せわ)” の例文
何事か頭にひらめいて来たらしい。その眸子ひとみじっと、眼下に突出している岬のあたりをみつめ、右手の指は鉄の柵をせわしく叩きだした。
廃灯台の怪鳥 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
お銀は畳の上へ転がりだして、もがきつかれてせわしい息遣いをしながら眠っている子供の顔を眺めて、落胆がっかりしたように言い出した。
(新字新仮名) / 徳田秋声(著)
両側の窓から呼ぶ声は一歩一歩せわしくなって、「旦那、ここまで入らっしゃい。」というもあり、「おぶだけあがってよ。」というのもある。
寺じまの記 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
玉のかいなは温く我頸筋くびすじにからまりて、雲のびんの毛におやかにほほなでるをハット驚き、せわしく見れば、ありし昔に其儘そのままの。
風流仏 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
そうして、口にする事が、内容の如何いかんかかわらず、如何いかにもせわしなく、かつ切なそうに、代助の耳に響いた。
それから (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
すでに歩む気力も尽き果てたように思われ、そのあえぐような激しい呼吸が——鎖骨や咽喉の軟骨がせわし気に上下しているのさえ、三人の座所から明瞭はっきりと見える。
黒死館殺人事件 (新字新仮名) / 小栗虫太郎(著)
なおも太吉は立って水車場の方を見ていると、裏の山から飛んで来たとびが頭の上をすぎたが、かろく、せわしげに翼をきざんで、低くたにに舞い下って水車場近くの枯木に止った。
越後の冬 (新字新仮名) / 小川未明(著)
ところでその時は疲労がだんだんはげしくなって仕方がなくなって来たです。心臓病を起したのかどうしたのか知らんが息は非常にせわしくなって来まして少し吐気はきけが催しました。
チベット旅行記 (新字新仮名) / 河口慧海(著)
そして群疑ぐんぎはまた雲のごとくき上った。けれども、母親のいったように付き添うている隠居の婆さんと、自分の娘と二人の病人を持っているのが真実ならば、せわしい道理である。
狂乱 (新字新仮名) / 近松秋江(著)
飛付くようにお吉の縄尻を引ったくって、せわしく解きにかかると
早く/\という声も最う息もせわしゅうなりまする様子。
松と藤芸妓の替紋 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
その中を、せわしそうに歩き廻っている三人の男。
猟奇の果 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
守衛と小柄なミサ子とをせわしく見くらべた。
舗道 (新字新仮名) / 宮本百合子(著)
先ずせわしく其の男を
幽霊塔 (新字新仮名) / 黒岩涙香(著)
隣の話し声は先刻さっきからぱったりと途絶えたまま今は人なき如くしんとしているのである。お千代はしばらく覗いていたが次第に息使いせわしく胸をはずませて来て
夏すがた (新字新仮名) / 永井荷風(著)
さうして、くちにすることが、内容の如何に関はらず、如何にもせわしなく、且つせつなさうに、代助のみゝひゞいた。
それから (新字旧仮名) / 夏目漱石(著)
香も無きくせ小癪こしゃくなりきと刀せわしく是も取って払い、可笑おかし珠運しゅうん自らたるわざをおたつあだたる事のように憎み今刻みいだ裸体はだかみも想像の一塊いっかいなるを実在まことの様に思えば
風流仏 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
どうした事かと仙果は二、三度続けざまにはげしく手を鳴らしたが、すると、以前の女中が銚子だけを持って来ながら息使いもせわしくいたくも狼狽うろたえた様子で
散柳窓夕栄 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
代助の方から神保町の宿やどたづねた事が二返あるが、一度は留守であつた。一度は居つたにはつた。が、洋服をた儘、部屋へや敷居しきゐの上に立つて、なにせわしい調子で、細君をけてゐた。
それから (新字旧仮名) / 夏目漱石(著)
う十年近く働いて居る独乙ドイツ種の下女と、頭取の妻君の遠い親類だとか云ふ書生と、時には妻君御自身までが手伝つて、目のふ程にせわしく給仕をして居る。
一月一日 (新字旧仮名) / 永井荷風(著)
代助の方から神保町の宿を訪ねた事が二返あるが、一度は留守であった。一度はったには居った。が、洋服を着たまま、部屋の敷居の上に立って、何かせわしい調子で、細君をめ付けていた。
それから (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
その一人ひとりは頬冠りの結目むすびめを締め直しつつ他の一人は懐中に弥蔵やぞうをきめつつ廓をさしておのづと歩みもせわなる、そのむこうより駒下駄こまげた褞袍どてらの裾も長々とくばかり着流して
江戸芸術論 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
「うむ、玉水三郎……。」いいながらせわしなく懐中ふところから女持おんなもち紙入かみいれさぐり出して、小さな名刺を見せ、「ね、玉水三郎。昔の吉さんじゃないぜ。ちゃんともう番附ばんづけに出ているんだぜ。」
すみだ川 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
朝顔の花が日ごとに小さくなり、西日が燃える焔のように狭い家中いえじゅうへ差込んで来る時分じぶんになると鳴きしきるせみの声が一際ひときわ耳立みみだってせわしく聞える。八月もいつかなかば過ぎてしまったのである。
すみだ川 (新字新仮名) / 永井荷風(著)