耽溺たんでき)” の例文
近き頃森田草平もりたそうへいが『煤煙ばいえん小粟風葉おぐりふうようが『耽溺たんでき』なぞ殊の外世に迎へられしよりこのていを取れる名篇佳什かじゅう漸く数ふるにいとまなからんとす。
矢はずぐさ (新字旧仮名) / 永井荷風(著)
また放蕩ほうとうにふけっている者も同じことで、耽溺たんできしているあいだは『論語』をもっても『法華経ほけきょう』をもってもなかなか浮かびきれない。
自警録 (新字新仮名) / 新渡戸稲造(著)
ファロー(指定の骨牌一組のうちから出て来る順序を当てる一種の賭け骨牌)に耽溺たんできせんがために、みなその部屋に集まって来た。
その前年かに、泡鳴は小説「耽溺たんでき」を『新小説』に書いている。自然主義の波は澎湃ほうはいとして、田山花袋たやまかたいの「蒲団ふとん」が現れた時でもあった。
遠藤(岩野)清子 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
涅槃へ行くには二つのかたよった道を避けねばならぬ。その一つは快楽に耽溺たんできする道であり、他の一つは苦行に没頭する道である。この苦楽の二辺を
般若心経講義 (新字新仮名) / 高神覚昇(著)
耽溺たんでき、痴乱、迷妄めいもうの余り、夢ともうつつともなく、「おれの葬礼とむらいはいつ出る。」と云って、無理心中かと、遊女おいらんを驚かし、二階中を騒がせた男がある。
薄紅梅 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
ところがただそれだけでなく、今度は逆に、歌の新しい趣向を考えることの禁止がつよく述べられ、和歌的な雰囲気へ耽溺たんできすることが要求される。
中世の文学伝統 (新字新仮名) / 風巻景次郎(著)
金銭の余裕があるべくもない者の身で、ちょいちょい耽溺たんできを試みたり、兵馬の旅費までも綺麗きれいに立替えたりしてくれる。
大菩薩峠:24 流転の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
いつの世の中にも多い耽溺たんでき主義者だの、刹那主義的な人間も、信長のうたった「——人生五十年、化転けてんの夢にくらぶれば」
宮本武蔵:05 風の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
遂に力寿が非常にい女だということが定基耽溺たんできの基だというのに考えが触れて、美色ということにほこが向いたろう。
連環記 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
私はその声に推し進められて行く。その旅路は長い耽溺たんできの過去を持った私を寂しく思わせないではない。然しそれにもかかわらず私は行かざるを得ない。
惜みなく愛は奪う (新字新仮名) / 有島武郎(著)
自己耽溺たんできで、対人・対世間関係の理解において(のし出す・のし出さない、認められる・られない、について)俗的面と、弱さから来る妻や友人へのひが
彼がこのごろ恐ろしく不安な『遊蕩ゆうとう』生活に耽溺たんできしていることも、また曖昧あいまいな金のことで父親と喧嘩をして、非常にいらいらした気持になっていることも
あるいは正太がこの隠れた場処で、父の耽溺たんできの歴史を読みかけて置いたものではなかろうか、とおもってみた。
家:01 (上) (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
北原白秋氏、長田秀雄氏、木下杢太郎氏などとさかんに往来してかなりはげしい所謂いわゆる耽溺たんでき生活に陥っていた。
智恵子の半生 (新字新仮名) / 高村光太郎(著)
おそらく、これは彼の身うちに巣食っていた悪魔の所業か、そうでなければ、あまりにも魔界の美に耽溺たんできした彼に対する、神の怒りででもあったのでしょうか。
鏡地獄 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
机の上にはやりかけの写本がある、擬古体のごくなまめかしい戯作で、室町時代の豪奢ごうしゃな貴族生活、特に銀閣寺将軍の情事に耽溺たんできするありさまが主題になっていた。
七日七夜 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
