供奉ぐぶ)” の例文
陸軍中将山県有朋は、陛下に供奉ぐぶして西下して居たが、西南の急変を知るや、直ちに奏して東京大阪広島の各鎮台兵に出動を命じた。
田原坂合戦 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
所名ところな辻占つじうらも悪い。一条戻り橋まで来たときだった。供奉ぐぶの面々は急にながえを抑えて立ちどまった。いやしゃ二、み車をまわし初めた。
私本太平記:04 帝獄帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
公武一和の説を抱いて供奉ぐぶの列の中にあった岩倉、千種ちぐさ富小路とみのこうじの三人の公卿くげが近く差し控えを命ぜられ、つづいて蟄居ちっきょを命ぜられ
夜明け前:01 第一部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
還啓に供奉ぐぶする公卿こうけいの多さは行幸にも劣らぬものだった。御秘蔵子の東宮のお帰りになったのちの院の御心は最もお悲しかった。
源氏物語:10 榊 (新字新仮名) / 紫式部(著)
ああ、だいぶ遅くなってしまった。山科やましなの里では供奉ぐぶの者達がさぞや待ちかねていることだろう。では、文麻呂。さらばじゃ!
なよたけ (新字新仮名) / 加藤道夫(著)
元亨釈書げんこうしゃしょに、安和の上皇、勅して供奉ぐぶと為す、佯狂垢汗ようきょうこうかんして逃れ去る、と記しているが、はばかりも無く馬鹿げた事をして、他にいとい忌まれても
連環記 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
これは供奉ぐぶした人麿が、天皇の御威徳を讃仰し奉ったもので、人麿の真率しんそつな態度が、おのずからにして強く大きいこの歌調を成さしめている。
万葉秀歌 (新字新仮名) / 斎藤茂吉(著)
帝、食を賜い、あつものを調し、詔あり翰林かんりん供奉ぐぶせしむ。——これがその時の光景であった。非常に優待されたことが、寸言の中に窺われるではないか。
岷山の隠士 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
お忍びの御幸ではあったが、供奉ぐぶは徳大寺実定以下、公卿六人、殿上人八人、北面の武士も数人お供に加わった。
赤地にしきの直垂ひたたれ緋縅ひおどしのよろい着て、頭に烏帽子えぼしをいただき、弓と矢は従者に持たせ、徒歩かちにて御輿みこしにひたと供奉ぐぶする三十六、七の男、鼻高くまゆひい
ああ玉杯に花うけて (新字新仮名) / 佐藤紅緑(著)
猴を神使とせる例、『若狭わかさ郡県志』に上中郡賀茂村の賀茂大明神降臨した時白猿供奉ぐぶす、その指した所に社を立てた。飛騨宕井戸村山王宮は田畑の神らしい。
供奉ぐぶのほうは放ったらかし、象を曳込んだという麹町一丁目の詰番所まで横ッ飛びに駆けてきて、ズイと葭簀の中へはいると、一足先に、そこへ来ていたのが
毛氈もうせんきらびやかにして、脇小路小路は矢来にて仕切り、桜田へんの大名方より神馬をひかれ、あるいは長柄の供奉ぐぶ、御町与力同心のお供あり、神輿三社、獅子二かしら。
丹下左膳:01 乾雲坤竜の巻 (新字新仮名) / 林不忘(著)
北面の武士に兵部重清ひょうぶしげきよというがあって、それが正安二年の春、後伏見院が北山に行幸ありし際、その供奉ぐぶの官女の中に、ええ、何と言ったかな、そうそう、朝霧という美女がいた
大菩薩峠:40 山科の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
隨而小弟此節供奉ぐぶ仰付、昨日安著仕候間、乍憚御放意可下候。
遺牘 (旧字旧仮名) / 西郷隆盛(著)
作りひげ、作り眉を遊ばし、鉄漿かねをおつけになりまして、美々しき衣裳をお召しなされ、供奉ぐぶの人々も皆々派手を競われて、若々しきいでたちをなされましたので、その行列を拝見しようと
聞書抄:第二盲目物語 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
