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忌
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き
ふりがな文庫
“
忌
(
き
)” の例文
と。
既
(
すで
)
に
馳
(
は
)
すること
(二九)
三
輩
(
はい
)
し
畢
(
をは
)
りて、
(三〇)
田忌
(
でんき
)
一
(
ひと
)
たび
勝
(
か
)
たずして
再
(
ふたた
)
び
勝
(
か
)
つ。
卒
(
つひ
)
に
王
(
わう
)
の千
金
(
きん
)
を
得
(
え
)
たり。
是
(
ここ
)
に
於
(
おい
)
て
忌
(
き
)
、
孫子
(
そんし
)
を
威王
(
ゐわう
)
に
進
(
すす
)
む。
国訳史記列伝:05 孫子呉起列伝第五
(旧字旧仮名)
/
司馬遷
(著)
「されば、今年はちょうど、忠利様の祖父の君にあたる
幽斎
(
ゆうさい
)
公さまが、三条車町の御別邸でおかくれ遊ばしてより三年の
忌
(
き
)
のお迎えと相成るので」
宮本武蔵:08 円明の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
翁草に興津が
殉死
(
じゅんし
)
したのは三斎の三回
忌
(
き
)
だとしてある。しかし同時にそれを
万治
(
まんじ
)
寛文
(
かんぶん
)
の頃としてあるのを見れば、これは何かの誤でなくてはならない。
興津弥五右衛門の遺書(初稿)
(新字新仮名)
/
森鴎外
(著)
忌
(
き
)
の日・
日忌
(
ひい
)
み様・二十五日様等の名も一つの証拠であるが、カイナンボウなどという珍しい言葉までが、行く行くはまた一つの手掛りになるだろう。
年中行事覚書
(新字新仮名)
/
柳田国男
(著)
店員の食事に獣肉を混ぜて食うのは一向、
忌
(
き
)
に触れないばかりでなく、店員の身体もよくなり能率も挙るだろうと主張した。実行してその通りになった。
生々流転
(新字新仮名)
/
岡本かの子
(著)
▼ もっと見る
手向
(
たむけ
)
候者一人も是なし
併
(
しか
)
し
拙僧
(
せつそう
)
宗旨
(
しうし
)
の儀は
親鸞上人
(
しんらんしやうにん
)
よりの申
傳
(
つたへ
)
にて
無縁
(
むえん
)
に相成候
塚
(
つか
)
へは
命
(
めい
)
日
忌
(
き
)
日には
自坊
(
じばう
)
より
香花
(
かうげ
)
を
手向
(
たむけ
)
佛前
(
ぶつぜん
)
に於て
回向
(
ゑかう
)
仕つり候なりと元より
墓標
(
はかじるし
)
も
無
(
なき
)
を
大岡政談
(旧字旧仮名)
/
作者不詳
(著)
忌
(
き
)
を終り、十月に、保良宮に行幸した。天皇も同行し、道鏡も
随行
(
ずいこう
)
した。押勝は都に残った。
道鏡
(新字新仮名)
/
坂口安吾
(著)
知るに至った
端緒
(
たんちょ
)
であるがこの書は
生漉
(
きず
)
きの和紙へ四号活字で印刷した三十枚ほどのもので察するところ春琴女の三回
忌
(
き
)
に弟子の検校が
誰
(
だれ
)
かに頼んで師の伝記を編ませ配り物にでもしたのであろう。
春琴抄
(新字新仮名)
/
谷崎潤一郎
(著)
「さればよ、
明日
(
あす
)
は、父義朝の五七日の
忌
(
き
)
にあたる。小さい
卒塔婆
(
そとうば
)
なと
削
(
けず
)
ってご供養のしるしとしたいが」
源頼朝
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
その神を
日忌
(
ひいみ
)
様、その日を
忌
(
き
)
の日というのがそれであって、今では二十五日を中心と見ているらしいが、祭の謹慎の始まるのは、やはり二十四日の前の宵からである。
年中行事覚書
(新字新仮名)
/
柳田国男
(著)
孫臏
(
そんびん
)
、
(二〇)
刑徒
(
けいと
)
を
以
(
もつ
)
て
陰
(
ひそか
)
に
見
(
み
)
て
齊
(
せい
)
の
使
(
つかひ
)
に
説
(
と
)
く。
齊
(
せい
)
の
使
(
つかひ
)
、
以
(
もつ
)
て
奇
(
き
)
と
爲
(
な
)
し、
竊
(
ひそか
)
に
載
(
の
)
せて
與
(
とも
)
に
齊
(
せい
)
に
之
(
ゆ
)
く。
齊
(
せい
)
の
將
(
しやう
)
・
田忌
(
でんき
)
、
(二一)
善
(
よみ
)
して
之
(
これ
)
を
(二二)
客待
(
かくたい
)
す。
忌
(
き
)
數〻
(
しばしば
)
齊
(
せい
)
の
諸公子
(
しよこうし
)
と
(二三)
驅逐重射
(
くちくちようせき
)
す。
国訳史記列伝:05 孫子呉起列伝第五
(旧字旧仮名)
/
司馬遷
(著)
進められ夫は何か
仔細
(
