大通おほどほり)” の例文
その前の広場の石畳が反対の側へ幾段かに高まつて居て、其処そこ大通おほどほりから少し離れて裏町である為に車馬の往来しないのが好かつた。
巴里より (新字旧仮名) / 与謝野寛与謝野晶子(著)
誰だったか独逸人を地獄へおとしたら、屹度きつと地獄と伯林ベルリンとの比較研究を始めて、地獄の道にも伯林の大通おほどほりのやうに菩提樹の並樹なみきを植付けたい。
と、おたがひ微醺びくんびてへんはづつた氣分きぶん黄包車ワンポイソオり、ふたゝ四馬路スマロ大通おほどほりたのはもうよるの一ぎだつた。
麻雀を語る (旧字旧仮名) / 南部修太郎(著)
こゝろ不覺そゞろ動顛どうてんして、匇卒いきなりへや飛出とびだしたが、ばうかぶらず、フロツクコートもずに、恐怖おそれられたまゝ、大通おほどほり文字もんじはしるのであつた。
六号室 (旧字旧仮名) / アントン・チェーホフ(著)
その二階屋の表のとほりわたし夕餐ゆふめしのちに通つて見た。其処そここの田舎町の大通おほどほりで——矢張やはり狭かつた——西洋小間物みせ葉茶屋はぢやや、呉服商、絵葉書屋などが並んでた。
父の墓 (新字旧仮名) / 田山花袋(著)
は、二筋ふたすぢけた、ゆる大蛇おろち兩岐ふたまたごとく、一筋ひとすぢさきのまゝ五番町ごばんちやうむかひ、一筋ひとすぢは、べつ麹町かうぢまち大通おほどほりつゝんで、おそちかづいたからである。
露宿 (旧字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
たまたいち大通おほどほりき会ひし時
晶子詩篇全集 (新字旧仮名) / 与謝野晶子(著)
「今の芸当だね、あれを何処で習つたと思はつしやる。一年前紐育ニユーヨーク大通おほどほりで、せつせと辻自動車タキシき使つたお蔭でさ。」
コンメルスの大通おほどほりに出て土地に過ぎた程立派な二つの大劇場を眺め、美術学校前の広場プラスを横ぎつてヷン・ダイクの新しい石像を一べつして旅館オテルへ帰つた。
巴里より (新字旧仮名) / 与謝野寛与謝野晶子(著)
『肥後の八代やつしろとも言はれる町が、まさかこんなでもあるまい。此処こゝは裏町か何かで、にぎやかな大通おほどほりは別にあるだらう』とわたしは思つた。成程なるほど、少し行くと、とほりがいくらか綺麗きれいになつた。
父の墓 (新字旧仮名) / 田山花袋(著)
いまから大凡おほよそ十三四ねん以前いぜんまちの一ばん大通おほどほりに、自分じぶんいへ所有つてゐたグロモフとふ、容貌ようばう立派りつぱな、金滿かねもち官吏くわんりつて、いへにはセルゲイおよびイワンと二人ふたり息子むすこもある。
六号室 (旧字旧仮名) / アントン・チェーホフ(著)
……さきへ/\、くのは、北西きたにしいちはうで、あとから/\、るのは、東南ひがしみなみ麹町かうぢまち大通おほどほりはうからである。かずれない。みち濡地ぬれつちかわくのが、あき陽炎かげろふのやうに薄白うすじろれつゝ、ほんのりつ。
番茶話 (旧字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
うかすると夜間にこの界隈へ大通おほどほりから一歩迷ひ込んだ旅客りよかくの一人や二人が其儘そのまゝ生死しやうじ不明になつて仕舞しまふ例もあると云ふ。しかし其れは昔のことに違ひない。
巴里より (新字旧仮名) / 与謝野寛与謝野晶子(著)
演奏のある日のひる過ぎ、アルマ・グルツク女史は好きな菓子を買ひに大通おほどほりの店屋に入つて往つた。番頭は朋輩を相手に頻りとその晩の演奏会の事を噂してゐた。