この雲を切りしたがえる者はやがて日没の空をおのが供奉ぐぶの仕着せにすることだろうと思わせつつ、はせり往くのに出あうとき、あるいは、この鉄の馬が雷のようないななきで山々をこだまさせ
昔は勝利のあらゆる途を知悉ちしつし、雷電の車上よりおごそかな指をもってそれを指示した彼も、いまやその群がり立ったる軍隊の供奉ぐぶ断崖だんがいに導くほど、悲しむべき惑乱のうちにあったのであろうか。
其上昔の人は法律學も政治學も知らず權利義務の考も薄ければ國家などゝいふ觀念もたしかならず只感情ばかりにて尊しとも悲しとも思ふわけなれば供奉ぐぶ中にても悲しき時は悲しきと歌よみたるべし。
万葉集を読む (旧字旧仮名) / 正岡子規(著)
光映は明治元年五月十五日上野戦争の際輪王寺りんのうじの宮に供奉ぐぶして上野をのが三河島みかわしま尾久おく村に潜み、十七日市ヶ谷富久町いちがやとみひさちょうの自証院にいたっていとまを賜った。以上は森鴎外もりおうがい先生の「能久親王よしひさしんのう事蹟」に見えている。
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
「戀」の供奉ぐぶにかづけの纏頭はなと贈らむも、よし遮莫さもあらばあれ
海潮音 (旧字旧仮名) / 上田敏(著)
肩さし手さし供奉ぐぶしまつるは
晶子詩篇全集拾遺 (新字旧仮名) / 与謝野晶子(著)
ちょうど彼方の亭では、みかど立座りゅうざとみえて、公卿たちの群れの間から、供奉ぐぶの人員へ、御車触みくるまぶれが、しきりに手合図され出していた。
また神楽のほうを受け持つ人も多数に行った。宮中、院、東宮の殿上役人が皆御命令によって供奉ぐぶの中にいるのも無数にあった。
源氏物語:35 若菜(下) (新字新仮名) / 紫式部(著)
もとより官費に属すべきことで決して人民に難儀をかけまいぞと仰せられ、大臣以下供奉ぐぶの官員が旅宿はことさらに補修を加うるに及ばず
夜明け前:04 第二部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
前述して置いた小笠原与八郎長忠は、他国の戦に供奉ぐぶせしは、今度が初めての事なので目を驚かせる程の戦せんとて、黒坂備中守に馳合った。
姉川合戦 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
若崎は拝伏はいふくして泣いた。供奉ぐぶ諸官、及び学校諸員はもとより若崎のあの夜の心のさけびを知ろうようは無かった。
鵞鳥 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
また、「宮廷歌人」などと云っても、現代の人々の持っている「宮廷歌人」の西洋まがいの概念と違った気持で供奉ぐぶしたことをも知らねばならぬのである。
万葉秀歌 (新字新仮名) / 斎藤茂吉(著)
他に三位中将知盛、頭中将重衡などが鳳輦ほうれん御綱みつな供奉ぐぶして、ひときわ華やかさを競ったものであった。
斯法しほふタルヤすなは如来によらい肝心かんじん衆生しゆじやう父母ぶも、国ニ於テハ城塹じやうざん、人ニ於テハ筋脈きんみやくナリ、是ノ大元帥ハ都内ニハ十供奉ぐぶ以外ニ伝ヘズ、諸州節度ノ宅ヲ出ヅルコトナシ、縁ヲ表スルニソノ霊験不可思議なり
大菩薩峠:41 椰子林の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
四海しかいなみ静かに、供奉ぐぶの方々も太平の春を喜んだのでござりまして、関白殿とのおん仲もまだその頃はお睦じゅう見えましたのに、それより僅か一年を隔てゝあのようなことが起りましょうとは
聞書抄:第二盲目物語 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
山科やましなの里まで行けば、供奉ぐぶの者がたくさん待っているそうだから……
なよたけ (新字新仮名) / 加藤道夫(著)
老懸を附けし者の供奉ぐぶの事を記ししにて釜取といいしはいと古し。
「恋」の供奉ぐぶにかづけの纏頭はなと贈らむも、よし遮莫さもあらばあれ
海潮音 (新字旧仮名) / 上田敏(著)
御輿みこしの御後に供奉ぐぶする人はあれは北畠親房きたばたけちかふさじゃ」
