寂寞じゃくまく)” の例文
そこに、先刻さっきの編笠目深まぶかな新粉細工が、出岬でさきに霞んだ捨小舟すておぶねという形ちで、寂寞じゃくまくとしてまだ一人居る。その方へ、ひょこひょこく。
陽炎座 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
虚空と聞えたのは、それが武蔵の口から発したというよりは、彼の全身が梵鐘ぼんしょうのように鳴って四辺あたり寂寞じゃくまくをひろく破ったせいであろう。
宮本武蔵:03 水の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
あかざの杖を曳きながら幡随院へやって来ると、良石和尚は浅葱木綿あさぎもめんの衣をちゃくし、寂寞じゃくまくとして坐布団の上に坐っている所へ勇齋たり
古き空、古き銀杏、古き伽藍がらんと古き墳墓が寂寞じゃくまくとして存在する間に、美くしい若い女が立っている。非常な対照である。
趣味の遺伝 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
そのとき、ふと、呻くような声が寂寞じゃくまくを破った。男は聞き耳をてると、その声がだんだん戸口の方へ近づいて来た。
生さぬ児 (新字新仮名) / モーリス・ルヴェル(著)
縷々るるとして寂寞じゃくまくの境に立ち上る、細い細い青烟けぶりの消えゆくを見るも傷ましく、幾たびも幾たびも空想おもいを破る鐘のひびきに我れ知らぬ暗涙をたたえたことであった。
寂寞じゃくまくたる空山くうざんの夕べを、ひとり山上に歩み行くのですから、何を歌おうと、あえて干渉する者はないのですが、習い性となって、ふと弁信からの横槍よこやりをおそれ
大菩薩峠:28 Oceanの巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
暖簾のれんをかけた質屋の店も、既に戸を閉めてしまったので、万象せきとして声なく、冬の寂寞じゃくまくとしたやみの中で、孤独の寒さにふるえながら、小さな家々が眠っている。
郷愁の詩人 与謝蕪村 (新字新仮名) / 萩原朔太郎(著)
盆踊りを見ての帰りに池面のやみをすかして見るとこの干潟の上に寂寞じゃくまくとうずくまっていることもあり、何かしら落ち着かぬように首を動かしていることもあった。
沓掛より (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
荒廃と寂寞じゃくまく——どうしても元始的な、人をひざまずかせなければやまないような強い力がこの両側の山と、その間にはさまれた谷との上に動いているような気がする。
槍が岳に登った記 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
今までは繁華の町のまん中に、死んだ物のように寂寞じゃくまくとしてよこたわっていた建物が、急に生き返って動き出したかとも見えて、あたりが明るくなったように活気を生じた。
十番雑記 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
第三に、人生に寂寞じゃくまくを感じない。もしも世界中の人間がわれにそむくとも、あえて悲観するには及ばぬ。わが周囲にある草木くさきは永遠の恋人としてわれにやさしくみかけるのであろう。
植物知識 (新字新仮名) / 牧野富太郎(著)
竜頭りゅうずの方は薄暗さの中に入っている一種の物〻ものものしさを示して寂寞じゃくまくかかっていた。
観画談 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
霧の奥に川の水音が寒々しく流れて、寂寞じゃくまくたる深夜のたたずまい。
平馬と鶯 (新字新仮名) / 林不忘(著)
嬉しい寂寞じゃくまくの裡に私の心は清んだのである。
蜻蛉とんぼでも来て留まれば、城の逆茂木さかもぎの威厳をいで、抜いて取ってもつべきが、寂寞じゃくまくとして、三本竹、風も無ければ動きもせず。
星女郎 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
なにかこう自分が空虚うつろのような不安を感じて参りました、二年目には、心がみだれ出し、自然の中の寂寞じゃくまくさが常に心をおびやかしてきました。
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
シャロットを過ぐる時、いずくともなく悲しき声が、左の岸より古き水の寂寞じゃくまくを破って、動かぬ波の上に響く。
薤露行 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
手紙を見てすぐに萩原を居間へ通せば、和尚は木綿の座蒲団に白衣はくえを着て、其の上に茶色のころもを着て、当年五十一歳の名僧、寂寞じゃくまくとしてちゃんと坐り、中々に道徳いや高く、念仏三昧という有様ありさま
