歌留多かるた)” の例文
おまえ、このごろ、やっと世間の評判も、よくなって来たのに、また、こんなぐうたらな、いろは歌留多かるたなんて、こまるじゃないか。
懶惰の歌留多 (新字新仮名) / 太宰治(著)
「さあ、ここいらでさわりを入れるかな」木内桜谷は休みなく筆を動かしながら云った、「——うんすん歌留多かるただ、うんすん歌留多だ」
へちまの木 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
その何ですとさ、会社の重役の放蕩息子どらむすこが、ダイヤの指輪で、春の歌留多かるたに、ニチャリと、お稲ちゃんの手をおさえて、おお可厭いやだ。
陽炎座 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
歌留多かるたを取っても、ボールを投げてもおもしろかった。親しい友だちの胸に利己のさびしい影を認めるほど眼も心もさめておらなかった。
田舎教師 (新字新仮名) / 田山花袋(著)
三大節、歌留多かるた会、豆撒き、彼岸、釈迦まつり、ひなのぼりの節句、七夕の類、クリスマス、復活祭、弥撒ミサ祭なぞと世界的である。
東京人の堕落時代 (新字新仮名) / 夢野久作杉山萠円(著)
「びょうぶ」の前に、ふたりは「さらさ」Caraca の座ぶとんを敷いて、Carta「歌留多かるた」をしながら飲んだり食べたりしていた。
歳暮や年玉の贈答品に歌留多かるたや双六のたぐいが多く行なわれたので、その方面の需要が多かったのであろうかと察せられる。
明治劇談 ランプの下にて (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
そのうち年が暮れて春になりました。ある日奥さんがKに歌留多かるたをやるからだれか友達を連れて来ないかといった事があります。
こころ (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
私は、後で自分でも恥しくなったほど、それらの坊さん達を相手に饒舌しゃべった。はては、歌留多かるたとりまでもしてまるでお正月かなんかのような気分にすらなった。
「出やしません。日が暮れるとお稽古けいこがなくなつたから、早御飯にして、和助さんと無駄話をしたり、ウンスン歌留多かるたをやつたり、亥刻よつ前に寢てしまひましたよ」
早くから戸をおろし、あたたかな燈火ともしびの下で、歌留多かるたをとり合い、笑いさざめき、酒を酌み、餅を焼いていたが、市十郎には、もうそんな人生は、想像にもえがけなかった。
大岡越前 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
彼の死んだ知らせを聞いたのはちょうど翌年よくとしの旧正月だった。なんでものちに聞いた話によれば病院の医者や看護婦たちは旧正月をいわうために夜更よふけまで歌留多かるた会をつづけていた。
(新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
菓子器と歌留多かるたの箱があったので叮嚀に何れも蓋を取て中をしらべ、やがてもとのようにすると、押入を開けて本箱の中から数冊の書籍や前年度の日記を撰り出して精密に調べ始めた、其間そのあいだに渡邊は
誘拐者 (新字新仮名) / 山下利三郎(著)
ええええ、これだから眼が離されない……真実ほんとうにこういうところはごく子供だ……そう言えば、お前さん、今年の春もね、正太のお友達が寄って吾家うち歌留多かるたをしたことが有った。山瀬さんも来た。
家:01 (上) (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
食事が済んでもまだ雑談は尽きない、時には歌留多かるたを取ることもある。
巴里より (新字旧仮名) / 与謝野寛与謝野晶子(著)
『あゝ被來いらつしやい、歌留多かるたなら何時でもお相手になつて上げるから。』
鳥影 (旧字旧仮名) / 石川啄木(著)
往来で会った時挨拶あいさつをするくらいのものは多少ありましたが、それらだって決して歌留多かるたなどを取るがらではなかったのです。
こころ (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
なんかと昨夜ゆうべ歌留多かるたを追憶したりすること日本におなじ——そのハアリイやデックやタムが、ちらとひとつの鏡を見ては一様にちょっとおどろいている。
ことに二人の娘さんは栄二びいきで、小さいじぶんには歌留多かるた、お手玉、おはじき、追い羽根と、なんでも遊び相手にされたし、旦那もおかみさんもそれを
さぶ (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
死んだ阿母おふくろが大事にしていた、絵も、歌の文字も、つい歌留多かるたが別にあってね、極彩色ごくさいしきの口絵の八九枚入った、綺麗きれいな本の小倉百人一首おぐらひゃくにんいっしゅというのが一冊あった。
縁結び (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
緑陰りょくいんかさなった夕闇にほたるの飛ぶのを、雪子やしげ子と追い回したこともあれば、寒い冬の月夜を歌留多かるたにふかして、からころと跫音あしおと高く帰って来たこともあった。
田舎教師 (新字新仮名) / 田山花袋(著)
今夜は関口台町の鈴木という屋敷に歌留多かるたの会があったので、二人は宵からそこへ招かれて行った。
半七捕物帳:69 白蝶怪 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
ある晩は、歌留多かるたをよむ声が高くきこえてきたり、投扇興とうせんきょうにキャッと笑っていたりする。
