木魂こだま)” の例文
二ど三ど、こえ高らかに呼んでみたが、さびしい木魂こだまがかえってくるばかりである。それらしい人の影もあたりに見えてはこない。
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
その「まあ」が、まるで木魂こだまのように、控室から広間へ、広間から客間へ、客間から台所へ……あげくのはては穴倉へまで、つたわってゆく。
嫁入り支度 (新字新仮名) / アントン・チェーホフ(著)
筒から投げられる骰子さいころの音が、森閑とした大理石の間に木魂こだまを響かせつつころころと聞えて来ると、宮子はコンパクトを取り出していった。
上海 (新字新仮名) / 横光利一(著)
一つの声が無限の空間の中に喚びかえし、木魂こだまし反響するその深い感興こそ、胸の中のあらゆる幾山河に響かうそのひびきにもそれは似るであろう。
うつす (新字新仮名) / 中井正一(著)
それはそこの壁、ここの丘に木魂こだまして、ゾクゾクと襟元に迫った。——大隅学士は繁みの中からソロソロ匍いだした。
地球盗難 (新字新仮名) / 海野十三(著)
ゴーンと陰気に木魂こだまをかえす、と、エコーにつれて、夏の短か夜は白ら白らと明けかかる、もう午前五時であった。
スウィス日記 (新字新仮名) / 辻村伊助(著)
近藤は、飛出す弾丸を見ようとしていたが、ばあーんと、音が、木魂こだましただけで弾丸の飛ぶ筋が見えなかった。
近藤勇と科学 (新字新仮名) / 直木三十五(著)
という大喝が木魂こだま返しに正木博士の口からほとばしり出た。同時に黒い、くぼんだ眼でジリジリと私を睨み据えた。
ドグラ・マグラ (新字新仮名) / 夢野久作(著)
その時森の中からまっ青な顔の大きな木霊が赤い瑪瑙めのうのような眼玉をきょろきょろさせてだんだんこっちへやって参りました。若い木魂こだまげて逃げて逃げました。
若い木霊 (新字新仮名) / 宮沢賢治(著)
突然頭上のくさむらから人間の頭ほどある石が落ちて、旅人の眼の先一尺のところを掠め、石はみちにはずみながら、大きな音響を木魂こだましながら深い谷へ落ちていった。
禅僧 (新字新仮名) / 坂口安吾(著)
私たちは一つかみずつの青草をまんべんなく牛にやって、また歩きだした。カロラインは始終大きな声で歌い続けた。その声が軽い木魂こだまとなって山から林からかえってくる。
フランセスの顔 (新字新仮名) / 有島武郎(著)
道志山脈、関東山脈の山々の衣紋えもんは、りゅうとして折目を正した。思いがけなく、落葉松からまつの森林から鐘が鳴った、小刻みな太鼓が木魂こだまのように、山から谷へと朝の空気を震撼しんかんした。
不尽の高根 (新字新仮名) / 小島烏水(著)
すると、まるでその木魂こだまのように、向うの林の奥から「ボブ!」と呼ぶ声がかすかにした。
大和路・信濃路 (新字新仮名) / 堀辰雄(著)
「おーい」と、うしろから木魂こだまして注意して来た、「気をつけろー、猛獣に気をつけろー」
石狩川 (新字新仮名) / 本庄陸男(著)
……辛夷が散り桃が咲き、やがて桜も葉に変る頃が来ると、高原はいっぺんに初夏の光と色とに包まれる、時鳥ほととぎす郭公かっこうの声が朝から森に木魂こだまし、谿谷けいこくの奥から野猿が下りて来る。
春いくたび (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
〔「……森や樹々や巌が返し与える木魂こだまは人間にとってまったく好ましいものだ……」
未来はわれらのものなり、というとき、青年たちの胸に木魂こだまする声は何であろうか。
思うにこの役者は「木魂こだま」のお化けをかなりに深く研究したに相違ないのである。
化け物の進化 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
はじめの物音は、何かの木魂こだまでもあろうか? 笑声は鳥の声? 此の辺の鳥は、妙に人間に似た叫をするのだ。日没時のヴァエア山は、子供の喚声に似た、鋭い鳥共の鳴声で充たされる。
光と風と夢 (新字新仮名) / 中島敦(著)
木魂こだまよ、嘆けるニンフよ……。」とグランテールは口ずさんだ。
平次の聲は森に木魂こだまして、凛々りん/\と夜の空氣に響くのです。
木魂こだまは声の霊
晶子詩篇全集 (新字旧仮名) / 与謝野晶子(著)
こめたりける此所は名におふ周智郡すちごほり大日山のつゞき秋葉山の絶頂ぜつちやうなれば大樹だいじゆ高木かうぼく生茂おひしげり晝さへくら木下闇このしたやみ夜は猶さらに月くら森々しん/\として更行ふけゆく樣に如何にも天魔てんま邪神じやしん棲巣すみかとも云べきみねには猿猴ましらの木傳ふ聲谷には流水滔々たう/\して木魂こだまひゞき遠寺ゑんじかねいとすごく遙に聞ば野路のぢおほかみほえて青嵐颯々さつ/\こずゑ
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
そこに一軒の鍛冶小屋があって、今夜も夜業よなべ槌音つちおと高く、テ——ン、カ——ン、テ——ン、と曠野こうやの水に、すごい木魂こだまを呼んでいました。
江戸三国志 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
ごつんと膝頭ひざがしらをぶっつけた彼は、あたりに木魂こだました声を遠く聞いて、ふるえ声で答えた。
石狩川 (新字新仮名) / 本庄陸男(著)
銃声は柏の林に木魂こだました、そしてぎゃぎゃぎゃん‼ という、慄然ぞっとするような咆哮が聞えたと見る間に、今まで恐ろしい早さで廻っていた鬼火が、ぴたりと地上へ動かなくなった。
殺生谷の鬼火 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
