妓楼ぎろう)” の例文
旧字:妓樓
友達とのつきあいで、前の晩おそく京町の妓楼ぎろうにあがり、友達は居続けときめたが、彼は親方の気を兼ねて、一人だけさきに帰った。
一夜を妓楼ぎろうに明かした彼は伯母おばへの手前、そういう場合にすぐそれと気取けどられるような憔悴しょうすいした後ろ暗いさまを見せまいとして
野菜市場の混雑を過ぎ、大橋を渡って真直に行けば南組の妓楼ぎろうの辺になりますが、横へ曲って、天王様のおやしろの辺を行きます。
鴎外の思い出 (新字新仮名) / 小金井喜美子(著)
浪の音などの聞える船着きの町の遊郭には、入口の薄暗い土間に水浅黄色の暖簾のれんのかかった、古びた大きい妓楼ぎろうが、幾十軒となく立ちならんでいた。
(新字新仮名) / 徳田秋声(著)
妓楼ぎろう酒店の帰りにいささかの土産を携えて子供をよろこばしめんとするも、子供はその至情に感ずるよりも、かえって土産の出処を内心に穿鑿せんさくすることあるべし。
教育の事 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
あたしは震災の幾年か前、ある怪談会が吉原水道じり引手茶屋ひきてぢゃやで催された時にいって、裏の方から妓楼ぎろうの窓を見たことがある。そこにも金網が張ってあった。
その須賀口すがぐちには、妓楼ぎろうや茶屋が軒をならべていて、昼間は、禿かむろたちがまりをつきながら、往来で唄っていた。
新書太閤記:01 第一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
やがて愚僧二十歳に相なり候頃より、ふと同寮の学僧に誘はれ、品川宿しながわじゅく妓楼ぎろうに遊び仏戒ぶっかいを破り候てより、とかく邪念に妨げられ、経文きょうもん修業も追々おろそかに相なり
榎物語 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
上州じょうしゅう一円に廃娼を実行したのは明治二十三年の春で、その当時妙義の町には八戸の妓楼ぎろうと四十七人の娼妓があった。妓楼の多くは取り毀されて桑畑となってしまった。
綺堂むかし語り (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
西郷隆盛さいごうたかもりなどが維新の志士として東三本樹ひがしさんぼんぎあたりの妓楼ぎろうで盛んに遊んでいたころ舞妓まいこに出ていて、隆盛が碁盤の上に立たして、片手でぐっと差し上げたことなどあった。
霜凍る宵 (新字新仮名) / 近松秋江(著)
渋江氏では、優善がもんを排せんがために酒色の境にのがれたのだろうと思って、手分てわけをして料理屋と妓楼ぎろうとを捜索させた。しかし優善のありかはどうしても知れなかった。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
茶屋と妓楼ぎろうの軒下を例の通り忍びやかに歩いて、巴屋ともえやの前へ来ると立ち止まりました。そこで、彼が巴屋の暖簾のれんを押分けて入ってしまったきり、出て来ないのは不思議です。
大菩薩峠:19 小名路の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
仏蘭西フランス語に妓楼ぎろうを la maison verte と云ふは、ゴンクウルが造語なりとぞ。けだし青楼美人合せの名を翻訳せしに出づるなるべし。ゴンクウルが日記に云ふ。
浅草あさくさの或る寺の住持じゅうじまだ坊主にならぬ壮年の頃あやまつ事あって生家を追われ、下総しもうさ東金とうかねに親類が有るので、当分厄介になる心算つもり出立しゅったつした途中、船橋ふなばしと云う所である妓楼ぎろうあが
枯尾花 (新字新仮名) / 関根黙庵(著)
何軒となく立ちならんでいる妓楼ぎろうは、ただ真黒なものの高低たかひくの連なりにすぎないけれども、そのどの家からも、女のはしゃぎきった、すさんだ声が手に取るように聞こえていた。
星座 (新字新仮名) / 有島武郎(著)
遊ぼうと言うので、宿屋を出て、駅の裏手にあるという妓楼ぎろうに出掛けて行った。宿のおんなに教えられた家は、暗い路の、生籬いけがきに囲まれた、妓楼らしくもないうらぶれた一軒屋である。
桜島 (新字新仮名) / 梅崎春生(著)
彼女ガモシ昔ノ島原しまばらノヨウナ妓楼ぎろうニ売ラレテイタトシタラ、必ズヤ世間ノ評判ニナリ、無数ノ嫖客ひょうかくガ競ッテ彼女ノ周囲ニ集マリ、天下ノ男子ハことごとク彼女ニ悩殺サレタカモ知レナイ。
(新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
此地こゝには妓楼ぎろうがありますでな、とりの無いのもなものぢやといふ事でと、神酒みきばんするらしきがなにゆゑかあまたゝび顔撫かほなでながら、今日限こんにちかぎ此祠このほこらりましたぢや。これも六七年前。
もゝはがき (新字旧仮名) / 斎藤緑雨(著)
ひそかに近づいてみると、くだんの女性は、遠い処の妓楼ぎろうから脱け出して来た妓女おんならしく