しさい
)
の有さうな事シテ然樣に
拷問
(
がうもん
)
に掛るには何か
證據
(
しようこ
)
がなくてはならず何ぞ
遁
(
のが
)
れ難き證據にても有しやと
尋
(
たづね
)
らるゝに藤八
謹
(
つゝし
)
んで答ふる樣先月二十日は節が
實母
(
じつぼ
)
の七年
忌
(
き
)
祥當なるにより大井川の東上新田村と申處に
尊
(
たふと
)
き
御僧
(
ごそう
)
が在る故何卒母の
供養
(
くやう
)
を
大岡政談
(旧字旧仮名)
/
作者不詳
(著)
室の中に
焚
(
た
)
き
籠
(
こ
)
められていた香の煙が、彼女と共に外へ流れた。百日の
忌
(
き
)
を過ぎてもなお、陽に会わないでいるせいか、梨の花のように白い
愁
(
うれ
)
いを顔に
湛
(
たた
)
えている。
宮本武蔵:08 円明の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
三六
忌
(
き
)
の日
年中行事覚書
(新字新仮名)
/
柳田国男
(著)
遂
(
とぐ
)
る處一々
明白
(
めいはく
)
に申立ると雖も其方儀先頃無量庵へ
闇夜
(
あんや
)
の
節
(
せつ
)
提灯
(
ちやうちん
)
の用意もなく參りしとあり其
刻限
(
こくげん
)
篤
(
とく
)
と申立よと云れければ九助夫は去る三月十九日は私し妻節が實母七回
忌
(
き
)
の
逮夜
(
たいや
)
に當り候間上新田村無量庵の住寺は
生佛
(
いきぼとけ
)
の樣に
近郷
(
きんがう
)
近村にて申
唱
(
とな
)
ふるにより何卒
回向
(
ゑかう
)
を
大岡政談
(旧字旧仮名)
/
作者不詳
(著)
柴家
(
さいけ
)
では故人皇城の七々
忌
(
き
)
に当たり、典儀のあと、型のごとく、法事の宴に移っていた。——と、そこへ、どやどやと一群の“招かれざる客”が門へおしかけて来たものだった。
新・水滸伝
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
“
忌
(
き
)
も怠りて働けど——”とそこでも私はお念仏の代りにつぶやいたことであった。
随筆 新平家
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
「オオその柴進なら話はつけよい。皇城の病死、つづいて葬儀、やむなく今日まで待ってやったが、早や七々の
忌
(
き
)
も今日で相
済
(
す
)
もう。さっそく明日はここを明け渡せよ。よろしいな」
新・水滸伝
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
けれど、きょうの雪斎四十九日の
忌
(
き
)
に焼香した今川家の将士の中には、どことなく平和を欠いた
騒
(
ざわ
)
めきが
漲
(
みなぎ
)
っていた。辻固めの士にまで、殺気に近い緊張が流れていた。——
戦
(
いくさ
)
がある。
新書太閤記:02 第二分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
会議、月の
忌
(
き
)
、祝日と、多事な日がつづいたあと、清洲は、毎日の大雨だった。
新書太閤記:08 第八分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
“父母の
忌
(
き
)
もおこたりてはたらけど、やすらぎ給へ良き子とはならむ”
随筆 新平家
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
ついきのうは
初七日
(
しょなのか
)
の
忌
(
き
)
で、宮中をはじめ二条の
故館
(
こかん
)
では法要が行われ、各寺院でも終日の
勤行
(
ごんぎょう
)
があり、町の声にしても、もう
亡
(
な
)
い人となると、いまは何か、巨大に感じられる人間像とあとの
空虚
(
うつろ
)
に
私本太平記:13 黒白帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
七回
忌
(
き
)
であったのである。
私本太平記:13 黒白帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
“忌”の意味
《名詞》
(キ)ある人物が死んだ日。
(キ)喪に服している期間。
(出典:Wiktionary)
“忌(忌み)”の解説
忌み、斎み(いみ)は
神に対して身を清め穢れを避けて慎む事。斎戒。
(転じて)忌み避けるべきこと。禁忌。はばかり。
平安時代以降の用例は大半が2.の意。
(出典:Wikipedia)
忌
常用漢字
中学
部首:⼼
7画
“忌”を含む語句
忌々
忌々敷
可忌
忌憚
物忌
忌明
忌日
嫌忌
忌諱
忌嫌
禁忌
小忌
忌籠
斎忌
忌忌
忌避
猜忌
忌中
忌服
厭忌
...