筑前ちくぜん)” の例文
筑前ちくぜん亀井かめい先生なども朱子学を取らずに経義けいぎに一説を立てたと云うから、そのりゅうを汲む人々は何だか山陽流を面白く思わぬのでしょう。
福翁自伝:02 福翁自伝 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
仲哀天皇ちゅうあいてんのうは、ある年、ご自身で熊襲くまそをお征伐せいばつにおくだりになり、筑前ちくぜん香椎かしいの宮というお宮におとどまりになっていらっしゃいました。
古事記物語 (新字新仮名) / 鈴木三重吉(著)
筑前ちくぜん筑後ちくご肥前ひぜん肥後ひご豊前ぶぜん豊後ぶんご日向ひゅうが大隅おおすみ薩摩さつまの九ヵ国。それに壱岐いき対馬つしまが加わります。昔は「筑紫ちくししま」と呼びました。
手仕事の日本 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
豊前ぶぜん筑後ちくごは好く存じませんが、筑前ちくぜん殊に福岡は鷹揚おうような人が多い、久留米くるめなどのこせ/\した気性に比ぶれば余程男らしい処があります。
福岡の女 (新字旧仮名) / 伊藤野枝(著)
次には山口県の豊浦とよら郡でもネンガラ、海を渡って筑前ちくぜんの大島でネンガラ、これも遊びかたは同じだが、注意すべきことには御産おさんのあった家の前で
こども風土記 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
この通禧は過ぐる慶応三年の冬、筑前ちくぜんの方にいて、一つ開港場の様子を見て置いたらよかろうと人にも勧められ、自分からも思い立ったことがある。
夜明け前:03 第二部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
……あら嬉しや!三千日さんぜんにちの夜あけ方、和蘭陀オランダ黒船くろふねに、あさひを載せた鸚鵡おうむの緋の色。めでたく筑前ちくぜんへ帰つたんです——
印度更紗 (新字旧仮名) / 泉鏡花(著)
むかし筑前ちくぜんの国、太宰府だざいふの町に、白坂徳右衛門とくえもんとて代々酒屋を営み太宰府一の長者、その息女おらんの美形ならびなく、七つ八つのころから見る人すべて瞠若どうじゃく
新釈諸国噺 (新字新仮名) / 太宰治(著)
これは他府県の天狗てんぐ談と同じように思わる。筑前ちくぜんにては山より帰って熱を起こし、あるいは痛みを感ずるときに、これを風と唱えておるが、これと同様である。
迷信と宗教 (新字新仮名) / 井上円了(著)
(彼の死を見たことは、この筑前ちくぜんにとって、たとえばしょく孔明こうめいくしたよりも大きな悲しみだろう)と。
黒田如水 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
テッポウユリは沖繩方面の原産で、つつの形をした純白の花が横向きに咲き、香気こうきが高い。このユリを筑前ちくぜん〔福岡県北東部〕では、タカサゴと呼ぶことが書物に出ている。
植物知識 (新字新仮名) / 牧野富太郎(著)
藩士尊攘派の独自的結成は水戸で水長藩士の丙辰へいしん丸会盟、関西ではもっと大仕掛に薩——寺田屋で藩主改良派の手で殺された——長、土、肥、筑前ちくぜん筑後ちくごの諸藩士および浪士
尊攘戦略史 (新字新仮名) / 服部之総(著)
人気にんきの荒い炭坑都市、筑前ちくぜん直方のうがたの警察署内で起った奇妙な殺人事件の話……。
骸骨の黒穂 (新字新仮名) / 夢野久作(著)
大正六年十月十八日 筑前ちくぜん太宰府だざいふに至る。同夜都府楼址とふろうしに佇む。懐古。
五百句 (新字旧仮名) / 高浜虚子(著)
證據しようこに大津屋段右衞門と申立るや不審ふしん至極しごくなりとありければお文は恐れながら申あげますみぎ藤澤宿大津屋段右衞門と申者は前名まへな畔倉重四郎と名乘筑前ちくぜんの浪人にて私しの村方へ先年中せんねんちうより參りて幸手宿に住居いたしをつと三五郎とは博奕かけごと仲間なかまにて日來ひごろ心安くわたくし方へも日々にち/\立入たちいりり候所心立宜しからぬ者にて先頃同宿の穀屋平兵衞と申す者を
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
……あらうれしや!三千日さんぜんにちあけがた和蘭陀オランダ黒船くろふねに、あさひせた鸚鵡あうむいろ。めでたく筑前ちくぜんかへつたんです——
印度更紗 (旧字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
是は普通は旅の鋳物師いもじの、朝早く立つところっているが、幸田さんは雲まで赤くなるようなタタラ吹きは無いから、信州とか筑前ちくぜんとかの地名だと言われる。
木綿以前の事 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
黒田公の原書を引取る又筑前ちくぜんの国主、黒田美濃守くろだみののかみう大名は、今の華族、黒田のお祖父じいさんで、緒方洪庵先生は黒田家に出入しゅつにゅうして、勿論もちろん筑前にくでもなければ江戸に行くでもない
福翁自伝:02 福翁自伝 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
で、大小数百そうの船は、ただちに九ヵ国の兵と馬や食糧を満載して、博多湾をひがしへ出てゆき、尊氏自身は、べつの一軍をひきいて、四月三日、陸路を筑前ちくぜん芦屋ノ浦へと急いでいた。
私本太平記:11 筑紫帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
命はそこから筑前ちくぜんへおはいりになりました。
古事記物語 (新字新仮名) / 鈴木三重吉(著)
猿塚 (筑前ちくぜん) 懐硯ふところすずり、四十六歳
新釈諸国噺 (新字新仮名) / 太宰治(著)
若い人は筑前ちくぜん出生うまれ、博多の孫一まごいちと云ふ水主かこでね、十九の年、……七年前、福岡藩の米を積んだ、千六百こく大船たいせんに、乗組のりくみ人数にんず、船頭とも二十人、宝暦ほうれきうまとし十月六日に
印度更紗 (新字旧仮名) / 泉鏡花(著)
たとえば津軽つがるあじさわの柱かつぎ、筑前ちくぜん博多のセンザイロウなどはまだ子どもの管轄に属している。そんな話をけば珍しがるだろうが、東京人の中でも小さなをかかえゆさぶって
こども風土記 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
筑前ちくぜん太宰府だざいふに潜伏していた三条実美さねとみ以下の五卿であった。
松のや露八 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
わかひと筑前ちくぜん出生うまれ博多はかた孫一まごいち水主かこでね、十九のとし、……七ねんまへ福岡藩ふくをかはんこめんだ、千六百こく大船たいせんに、乘組のりくみ人數にんず船頭せんどうとも二十にん寶暦はうれきうまとしぐわつ六日むいか
印度更紗 (旧字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
「やはり汝は、この筑前ちくぜんよりも、九歳ここのつはたしかに若いな」
黒田如水 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「ほうッ……これは。……筑前ちくぜんどのでおわしたか」
新書太閤記:05 第五分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
その後には「筑前ちくぜん覚悟を以てしづめ申す可」
随筆 宮本武蔵 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「あれ、筑前ちくぜん殿が扇を振っておられまする」
黒田如水 (新字新仮名) / 吉川英治(著)