膝下ひざもと)” の例文
「わしが何だと不思議がるより、こちらが倍もおどろいたわ。江戸には、大した女泥棒がいるものじゃな——さすが、お膝下ひざもとだ——」
雪之丞変化 (新字新仮名) / 三上於菟吉(著)
時頼の時年二十三、せい濶達にして身のたけ六尺に近く、筋骨飽くまでたくましく、早く母に別れ、武骨一邊の父の膝下ひざもとに養はれしかば
滝口入道 (旧字旧仮名) / 高山樗牛(著)
南町に大岡様てえ名奉行が目を光らせていらっしゃるのに、そのお膝下ひざもとでこの悪足掻わるあがきだ。いけッ太え畜生じゃありませんか、ねえ
丹下左膳:01 乾雲坤竜の巻 (新字新仮名) / 林不忘(著)
江戸は八百万石のお膝下ひざもと、金銀座の諸役人、前にいった札差ふださしとか、あるいは諸藩の留守居役るすいやくといったような、金銭に糸目いとめをつけず、入念で
「安土の膝下ひざもとに生きておるやからじゃ、たれひとり信長公の処置を、無理とも悪いともいう者はない。一に殿への誹謗ひぼうばかりだ」
新書太閤記:07 第七分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
その次は今から五年ばかり以前、正月元旦がんたんを父母の膝下ひざもとで祝ってすぐ九州旅行に出かけて、熊本くまもとから大分おおいたへと九州を横断した時のことであった。
忘れえぬ人々 (新字新仮名) / 国木田独歩(著)
とうさんは九つのとしまで、祖父おぢいさんや祖母おばあさんの膝下ひざもとましたがそのとしあき祖父おぢいさんのいゝつけで、東京とうきやう學問がくもん修業しうげふることにりました。
ふるさと (旧字旧仮名) / 島崎藤村(著)
折ふしは里親と共に来てまわらぬ舌に菓子ねだる口元、いとしや方様に生き写しと抱き寄せて放し難く、つい三歳みっつの秋より引き取って膝下ひざもとそだつれば
風流仏 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
二人は同じように、まだ頑是ない時分から女人禁制きんぜいの比叡の山に預けられて、貴い上人の膝下ひざもとで育てられた。
二人の稚児 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
思ひも懸けず宮の入来いりくるを見て、起回おきかへらんとせし彼の膝下ひざもとに、早くも女のまろび来て、立たんと為ればたもとを執り、なほひしと寄添ひて、物をも言はず泣伏したり。
金色夜叉 (新字旧仮名) / 尾崎紅葉(著)
私はその絵を見る度毎たびごとに、それをはじめて母の膝下ひざもとでひもといた、或古い家のなんとなく薄暗い雰囲気ふんいきを、知らずらずのうちに思い出さずにはいられないのだ。
幼年時代 (新字新仮名) / 堀辰雄(著)
これまで親の膝下ひざもとにいた時も、三年の間西片町のある官吏の屋敷に奉公していた時も、ただ自分の出来るだけのことを正直に、真面目にと勤めていればそれでよかった。
新世帯 (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
「どうどす。お江戸は将軍家のお膝下ひざもとやさうどすが、まさかこんない景色はたんとおすまい。」
「そんなことを言わずに、お逃げなさい、あのけいのよい東海道を下って、公方様くぼうさまのお膝下ひざもとの賑かさをごらんなされば、わたしのことなどは思い出す暇はありやしませんよ」
昔は一国の帝王が法王の寛恕かんじょを請うために、乞食の如くその膝下ひざもとに伏拝した。又或る仏僧は皇帝の愚昧なる一言を聞くと、一拶いっさつを残したまま飄然ひょうぜんとして竹林に去ってしまった。
惜みなく愛は奪う (新字新仮名) / 有島武郎(著)
母の膝下ひざもとが恋しいとか、故郷ふるさとなつかしいとか言うことは、来た当座こそ切実につらく感じもしたが、やがては全く忘れて、女学生の寄宿生活をこの上なく面白く思うようになった。
蒲団 (新字新仮名) / 田山花袋(著)
今富士の膝下ひざもとへ来て亡き母の顔にまみえまつるが如く、しみじみと見ているのだ。
不尽の高根 (新字新仮名) / 小島烏水(著)
膝下ひざもとへ呼び出して、長煙草ながぎせる打擲ひっぱたいて、ぬかさせるすうではなし、もともと念晴しだけのこと、縄着なわつき邸内やしきうちから出すまいという奥様の思召し、また爺さんの方でも、神業かみわざで、当人が分ってからが
政談十二社 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
元就は、之を敵の間者と知って、わざと膝下ひざもとへ近づけていた。
厳島合戦 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
その時子供は父母の膝下ひざもと蕎麦そばを食うべ
地續きのお膝下ひざもとの村と云つていい。
地方主義篇:(散文詩) (旧字旧仮名) / 福士幸次郎(著)
元来、それを破壊することばかりやって来たといっていい信長の膝下ひざもとに、いまや画期的かっきてきな新文化がここに勃興ぼっこうしかけている。