ところが、その国民は極端に平和的な趣味を愛好した結果、崑崙茶の風味に耽溺たんできし過ぎたので、スッカリ気力をうしなって野蛮人やばんじんに亡ぼされてしまったものだそうです。
狂人は笑う (新字新仮名) / 夢野久作(著)
ある者は茶器の世界に耽溺たんできする。ある者は欧風の讃美に尽瘁じんすいする。ある者は科学的工夫に傾倒する。ある者は技巧をこれ美とし、ある者は刺戟しげきをこれ表現とする。
工芸の道 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
緑雨の耽溺たんでき方面の消息は余り知らぬから、あるいはその頃から案外コソコソ遊んでいたかも知れないが、く表面は頗る真面目まじめで、目に立つような遊びは一切慎しみ
斎藤緑雨 (新字新仮名) / 内田魯庵(著)
耽溺たんできと信心との別れ道はきわどいところにある。まっすぐに行くのと、ごまかすのとの相違だ。
出家とその弟子 (新字新仮名) / 倉田百三(著)
それから直接に官能に訴える人巧的な刺激を除くと、この巣の方がはるかに意義があるように思われるんだから、四辺の空気に快よく耽溺たんできする事ができないで迷っちまいます。
虚子君へ (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
「自分が耽溺たんできしているからだ」と、呼号するものがあるようだ。またどこか深いところから
耽溺 (新字新仮名) / 岩野泡鳴(著)
その中でも、藤村は啓蒙に心を傾け、花袋は耽溺たんできに生を享楽する。それぞれのちがいはある。
幸か不幸か中学時代から淫靡いんびな文学に耽溺たんできして居た御蔭で芸が身を助くるとでもうのでありましょうか⦅玉ノ井繁昌記⦆とか⦅レヴュウ・ガァルの悲哀⦆とか云う低級なエロ読物を
陳情書 (新字新仮名) / 西尾正(著)
幻燈に似た流行を耽溺たんできするプチ・ブルジョワの一群と、実生活から畸型きけい的に形成されたブルジョワ末期の社会に発生したプロレタリア精神の出現を、繁雑な社会主義理論闘争から逃れて
恋の一杯売 (新字新仮名) / 吉行エイスケ(著)
そこのカフェー生活に耽溺たんできしたことのある大尉は、最初の一杯を飲み干すと
ゼラール中尉 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
この点は本式の連歌も同じことで、あれほど豊富に精確な記録が保存せられているにもかかわらず、今読んでみただけではそれにたずさわった人たちの、あの執心と耽溺たんできとは想像し得られない。
木綿以前の事 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
馬琴物ばきんものから雪中梅型せっちゅうばいがたのガラクタ小説に耽溺たんできして居た余に、「浮雲うきぐも」は何たる驚駭おどろきであったろう。余ははじめて人間の解剖室かいぼうしつに引ずり込まれたかの如く、メスの様な其筆尖ふでさきが唯恐ろしかった。
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)
なんという耽溺たんできだったろう! 時としては、書物を読む時その文字の意味を理解するために、一音一音口の中で言ってみなければ承知しない人のように、彼女のくちびるの動くのが見えることもあった。
僕がもし仏教秘密文学の耽溺たんでき者だとしたら、毎夜この墓𥥔では、眼に見えない符号呪術の火がかれていて、黒死館の櫓楼の上を彷徨ほうこうする、黒い陰風がある——と結論しなければならないだろう。
黒死館殺人事件 (新字新仮名) / 小栗虫太郎(著)
劇場主は耽溺たんでき生活へ引摺ひきずり込んで、明るく愉快な作品を書かせることに専念し、妻のコンスタンツェはまた、子供と一緒に転地して夫のモーツァルトに限りなき浪費の財源を要求してやまなかった。
楽聖物語 (新字新仮名) / 野村胡堂野村あらえびす(著)
飛びもあへなく耽溺たんできのくるひにぞ入る。
邪宗門 (新字旧仮名) / 北原白秋(著)
到るところの花柳かりゅうちまたというところで、自分もこのだらしない雰囲気ふんいきの中に、だらしない相手と、カンカン日の昇るのを忘れて耽溺たんできしていた経験を
大菩薩峠:26 めいろの巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