ドグラ・マグラ (新字新仮名) / 夢野久作(著)
子規をかえりみて何だと聞くと妓楼ぎろうだと答えた。余は夏蜜柑を食いながら、目分量めぶんりょうで一間幅の道路を中央から等分して、その等分した線の上を、綱渡りをする気分で、不偏不党ふへんふとうって行った。
京に着ける夕 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
裸で道中なるものかという鉄則を破って目出たく妓楼ぎろうへ押しこむことができたが、三軒ぐらい門前払いをくわされるうちに、ようやく中也もいくらか正気づいて、泊めてもらうことができた。
二十七歳 (新字新仮名) / 坂口安吾(著)
それから古洲と二人で春まだ寒き夜風に吹かれながら田圃路をたどつて品川に出た。品川は過日の火災で町は大半焼かれ、こと仮宅かりたくを構へて妓楼ぎろうが商売して居る有様は珍しき見ものであつた。
病牀六尺 (新字旧仮名) / 正岡子規(著)
これをもって毎歳必ず五十日あり。この日や、縉紳しんしん先生より開化処士、青年書生に至るまで、柳をとぶらい、花をたずぬるの期となせり。ゆえに妓楼ぎろう酒店しゅてんにありては、いにしえのいわゆる門日もんび物日ものびに比す。
日曜日之説 (新字新仮名) / 柏原孝章(著)
そしてその妓楼いえを見届けると、自家うちへ帰ってひるまで寝た。彼が妓楼ぎろうというものに始めて上がったのはその夕であった。
「そら、もう癇癪かんしゃくが起こった」と七十郎は笑った、「べつになんの用もない、筋をほぐしに妓楼ぎろうへゆくんだ」
お芳のいるのは土地の大きな妓楼ぎろうで、金瓶楼きんぺいろうという名を、道太はここへ来てから、たびたび耳にしていた。
挿話 (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
吉原に火災があると、貞固は妓楼ぎろう佐野槌さのづちへ、百両に熨斗のしを附けて持たせて遣らなくてはならなかった。また相方まゆずみのむしんをも、折々は聴いて遣らなくてはならなかった。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
彼等はおそらく其金そのかねを分配して、新宿の妓楼ぎろうに足を入れたであらうと鑑定したのである。
赤膏薬 (新字旧仮名) / 岡本綺堂(著)
私が「モシ昔ノ島原しまばらノヨウナ妓楼ぎろうニ売ラレ」た女であったとしたら、「必ズヤ世間ノ評判ニナリ、無数ノ嫖客ひょうかくガ競ッテ」「周囲ニ集マ」ったであろうことを、私は始めて知ったのであった。
(新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
町内の両側にやなぎうわって、柳のえだるい影を往来の中へおとしている。少し散歩でもしよう。北へ登って町のはずれへ出ると、左に大きな門があって、門の突き当りがお寺で、左右が妓楼ぎろうである。
坊っちゃん (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
裕佐がその夜妓楼ぎろうを出たのはの刻に近かった。頭はズキズキと痛んでほてり、からだは疲れていた。
仙台の遊廓ゆうかくで内所のゆたかなある妓楼ぎろうの娘と正式に結婚してから、すでに久しい年月を経ていたが、猪野が寿々廼家の分けの芸者であった竹寿々の面倒を見ることになり
縮図 (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
この人たちはただに酒家妓楼ぎろう出入いでいりするのみではなく、常に無頼ぶらいの徒と会して袁耽えんたんの技を闘わした。良三の如きは頭を一つべっついにしてどてらを街上かいじょう闊歩かっぽしたことがあるそうである。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
江戸の昔には、吉原の妓楼ぎろうや引手茶屋の主人にもなかなか風流人がございまして、俳諧をやったり書画をいじくったりして、いわゆる文人墨客ぶんじんぼっかくというような人たちとお附合いをしたものでございます。
青蛙堂鬼談 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
彼はおれをいちどは福原の妓楼ぎろうへも伴れていったくらいなんだ。
陽気な客 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
広い通りへ出ると、両側の妓楼ぎろうの二階や三階に薄暗い瓦斯燈ガスとうともれて、人影がちらほら見えた。
足迹 (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
然るに竜池は劇場に往き、妓楼ぎろうに往った。竜池は中村、市村、森田の三座に見物に往く毎に、名題なだい役者を茶屋に呼んで杯を取らせた。妓楼は深川、吉原を始とし、品川へも内藤新宿へも往った。
細木香以 (新字新仮名) / 森鴎外(著)