新書太閤記:05 第五分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
岸本が父母の膝下ひざもとを離れ、郷里の家を辞して、東京に遊学する身となったのはようやく九歳の時であった。十三歳の時には東京の方に居て父の死を聞いた。
新生 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
旅もいいが、こちとらみてえな生え抜きの江戸っ児は、一歩お膝下ひざもとを出はずれるてえと、食物と女の格がずんと落ちるのに往生するよ。女はお前、肌を
丹下左膳:01 乾雲坤竜の巻 (新字新仮名) / 林不忘(著)
葛飾北斎かつしかほくさいの『富嶽三十六景』が、絵草紙屋の店頭に人目を驚かしていたのであるが、その地図にある定火消屋敷で、広重が生れ、西の丸のお膝下ひざもとで、名城と名山の感化を受けていたのだと思うと
不尽の高根 (新字新仮名) / 小島烏水(著)
かしこくも日本一の神様の宮居みやいをその土地に持った伊勢人は、日本中の人間を膝下ひざもとに引きつける特権を与えられたと同じことで、その余徳のうるおいはけだ莫大ばくだいなもので、伊勢は津で持つというけれども
大菩薩峠:06 間の山の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
と泰助と顔を見合せ、亭主は膝下ひざもとまでひたと摺寄すりよ
活人形 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
さんたる修羅しゅらを生むことは勿論、お膝下ひざもとに於て、私闘騒擾しとうそうじょうの罪に問われ、幕廷のおとがめは必然でござりましょう。
新編忠臣蔵 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
大都会を見るのを楽みに、九つの歳に両親の膝下ひざもとを離れて来た日から、既にその奉公が始まった。
桜の実の熟する時 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
新将軍の秀忠が江戸城に坐ってから、いわゆる御新開ごしんかい膝下ひざもとへは、急激に上方の文化が移動して行った。
宮本武蔵:06 空の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
二人とも親の膝下ひざもとに置いては将来ろくなことがない、今のうちに先代吉左衛門が残した田畑や本陣林のうちをいて二人の教育費にあてる、幸い東京の方には今子供たちの姉の家がある
夜明け前:04 第二部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
この御所のお膝下ひざもとを、わがもの顔して、志士でなきゃあ人間でねえようなつらをして歩いている奴が、どうにも、虫にさわりましてね、ハハハ……いけませんやどうも……。
松のや露八 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
江戸を離れたといっても大府だいふのお膝下ひざもとをさることわずか三十六里にたらない地です。蜂屋源之進を初め末輩の田舎役人でも日本左衛門の名を知らないものはありません。
江戸三国志 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
大塩おおしお洗心洞せんしんどう出身で、いわば、あいよりでて藍よりも濃い男、その上にまだ勉強する気で、こっそりと東都に居をかまえ、お膝下ひざもとの奉行所の組織、番屋ばんや川筋見張かわすじみはり等の配置から
牢獄の花嫁 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
御仏みほとけ膝下ひざもと確乎しっかとすがりつきたいのです、おゆるしください、しばらくのあいだ
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
『聞けば、今暁、この泰平の世に、お膝下ひざもとに於いて、不祥な事件が起ったそうな』
新編忠臣蔵 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
御城番ごじょうばん膝下ひざもとでさえ、夜ごとに、五人や七人の生血を塗った助広はここにある。ぶッた斬ろうと思う分には、女の一人や半分は、なんの雑作ぞうさもねえところだ。それをやらねえお十夜のはらの底を
鳴門秘帖:01 上方の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「どうぞ、お師さま、私を今日かぎり、破門して下さいませ、私は、外道げどうに落ちました、改めて修行をし直した上、ふたたびお膝下ひざもとへお詫びしに参ります」親鸞は瞑目していたひとみをうすく開いて
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)