畔道あぜみち)” の例文
どうも鴫は居ぬらしい。後の方でダーダーと云う者があるからふりかえると、五、六けん後の畔道あぜみちの分れた処の石橋の上に馬が立っている。
鴫つき (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
便りに思う爺さんだって、旅他国で畔道あぜみちの一面識。自分が望んでではありますが、家と云えば、この畳を敷いた——八幡不知やわたしらず
草迷宮 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
春は処々に菜の花が咲き乱れて、それがかすんだ三笠連山の麓までつづいているのが望見される。畔道あぜみちに咲く紫色のすみれ、淡紅色の蓮華草れんげそうなども美しい。
大和古寺風物誌 (新字新仮名) / 亀井勝一郎(著)
田圃たんぼの中に出る。稲の植附はもう済んでいる。おりおりみのを着て手籠たごを担いで畔道あぜみちをあるいている農夫が見える。
(新字新仮名) / 森鴎外(著)
群衆の中へ追い込まれて、また更に群衆から驚かされた暴れ馬は、畔道あぜみちを、ただもう走れるだけ走っている、その後を米友が懸命に追いかけているのです。
大菩薩峠:35 胆吹の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
お日様の光がのどかに照りわたった西田甫の畔道あぜみちに、子ひばりを抱いた婆やのあとから、むつましく声をそろえて唱歌をうたいながら行く一郎さんとたえ子さんの姿が見えました。
ひばりの子 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
伝法院の庭を抜け、田圃の間の畔道あぜみちを真直に行くと(右側の田圃が今の六区一帯に当る)、伝法院の西門に出る。その出口に江戸侠客きょうかくの随一といわれた新門辰五郎しんもんたつごろうがいました。
そして畔道あぜみちには、麦を積んだ車が通り、後から後からと、列を作って行くのである。
郷愁の詩人 与謝蕪村 (新字新仮名) / 萩原朔太郎(著)
賽錢さいせんくだされつてますといへして、中田圃なかたんぼ稻荷いなり鰐口わにぐちならしてあはせ、ねがひはなにきもかへりもくびうなだれて畔道あぜみちづたひかへ美登利みどり姿すがた、それととほくよりこゑをかけ
たけくらべ (旧字旧仮名) / 樋口一葉(著)
陸稻をかぼばたけ畔道あぜみちを、ごほんごほんと咳入せきいりながら、かな/\はどこへゆくのでせう。
ちるちる・みちる (旧字旧仮名) / 山村暮鳥(著)
その為めに畔道あぜみちを歩いて居た人は、田の稲のかげにかくされて形が見えなくなつたのであらう。と、さういふのがこの事に就ての彼の妻の解釈であつた。成程、それが適当な解釈らしい、と彼も考へた。
二人は藤棚の蔭を離れて、畔道あぜみちへ出て来た。
あらくれ (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
たどりすぎ人の心にとげぞ有る殼枳寺からたちでら切道きりどほし切るゝ身とは知らずともやがて命は仲町と三次は四邊あたり見廻すにしのばずと云ふ名は有りといけはたこそ窟竟くつきやうの所と思へどまだ夜もあさければ人の往來ゆききたえざる故山下通り打過て漸々やう/\思ひ金杉と心の坂本さかもとどほこし大恩寺だいおんじまへへ曲り込ば此處は名におふ中田圃なかたんぼ右も左りも畔道あぜみちにて人跡じんせきさへも途絶とだえたる向ふは
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
降らないでもない、糠雨ぬかあめの中に、ぐしゃりと水のついた畔道あぜみち打坐ぶっすわって、足の裏を水田みずたのじょろじょろながれくすぐられて、すそからじめじめ濡通って
沼夫人 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
また辺り一帯には松の疎林そりんがあり、樹間をとおして広々とした田野がみえる。刈入れのすんだところは稲束が積みかさねられ、畔道あぜみちにはすすきが秋の微風をうけてゆるやかになびいている。
大和古寺風物誌 (新字新仮名) / 亀井勝一郎(著)
「その畔道あぜみちに小さくなっているのが迷径梅」
大菩薩峠:29 年魚市の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
なにならんと小走こばしりしてすゝりつ一枝ひとえだ手折たをりて一りんしうりんれかざしてるも機嫌取きげんとりなりたがひこゝろぞしらず畔道あぜみちづたひ行返ゆきかへりてあそともなくくらとりかへゆふべのそら雲水くもみづそう一人ひとりたゝく月下げつかもん何方いづこ浦山うらやましのうへやと見送みをくればかへるかさのはづれ兩女ふたりひとしくヲヽとさけびぬ
五月雨 (旧字旧仮名) / 樋口一葉(著)
いつの春だったか、小泉の辺りでバスを降りて、畔道あぜみちに腰をおろしながら、法起寺と法輪寺の塔を望見したことがあったが、陽炎かげろうのなかに二つの塔がかすかに震えているのをみてこの感を深うした。
大和古寺風物誌 (新字新仮名) / 亀井勝一郎(著)