説いているが
魔法修行者 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
踊りや長唄ながうたを、そのころ愛人の鹿島かしまと一緒に、本郷の講釈場の路次に逼塞ひっそくし、辛うじて芸で口をしのいでいた、かつての新橋の名妓めいぎぽん太についてみっちり仕込まれたものだったが
縮図 (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
能登といえば鹿島かしま能登部のとべ村の上布じょうふが有名であります。世に「能登上布のとじょうふ」というのはこれであります。ごく細かい麻糸の織物で、夏の着物に悦ばれます。ひんのよい織物であります。
手仕事の日本 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
あられ鹿島かしまかみいのりつつ皇御軍すめらみくさわれにしを 〔巻二十・四三七〇〕 防人
万葉秀歌 (新字新仮名) / 斎藤茂吉(著)
笠鉾の上には金無垢きんむく烏帽子えぼしを着用いたしました女夫猿めおとざるをあしらい、赤坂今井町は山姥やまうば坂田金時さかたのきんとき、芝愛宕あたご下町は千羽づるに塩みの引き物、四谷大木戸は鹿島かしま明神の大鯰おおなまずで、弓町は大弓
かとりの海と人麿ひとまろは詠みました、かとりといえば、たれしもが当然、下総しもうさ常陸ひたち香取かとり鹿島かしまを聯想いたします、はるばるとえびすに近い香取鹿島の大海原おおうなばらに、大船を浮べて碇泊した大らかな気持
天竜の下流、鹿島かしまに達するまでの「通し船」を、傭ふには、非常に高い賃銀を払はせられるので、私のやうな日本アルプスの貧しい巡礼に、貴族的の豪奢を、要求することに当るからである
天竜川 (新字旧仮名) / 小島烏水(著)
香取かとり鹿島かしまめぐり佐原より舟行して銚子ちょうしいたり、九十九里浜を過ぎて東金とうがねに往き門人遠山雲如をその村居に訪うた。雲如は江戸の人、詩酒風流のために家産を失い東金に隠棲している奇人である。
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
十二日から道頓堀の浪花なには座に名人会といふのが開かれてゐる。長唄の孝次郎かうじらう、勝四郎、常磐津ときはづ和佐わさ、清元の家内やな舞踊をどり鹿島かしま恵津子——どれを見ても、格別名人らしい顔触でないのが愛嬌である。
ゆうべ鹿島かしまの沖合に
花守 (旧字旧仮名) / 横瀬夜雨(著)
常陸ひたち鹿島かしま神社行。
五百句 (新字旧仮名) / 高浜虚子(著)
能登の鹿島かしま郡でスギナノトー、越中上新川郡ではスギナコート、コートはふきなどのとうのことだから、これも杉菜の方を主にしたのである。
「本尊仏のお迎え、親鸞ひとりでもなるまい。これにおる証信房、鹿島かしまの順信房、そのほか二、三名は召し連れましょう」
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
一人だけ鹿島かしま金之助という宇都宮藩うつのみやはんの青年がいるけれど、これは四十日ほどまえからの滞在でかくべつ接待の必要もない、こういうときこそゆっくり本も読もうと思い
日本婦道記:尾花川 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
春日様は藤原家の氏神うじがみでござりますが、もとは鹿島かしまの神様のおうつしでございますから、やはり、お武家様方の守り神でござります、春日四所大神と申しまして、その第一殿が常州鹿島の明神
常陸ひたち鹿島かしまあたりの「土俗の習ひに、物の祝などある折、または祈事いのりごとをする日など」「老婆おむなたち多く集まり、弥勒謡みろくうたとて各声をあげて歌うたひ、太鼓を打ち」おどった。
海上の道 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
「おお、わしのいたところか、じつは、そちだけにいってきかすが、わしはゆえあって、常陸ひたち鹿島かしまの宮、下総しもうさ香取かとりりょう神社に、七日ずつの祈願きがんをこめて参籠さんろうしておったのじゃ」
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
そのきびしいおきての目をくぐって、箱根や草津へ湯治にゆくとか、筑波つくば赤城あかぎ、富士などへ山登りをするとか、水戸の浜から鹿島かしま香取かとりに参詣するなど、結構よろしくやっている例も稀ではなかった。
滝口 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
ここに讃岐さぬきの同志の鹿島かしま立ちの日を利用して、一つサンバイサンのことを説いておこうと思う。
年中行事覚書 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
「伝堂……あ! 待て鹿島かしま
峠の手毬唄 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
月 日鹿島かしま使者ししゃ孤剣こけん飄客ひょうかく
剣難女難 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
朝家の法制にもかつて天神地祇ちぎを分たれたが、のちの宗像むなかた賀茂かも・八幡・熊野・春日かすが住吉すみよし諏訪すわ白山はくさん鹿島かしま香取かとりのごとく、有効なる組織をもって神人を諸国に派し
山の人生 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
鹿島かしま使者ししゃ孤剣こけん飄客ひょうかく
剣難女難 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
一方は常陸ひたち鹿島かしまを中心にした鹿島踊かしまおどりの祭歌、いま一つは南方の八重山やえやま群島の四つ以上の島で、この方は明らかにニロー神、すなわちニライの島から渡って来たまう神を誤って
海上の道 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
諏訪様が鹿島かしま香取かとりの神に降参なされたことをきいて、失望してここから別れて、越後へお帰りになったなどというのは、後に歴史の本を読んだ人の考えたことで、安房あわや上総で
日本の伝説 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
橋川正君の日本仏教文化史の研究に、常陸ひたち鹿島かしまの弥勒の船の踊歌おどりうたを、このいわゆる弥勒二年の私年号と、関係のある現象だろうと説かれたのは、注意すべき一つの見解であった。
海上の道 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
(明治神社誌料。石川県鹿島かしま郡能登部村)
日本の伝説 (新字新仮名) / 柳田国男(著)