ああ玉杯に花うけて (新字新仮名) / 佐藤紅緑(著)
堂外では供奉ぐぶの六波羅武士四百余名が、枕をならべて自害したが、まずまず、おつつがなきをえたのである。古典ではここの所を
私本太平記:08 新田帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
江戸在府の譜代の諸大名、陸軍奉行、歩兵奉行、騎兵頭、剣術と鎗術そうじゅつと砲術との諸師範役、大目付おおめつけ、勘定奉行、軍艦奉行なぞは供奉ぐぶの列の中にあった。
夜明け前:02 第一部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
行幸の日は親王方も公卿くぎょうもあるだけの人が帝の供奉ぐぶをした。必ずあるはずの奏楽の船がこの日も池をぎまわり、唐の曲も高麗こうらいの曲も舞われて盛んな宴賀えんがだった。
源氏物語:07 紅葉賀 (新字新仮名) / 紫式部(著)
一首は、天皇に供奉ぐぶして行った多くの若い女官たちが、阿虞の浦で船に乗って遊楽する、その時にあの女官等の裳の裾が海潮にれるであろう、というのである。
万葉秀歌 (新字新仮名) / 斎藤茂吉(著)
供奉ぐぶの武将達も、或は河内に、或は伯耆ほうきに、北条氏討滅の為にあらゆる苦悩を味った訳であるから、此の日の主上及び諸将の面上に漂う昂然たる喜色は、想像出来るであろう。
四条畷の戦 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
法皇が鳥羽殿に行幸の際は必ず供奉ぐぶのうちに入っていた成親であった。それが、余りにも激しい身の上の変化である。華やかなりし時代、成親の別荘であった洲浜殿すはまどのもよそ目に見て通った。
瓜生ノ衛門 東路あずまじはさぞ淋しゅうござりましょうな。……手前もお供致しとうございました。………でも、供奉ぐぶのものはみな大伴おおとも様の御所存だったので、……残念ながら、……致し方ござりませぬ。
なよたけ (新字新仮名) / 加藤道夫(著)
「この姿、思い出されぬのもムリはない。それに四年も前——男山八幡の行幸みゆき供奉ぐぶして、楠木殿も足利殿も山上に明かした一夜のこと」
私本太平記:11 筑紫帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
この際、奉行としては道中宿々と助郷加宿とに厳達し、どんな無理をしても人馬を調達させ、供奉ぐぶの面々が西から続々殺到する日に備えねばならない。
夜明け前:01 第一部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
宮中へはいる人の形式が取られて、朱雀院からもお道具類は運び込まれた。その夜の儀装の列ははなやかなものであった。供奉ぐぶ者には高官も多数に混じっていた。
源氏物語:34 若菜(上) (新字新仮名) / 紫式部(著)
「それならば、そなたが、そのまま供奉ぐぶしてまいれ」
還幸かんこうの人数は、もう山を離れだしている。——供奉ぐぶには、吉田内府をはじめ、公卿あらかたと、山徒さんとの道場坊宥覚ゆうかくなどもお供して行った。
私本太平記:12 湊川帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
そのために彼は供奉ぐぶ警衛の人々の手から巡査をもって四大区十二小区の屯所とんしょへ送られ、さらに屯所から警視庁送りとなって、警視庁で一応の訊問じんもんを受けた。
夜明け前:04 第二部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
源氏はそんな時でなくても十二分に好意を表するならわしであったが、病気にたくして供奉ぐぶもしなかった。
源氏物語:10 榊 (新字新仮名) / 紫式部(著)
と、待ちわびておられた天皇と供奉ぐぶの面々が、その人数を見られたのは、どう早くても、その日、二十五日のひるちかくではなかったろうか。
私本太平記:04 帝獄帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)