ひややか)” の例文
肩に懸けたる手をば放さでしきりゆすらるるを、宮はくろがねつちもて撃懲うちこらさるるやうに覚えて、安き心もあらず。ひややかなる汗は又一時ひとしきり流出ながれいでぬ。
金色夜叉 (新字旧仮名) / 尾崎紅葉(著)
なおも並木で五割酒銭さかては天下の法だとゆする、あだもなさけも一日限りの、人情は薄き掛け蒲団ぶとん襟首えりくびさむく、待遇もてなしひややかひらうち蒟蒻こんにゃく黒し。
風流仏 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
哀れな裸姿になって木は悄然しょんぼりと立っている。枝は四方に咲いていて、この細い枝にも、ひややかな、切るような、風が当るかと思うと痛々しい。
越後の冬 (新字新仮名) / 小川未明(著)
さびしい一室ひとまに、ひとり革鞄かばんにらめくらをした沢は、しきり音訪おとなふ、さっ……颯と云ふ秋風あきかぜそぞ可懐なつかしさに、窓をける、とひややかな峰がひたいを圧した。
貴婦人 (新字旧仮名) / 泉鏡花(著)
改札口へ来かかると俄に混雑する人の往来ゆききに、談話はなしもそのまま、三人は停車場ていしゃばの外へ出た。吹きすさむ梅雨晴の夜風は肌寒いほどひややかである。
つゆのあとさき (新字新仮名) / 永井荷風(著)
竹藪の中は闇々として暗いばかり空は青ぎるばかりに澄んで、そよとも動かぬ大竹藪の上には二三十の星がひややかに光って居た。
八幡の森 (新字新仮名) / 伊藤左千夫(著)
が、夕暗の中にすかして見ると、彼は相不変あいかわらずひややかな表情を浮べたまま、仏蘭西窓の外の水の光を根気よく眺めているのです。
開化の良人 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
今日の謝恩会に出る卒業生の中には、捜してもこんなのがいないだけはたしかである。頭が異様にひややかになっていた僕は、間の悪いような可笑おかしいような心持がした。
ヰタ・セクスアリス (新字新仮名) / 森鴎外(著)
午後四時半体温をけんす、卅八度六分。しかも両手なほひややか、この頃は卅八度の低熱にも苦しむに六分とありては後刻のくるしみさこそと思はれ、今の内にと急ぎてこの稿をしたたむ。
墨汁一滴 (新字旧仮名) / 正岡子規(著)
我はこれを受くる時、画工の手の氷の如くひややかになりて、いたく震ひたるに心づきぬ。……さてしてあまたゝび我に接吻し、かはゆき子なり。そちも聖母に願へ、といひき。
孤島の鬼 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
それに対して我々の目につくものはただひややかな技巧である。でなければ考古学の材料である。
日本精神史研究 (新字新仮名) / 和辻哲郎(著)
淡くひややかあかつきい寄って来た。フェリックスが目を覚して見ると、自分の頭は女の胸に寄せ掛けてあった。そして女はぐっすり寐ていた。男はそっと起きて窓の処へ出て町を見下ろした。
みれん (新字新仮名) / アルツール・シュニッツレル(著)
エルマは怒りを押えてひややかに云った。
警察署長 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
私は息苦しい一瞬の後、今日も薔薇を髪にさした勝美かつみ夫人をひややかに眺めながら、やはり無言のまま会釈えしゃくをして、匇々そうそうくるまの待たせてある玄関の方へ急ぎました。
開化の良人 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
彼はその生涯の慰安たりし絵画人形絵本その他の美術品が博物館と呼ばれしひややかなる墳墓に輸送せられ、無頓着むとんちゃくなる観覧人の無神経なる閲覧に供せられんよりは
江戸芸術論 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
そのおもての色は惨として夕顔の花に宵月のうつろへる如く、そのひややかなるべきもほとほと、相似たりと見えぬ。
金色夜叉 (新字旧仮名) / 尾崎紅葉(著)
一、長閑のどかあたたかうららか日永ひながおぼろは春季と定め、短夜みじかよすずしあつしは夏季と定め、ひややかすさまじ朝寒あささむ夜寒よさむ坐寒そぞろさむ漸寒ややさむ肌寒はださむしむ夜長よながは秋季と定め、さむし、つめたしは冬季と定む。
俳諧大要 (新字旧仮名) / 正岡子規(著)
みし/\と段階子だんばしごあがつて来るのが、底の知れない天井の下を、穴倉あなぐらから迫上せりあがつて来るやうで、ぱつぱつと呼吸いきを吹くさまに、十能の火が真赤な脈を打つた……ひややかな風が舞込まいこむので。
貴婦人 (新字旧仮名) / 泉鏡花(著)
あわれ室香むろかはむら雲迷い野分のわけ吹くころ、少しの風邪に冒されてよりまくらあがらず、秋の夜ひややかに虫の音遠ざかり行くも観念の友となって独り寝覚ねざめの床淋しく、自ら露霜のやがてきえぬべきを悟り
風流仏 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
そのままに何事も言出さず、表向きはどこまでも令夫人らしくひややかあがめ奉っているので、月日のたつにつれて、さすがに女の方から突然別ればなしを持ち出す訳にも行かず
つゆのあとさき (新字新仮名) / 永井荷風(著)
見ることのひややかに、言ふことのつつしめるは、彼が近来の特質にして、人はこれが為にるるをはばかれば、みづからもまたいやしくも親みを求めざるほどに、同業者はたれも誰も偏人として彼をとほざけぬ。
金色夜叉 (新字旧仮名) / 尾崎紅葉(著)
誇顔ほこりがおなる百合ゆりの花、ひややかに造りしやうなる椿つばきの花束
今われはひややかなるまなこ