江戸三国志 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
面白うもない歌留多かるたをうつてゐてかし、今からはなれまい、旦那殿だんなどの大津祭おほつまつりかれて留守るすぢやほどに、泊つてなりと行きやと、兄弟のかたじけなさはなんの遠慮もなく一所に寝るを
案頭の書 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
そうして、私がこののち永く生きながらえ、再度、短篇集を出さなければならぬことがあるとしても、私はそれに、「歌留多かるた」と名づけてやろうと思って居る。歌留多、もとより遊戯である。
娘らしく小布こぎれの箱と物の本二三册と、手習ひ草紙と、古い歌留多かるたと、それに可愛らしいもの細々こま/″\したものが少しばかりあるだけ、貧しさにてつしてろくな紅白粉も、髮の飾りもない痛々しい有樣です。
駅夫等は集って歌留多かるたの遊びなぞしていた。田中まで行くと、いくらか客を加えたが、その田舎らしい小さな駅は平素いつもより更に閑静しずかで、停車場の内で女子供の羽子をつくさまも、汽車の窓から見えた。
千曲川のスケッチ (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
それから歌留多かるたになったが、出三郎は二度だけつきあって先に帰った。忠也の座持ざもちがいいので、娘たちはすっかり興に乗り、いつ宴が終わるかわからないからである。
艶書 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
生灘きなだをはかる、料理が安くて、庖丁の利く、小皿盛の店で、十二三人、気の置けない会合があって、狭い卓子テエブルを囲んだから、端から端へ杯が歌留多かるたのようにはずむにつけ
開扉一妖帖 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
白っぽい石壁に赤瓦あかがわらを置いた、そこらに多い建物のひとつで、這入ると、正面の廊下を挟んで左右に幾つも小さな部屋が並んでた。それがみんないわゆる歌留多かるた場だった。
将棋歌留多かるたをやる所へ這入って腰をかけて見たが、三人の尻をおろしたほかは、椅子いす洋卓テーブルもことごとくいていた。今日は遅いので西洋人がいないからつまらないと是公が云う。
満韓ところどころ (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
ゆうべは屋敷に歌留多かるた会の催しがあって、親類の人たちや隣り屋敷の子息や娘や、大供小供をあわせて二十人ほどが寄りあつまって、四ツ(午後十時)を過ぎる頃まで賑やかに騒ぎあかした。
半七捕物帳:10 広重と河獺 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
一、「朝の歌留多かるた。」
HUMAN LOST (新字新仮名) / 太宰治(著)
写真は、蓮行寺の摩耶夫人の御堂みどうの壇の片隅に、千枚の歌留多かるたを乱して積んだような写真の中から見出みいだされた。たとえば千枚千人の婦女が、一人ずつ皆嬰児あかごを抱いている。
夫人利生記 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
その妻のキルト踊り・茶店・道化役・パイナップル売り・れもねえど・早取はやとり写真・歌留多かるた当てもの・競馬の忠告チツゴ売り・その他種々のごった返すなかを往きつ戻りつしている。
「ええカイマン、カイマンがわに、カアルト、歌留多かるたときた、カーフル、カーフルは炉端、カーネル……カーネルクウク、カーネルクウクは……菓子と、なるほどね、嬶あ寝るぐうぐうが菓子か」
新潮記 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
折角せつかくだから御前おまへくがい。おれ歌留多かるたひさしくらないから駄目だめだ」
(旧字旧仮名) / 夏目漱石(著)
「鈴木さんへ歌留多かるたを取りに行って……」と、お北は答えた。
半七捕物帳:69 白蝶怪 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
それがこの広座敷の主人あるじのようで、月影がぱらぱらとうろこのごとくを落ちた、広縁の敷居際に相対した旅僧の姿などは、硝子がらす障子に嵌込はめこんだ、歌留多かるたの絵かと疑わるる。
草迷宮 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
一七一二年に発行された、ABCのいろは歌留多かるたみたいな“Trivia”のなかに
のくらゐなことが……なんの……小兒こどものうち歌留多かるたりにつたとおもへば——」
雪霊記事 (旧字旧仮名) / 泉鏡花(著)
何のためにそんな莫迦ばかなことをするかというと、「マルガリイダの家」では、船員を招いて博奕ばくちをさせ——これはいつも船乗りらしい簡単な歌留多かるたの勝負にきまってたが——そして単に賞品として
「このくらいな事が……何の……小児こどものうち歌留多かるたを取りに行ったと思えば——」
雪霊記事 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
……それにね、ほかの人は、でもないけれど、母様がね、それはね、実に注意深いんですから、何だか、そうねえ、春の歌留多かるた会時分から、有りもしない事でもありそうにうたぐっているようなの。
婦系図 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)