船はロイスの川口を曲ると、もう広々とした大海にのり出したような気がしたが、絶えず鳴らすネーベルホルンは、すぐ左から木魂こだまして来る、アルトシュタットの鼻を廻るんであろう。
スウィス日記 (新字新仮名) / 辻村伊助(著)
それは遠い遠い木魂こだまのようにうつろにかすかに響いては消えて行くばかりだった。
或る女:1(前編) (新字新仮名) / 有島武郎(著)
木魂こだまして来る性質のものであると、民主社会では諒解されているのである。
合図の旗 (新字新仮名) / 宮本百合子(著)
我にあらざるなり、おもひみる天風北溟ほくめい荒濤くわうたうを蹴り、加賀の白山をちてへらず、雪のひづめの黒駒や、乗鞍ヶ嶽駒ヶ嶽をかすめて、山霊やまたま木魂こだま吶喊ときを作り、この方寸曠古くわうこの天地に吹きすさぶを
霧の不二、月の不二 (新字旧仮名) / 小島烏水(著)
木魂こだまがその二つの叫びに応えて、蒸暑い空気が一しきりざわめいた。隣の番人がかちかち鳴らし、犬も何処かで吠えはじめた。マトヴェイ・サヴィチは何か夢のなかで呟いて、寝返りを打った。
女房ども (新字新仮名) / アントン・チェーホフ(著)
もう一度叱咜した平次の聲、それが木魂こだまするやうに
谷へも、山へも木魂こだまして響き渡った。
南国太平記 (新字新仮名) / 直木三十五(著)
近き世の木魂こだま
晶子詩篇全集 (新字旧仮名) / 与謝野晶子(著)
木魂こだまをしてひびく呼子笛よびこにつれて、あなたの樹林やこなたの山蔭から、狐火のごとく殺到するのは、番士や黒鍬くろくわの者の手に振る明りです。
江戸三国志 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
それから「木魂こだま」という、あの可愛らしくて真実みちたソネット。森の中で——忘れておしまいになったんでしょう?——一人の少年が爽やかな早春、一匹の栗鼠りすを見つけ、おやと眼をみはります。
折り折り瀑のつららが砕け落ちて、三、四度両側の絶壁に木魂こだまする。
スウィス日記 (新字新仮名) / 辻村伊助(著)
木魂こだままれにも
晶子詩篇全集 (新字旧仮名) / 与謝野晶子(著)
するとね、どこかでふいにキャーッという声がしたんだ。なんだろうあの声は。まるで針の山からきた木魂こだまみたいな声だったぜ
宮本武蔵:05 風の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
夜はめっしておく習慣しゅうかん城塞じょうさいは、まッくらで、隠森いんしんとして、ただひとりさけびまわる彼女かのじょの声が木魂こだまするばかりだった。
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
ゴーッと遠い音波おんぱをひびかせて、みね谷々たにだに木魂こだまがひびきかえってきたあとから、ふたたび、山海嘯やまつなみにも喊声かんせいのどよめき。
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
探りとった笛袋から抜いて、彼の指にかけられた八寒嘯はっかんしょうは、やがて、氷柱つららの林からひびく木魂こだまのように、鳴りだした。
八寒道中 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
けれど聞き分けのない童心は、どんなになだめすかす言葉もうけ入れないで、あらん限りの声を木魂こだまにつンざかせて
鳴門秘帖:06 鳴門の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
と、おの木魂こだま檜林ひのきばやしの奥から静かにひびいていた。光秀は、従兄弟の手に、旗でくるんだ叔父の首級くびをあずけて
新書太閤記:02 第二分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
泣き声をふくんだ二人のさけびが、丘を降り、野を駈け、山ふところの谷間まで駈けて、木魂こだまを呼びたてる。
宮本武蔵:03 水の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
でもお綱には、ここから呼べば、剣山の山牢から、オオと、返辞が木魂こだましてくるような気がするのだった。
鳴門秘帖:05 剣山の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
それを払い退けるように、武蔵はさらに、二度ほど大声で訪れたが、四辺あたりの樹木に木魂こだまするばかりで、奥深そうな宝蔵院の内からは、なかなか取次の答がない。
宮本武蔵:03 水の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
声は、辺りの林に木魂こだまして、百獣もために潜むかと思われたが落つるは片々と散る木の葉ばかりで、孫策はいよいよ猛く、太史慈もますます精悍せいかんを加えるのである。
三国志:04 草莽の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
侍が裸体はだかになって降りて来たの、女の悲鳴を木魂こだまに聞いたのという嫌な噂が、昔から小仏の山の名と何かの因縁を結んでいるように、この往来に絶えたことがない。
江戸三国志 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
山と山とにせばめられた地形の中の決戦なので、馬のいななきも、槍太刀のひびきも、吠えあい、名のりあう武者声も、木魂こだまにひびいて、天地の鳴るような、無気味さだった。
新書太閤記:10 第十分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)