沈鬱な寂寞じゃくまくたる夕暮の田園の景色などが瞭々ありありと目の前に浮んで来る。
寂寞じゃくまくと昼間をすしのなれ加減
郷愁の詩人 与謝蕪村 (新字新仮名) / 萩原朔太郎(著)
葛籠つづら押立おったてて、天窓あたまから、その尻まですっぽりと安置に及んで、秘仏はどうだ、と達磨だるまめて、寂寞じゃくまくとしてじょうる。
露肆 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
一瞬、なんともいえない寂寞じゃくまくの気がみなぎった。人のない天地の静かさよりも、人中の空気にふと湧いた寂寞のほうが不気味な霊魂をふくんでいた。
宮本武蔵:05 風の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
寂寞じゃくまく古今ここんの春をつらぬいて、花をいとえば足を着くるに地なき小村こむらに、婆さんは幾年いくねんの昔からじゃらん、じゃらんを数え尽くして、今日こんにち白頭はくとうに至ったのだろう。
草枕 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
此方こちらへお通し申せという事ゆえ、孝助は案内につれられ奥へ通りますると、良石和尚は年五十五歳、道心堅固の智識にて大悟だいご徹底致し、寂寞じゃくまくと坐蒲団の上に坐っておりまするが、道力どうりょく自然に表に現われ
わけてこの秋、雪斎長老の亡き後は、山門も堂宇も、森も、よけい寂寞じゃくまくの感が深かった。もずの啼く音も、何となく淋しく、肌さむい初冬だった。
新書太閤記:02 第二分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
笑えるははたとやめて「このとばりの風なきに動くそうな」と室の入口まで歩を移してことさらに厚き幕を揺り動かして見る。あやしき響は収まって寂寞じゃくまくもとに帰る。
薤露行 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
ひまなあまりの言葉がたき。わざとちゅうッ腹に呼んでみたが、寂寞じゃくまくたる事、くろんぼ同然。
陽炎座 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
だが——その寂寞じゃくまくたる中にあって、彼のからだの裡には、抑えきれないほど沸きあがっているものがあった。熱湯のような争気を持つ血液である。
宮本武蔵:03 水の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
寂寞じゃくまく罌粟花けしを散らすやしきりなり。人の記念に対しては、永劫えいごうに価するといなとを問うことなし」
三四郎 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
花の中なる枯木こぼくと観じて、独り寂寞じゃくまくとして茶を煮るおうな、特にこの店に立寄る者は、伊勢平氏の後胤こういんか、北畠きたばたけ殿の落武者か、お杉お玉の親類のはずを、思いもかけぬ上客じょうかくにん引手夥多ひくてあまた彼処かしこを抜けて
伊勢之巻 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
いつでもだが、秀吉の声は、その伽藍がらんがもっている寂寞じゃくまくを鐘のように破るものだった。
新書太閤記:06 第六分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
また自分もいつこういう過失を犯さぬとも限らぬと云う寂寞じゃくまくの感も同時にこれに伴うでしょう。己惚うぬぼれの面をぎ取って真直な腰を低くするのはむしろそういう文学の影響と言わなければなりません。
文芸と道徳 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
入口の片隅に、フトあかりの暗い影に、背屈せくぐまった和尚がござる! 鼠色の長頭巾もっそう、ト二尺ばかりを長う、肩にすんなりとたれさばいて、墨染の法衣ころもの袖を胸でいて、寂寞じゃくまくとしてうずくまった姿を見ました……
白金之絵図 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
はたの上へ、つ伏していたのである。暗いなかに、ただ独り寂寞じゃくまくいだきしめて。
宮本武蔵:02 地の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
お君の寂しく莞爾にっこりした時、寂寞じゃくまくとした位牌堂の中で、カタリと音。
縁結び (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
天は昏瞢こんぼうとしてねむり、海は寂寞じゃくまくとして声無し。
取舵 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)