屹然きつぜん)” の例文
柳の立木の上に、天主堂の尖塔、屹然きつぜんと雲端を摩せるを見る。日本人五人、麦畑を縫いつつ出で来る。その一人は同文書院の学生なり。
上海游記 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
這入ろうと思って片足高い処に踏み掛けたが、丁度出入口の処に絆纏はんてんを着た若い男が腕組をして立っていて、屹然きつぜんとして動かない。
青年 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
さっき、有村がここに立って、討幕の詩を微吟びぎんしていた時は、屹然きつぜんとしていた捨曲輪の石型や櫓が、みじめにゆがみくずれている。
鳴門秘帖:04 船路の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
かの駱駝らくだの毛皮を衣、いなごと野蜜を食とし、屹然きつぜんとして道徳の権威と罪の悔い改めとを宣べ伝えていた洗礼者ヨハネがその人であったのです。
軽浮剽逸なる戯作者流を圧倒して、屹然きつぜん思想界に聳立しようりつしたる彼の偉功の如きは、文学史家の大に注目すべきところなるべし。
小娘は釣をする人の持前の、大いなる、動かすべからざる真面目の態度を以て、屹然きつぜんとして立っている。そして魚をはりから脱して、地に投げる。
(新字新仮名) / ペーター・アルテンベルク(著)
定家ていか糟粕そうはくをしゃぶるでもなく自己の本領屹然きつぜんとして山岳と高きを争い日月と光を競うところ実におそるべく尊むべく覚えずひざを屈するの思い有之これあり候。
歌よみに与ふる書 (新字新仮名) / 正岡子規(著)
此の信念こそ吾々が確守すべき武器であり、之あるによって始めて吾々は暴力の前に屹然きつぜんとして亭立しうるのである。
二・二六事件に就て (新字新仮名) / 河合栄治郎(著)
口々くち/″\わめき立てる野卑やひな叫びが、雨の如く降って来るのを、舞台の正面に屹然きつぜんと立って聞いて居る嬢の顔には、かすかにくれないちょうして来るようであった。
小僧の夢 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
何という快さだろう! 四大の峻烈しゅんれつな意志に逆らって、雲と水と丘との間に屹然きつぜんと独り目覚めてあることは! 私は次第にヒロイックな気持になって行った。
光と風と夢 (新字新仮名) / 中島敦(著)
その歌というのが、「東洋に、屹然きつぜん立ったる日本の国に、昔嘉永の頃と聞く、相州浦賀そうしゅううらがにアメリカの、軍艦数隻寄せ来り、勝手気ままの条約を、取結んだるその時に」
鴎外の思い出 (新字新仮名) / 小金井喜美子(著)
それに引かえて主人あるじえ汚れて黒ばめる衣裳を、流石さすがに寒げに着てこそは居ないが、身のやせの知らるる怒り肩は稜々りょうりょうとして、巌骨がんこつ霜を帯びて屹然きつぜんとしてそびゆるが如く
雪たたき (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
孔生は眼前めさきがくらみ耳がつぶれるように思ったが、屹然きつぜんと立ってすこしも動かなかった。
嬌娜 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
氷の断涯が無数の滝を垂らし、屹然きつぜんとそびえている。すると、折竹が急に何を感じたのか、荷物のなかから微動計を取りだした。そしてその夕、おのぶサンにこう言いつけたのである。
人外魔境:08 遊魂境 (新字新仮名) / 小栗虫太郎(著)
その長州侯に向って「今日早く志を皇室に帰して、屹然きつぜん皇室の依頼となること、智者にりて何の擬議ぎぎかこれあらん」といい、かつまた長州侯にすすめて「兵庫海防を辞すべし」といい
吉田松陰 (新字新仮名) / 徳富蘇峰(著)
そりを打った中折れの茶のひさしの下から、深きまゆを動かしながら、見上げる頭の上には、微茫かすかなる春の空の、底までもあいを漂わして、吹けばうごくかと怪しまるるほど柔らかき中に屹然きつぜんとして
虞美人草 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
学生の隣にすくみたりし厄介者やっかいもの盲翁めくらおやじは、このとき屹然きつぜんと立ちて、諸肌もろはだくつろげつつ
取舵 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
爾来じらい幾星霜いくせいそう風雨ふううにうたれたヘクザ館は、古色蒼然こしょくそうぜんとして、荒れ果ててはいるが、さいわいにして火にも焼かれず、水にもおかされず、いまもって淡路島の中央山岳地帯に、屹然きつぜんとしてそびえている。
少年探偵長 (新字新仮名) / 海野十三(著)
屹然きつぜんとして
牧羊神 (旧字旧仮名) / 上田敏(著)
やがて八門の陣をシックリとんで、あたかも将軍しょうぐん寝間ねまをまもる衛兵えいへいのように、三十六人が屹然きつぜんとわかれて立った。
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
あなが人丸ひとまろ赤人あかひと余唾よだねぶるでもなく、もとより貫之つらゆき定家ていか糟粕そうはくをしやぶるでもなく、自己の本領屹然きつぜんとして山岳さんがくと高きを争ひ日月と光を競ふ処、実におそるべく尊むべく
歌よみに与ふる書 (新字旧仮名) / 正岡子規(著)
朝夕の霧の中から浮び上る丘々や、その上に屹然きつぜんとして聳える古城郭から、遥か聖ジャイルス教会の鐘楼へかけての崎嶇きくたるシルウェットが、ありありと眼の前に浮かんで来た。
光と風と夢 (新字新仮名) / 中島敦(著)
かうべあるものこしかして、ぺた/\とつて瞪目たうもくしてこれれば、かしらなき將軍しやうぐんどう屹然きつぜんとして馬上ばじやうにあり。むねなかよりこゑはなつて、さけんでいはく、無念むねんなり、いくさあらず、てきのためにそこなはれぬ。
唐模様 (旧字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
何よりも不気味なのは、ちょうど寄手の総軍を後ろから見ている形に、屹然きつぜんと、夏の雲を負ってそびえている栗原山から南宮山——また、菩提山ぼだいさんなどの動きだった。
新書太閤記:03 第三分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
日本が数箇の強国を打ち倒し第十四回平和会議の紀念として建てられたる万国平和の肖像は屹然きつぜんとして天にそびえ、日々月々出入する幾多の船舶の上に慈愛の露をそそぎ居れり。
四百年後の東京 (新字旧仮名) / 正岡子規(著)
刈屋城かりやじょうの天守閣が屹然きつぜんと松の上に沖の海光をうけてそびえていたが、町の辻々には、まだゆうべの闇がよどんでいて、会所の軒行燈のきあんどんにも、ぼんやりと灯が消え残っているし
新編忠臣蔵 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
屹然きつぜんと、闇の空に立っている無言の碑と、それにぬかずく一同の影をながめていたが、夜目のせいか、涙をたたえていたせいか、ふと、彼の眼には、碑面の文字がこう見えた。
梅里先生行状記 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
唯見る、二本の木剣がつんざく稲妻をほとばしらせて七、八合の搏音うちおとがしたなと思った時は、もう自斎の屹然きつぜんと立っているのに反して重蔵は仰向けに倒れていた……それ程にはやかった。
剣難女難 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
関羽も、油断せず玄徳のうしろに屹然きつぜんと立っていた。
三国志:04 草莽の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)