あづま)” の例文
いきに吾がふ君はとりが鳴くあづまの坂を今日か越ゆらむ」(同・三一九四)等、結句の同じものがあるのは注意すべきである。
万葉秀歌 (新字新仮名) / 斎藤茂吉(著)
「鳥が鳴くあづまの空に僥倖ふさへしに、行かんと思へど便宜よし旅費さねもなし」との述懐は、当時の都人士の憧憬あこがれるところを露骨に歌ったものであった。
但馬守たじまのかみなつかしさうにつて、築山つきやま彼方かなたに、すこしばかりあらはれてゐるひがしそらながめた。こつな身體からだがぞく/\するほどあづまそらしたはしくおもつた。
死刑 (旧字旧仮名) / 上司小剣(著)
仕舞しまひ住馴すみなれ京都みやこあとになし孤子みなしごかゝへて遙々はる/″\あづまそらおもむ途中とちう三州迄は來たれどもほとん困窮こんきうせまり餘儀なく我が子を
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
二一くずのうら葉のかへるは此の秋なるべし。心づよく待ち給へと、いひなぐさめて、夜も明けぬるに、二二鳥があづまを立ち出でて京の方へ急ぎけり。
だがいま伊井君の一座にゐるあづまを向うにまはして芝居をした当年のこの花房露子が、いまの田村俊子夫人だといつても嘘だといふ人があるだらうと思ひます。
井上正夫におくる手紙 (新字旧仮名) / 久保田万太郎(著)
この御世に田部たべを定め、またあづまあは水門みなと一〇を定め、またかしはで大伴部おほともべを定め、またやまと屯家みやけ一一を定めたまひ、また坂手さかての池一二を作りて、すなはちその堤に竹を植ゑしめたまひき。
王朝時代にあづまに下つた、業平朝臣なりひらあそんすゑだとも言ひ、染井村に土着して、代々豪士として勢威を振ひ、太田道灌だうくわんが江戸にきづいた頃は、それに仕官して軍功を樹てましたが、徳川家康入府の際には
記・紀の日本武尊が、あづまの国を越えて、甲斐に出られた時
万葉集の解題 (新字旧仮名) / 折口信夫(著)
さう云つて、あづま一は、民子の顔をじろ/\見直した。
花問答 (新字旧仮名) / 岸田国士(著)
「……あづまより……昨日来たれば……も持たず」
私本太平記:01 あしかが帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
あづまなる八咫やたの鏡を雪山ゆきやま阿耨達池アノクタいけに見るは嬉しも
チベット旅行記 (新字新仮名) / 河口慧海(著)
あづまコートに御高祖頭巾おこそづきん、——アヽれ婦人なり
火の柱 (新字旧仮名) / 木下尚江(著)
いくとせをあづまきやう
おもひで (新字旧仮名) / 末吉安持(著)
天の牝馬はあづまなる
若菜集 (新字旧仮名) / 島崎藤村(著)
雌雄めをたき鯉岩烏帽子岩ゑぼしいはなどあり飯田とかへ通路ありとて駄荷多くつどひて賑し左れど旅人りよじんなどは一向になし晝の宿に西洋人二人通辯ボーイ等五六人居たるのみ此峠は木曾の御坂みさかと歌にも詠む所にて左のみ嶮しからず景色穩やかにてよしいにしへ西京よりあづまへ向ひて來んには此の峠こそ木曾にるは
木曽道中記 (旧字旧仮名) / 饗庭篁村(著)
勝四郎は雀部ささべに従ひて京にゆき、絹ども残りなく交易せしほどに、当時このごろ都は四三花美くわびを好むときなれば、四四よき徳とりてあづまに帰る用意はかりごとをなすに、今度このたび上杉のつはもの鎌倉の御所をおと
天皇すめろぎ御代みよさかえむとあづまなるみちのくやま金花くがねはなく 〔巻十八・四〇九七〕 大伴家持
万葉秀歌 (新字新仮名) / 斎藤茂吉(著)
女房にあづなほ又江戸表より一年に五六兩づつは送る約束やくそくにて其身は三十兩懷中くわいちうし享保三年のふゆあづまそらへ下りたり彦兵衞が女房は至つて縫物ぬひものめうを得たる故諸處より頼まれ相應さうおう縫錢ぬひせん
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
ここを以ちてその老人を譽めて、すなはちあづまくにみやつこ一八を給ひき。
あづまより
私本太平記:01 あしかが帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
中つ枝は あづまを負へり一一