彼がねがったのは、夢想し耽溺たんできすることの快楽を、恍惚こうこつとして実践する風流人の生活、当時の言葉でいうところの数寄者すきものの生活ではない。正反対である。
中世の文学伝統 (新字新仮名) / 風巻景次郎(著)
北原白秋氏、長田秀雄氏、木下杢太郎もくたろう氏などとさかんに往来してかなり烈しい所謂耽溺たんでき生活に陥つてゐた。
智恵子抄 (新字旧仮名) / 高村光太郎(著)
ここは当時の出合茶屋を兼ねた遊び風呂で、四、五日前から、そこに耽溺たんできしている新九郎は、屏風囲いのむッとするような酒の香の中に独りで杯をあげていた。
剣難女難 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
歓楽に耽溺たんできしやすい、従っていつでも現在をいちばん楽しく過ごすのを生まれながら本能としている葉子は、こんな有頂天うちょうてん境界きょうがいから一歩でも踏み出す事を極端に憎んだ。
或る女:2(後編) (新字新仮名) / 有島武郎(著)
だがもし肝心の一物が掴めていないなら、私たちは新しい文化を誇ってはいられないのである。丁度古い時代に耽溺たんできしてはならないのと同じである。日田の皿山はまさに現代の反律である。
日田の皿山 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
見様見真似に「茶精」の味ばかりに耽溺たんできして、アッタラ青春を萎縮させてしまう青年少女も居るといった調子ですが、今そこに寝ている支那留学生は、たしかにその一人に相違ないのです。
狂人は笑う (新字新仮名) / 夢野久作(著)
「生活というものはなにかを生みだすものだと信じている、そこもとたちの暮しは生活とはいえない、これは耽溺たんできだ、なにものをも生まず、働かず、快楽に溺れて恥じないのは禽獣きんじゅうに等しい」
(新字新仮名) / 山本周五郎(著)
そこに可なりの天体観測鏡をえつけ、星の世界に耽溺たんできすることでした。
鏡地獄 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
が、雄吉の陶酔と感激——人生の本当のものに対する感激ではなくして、人生の虚偽に対する危険なる感激——とに耽溺たんできしている彼には、そうした良心の声は、ほとんどなんの力さえなかった。
青木の出京 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
仙さんは多少たしょう富裕ゆたかな家の息子の果であろう。乞食になっても権高けんだかで、中々吾儘である。五分苅頭ごぶがりあたま面桶顔めんつうがお、柴栗を押つけた様な鼻と鼻にかゝる声が、昔の耽溺たんできを語って居る。仙さんは自愛家である。
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)
たしなみ変異に耽溺たんできする、君の領域じゃないか
黒死館殺人事件 (新字新仮名) / 小栗虫太郎(著)
それより悪行が面白くなり、辻斬をしては金を奪い、その金で鎌倉河岸の風呂屋女に耽溺たんできしていたが、その悪事が師なる宮本武蔵の耳に入って破門された。
大菩薩峠:19 小名路の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
縦令たとい道徳がそれを自己耽溺たんできののしらば罵れ、私は自己に対するこの哀憐あいれんの情を失うに忍びない。孤独な者は自分のてのひらを見つめることにすら、熱い涙をさそわれるのではないか。
惜みなく愛は奪う (新字新仮名) / 有島武郎(著)
まだその時代には、耽溺たんできという字がなかった。だが、そんな按配あんばいが二人の今の気持だろう。
鳴門秘帖:02 江戸の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
しかしながら古典に耽溺たんできするというよりも、自分をささやくことに、一層の親しみと、避けがたい宿命とを見せているような点で、人としては俊成と対蹠的たいしょてきであったといってよい。
中世の文学伝統 (新字新仮名) / 風巻景次郎(著)
さて、その翌日から私は、不思議な鏡の世界に、耽溺たんできし初めました。
湖畔亭事件 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)