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でんせつ
若しも
太古において
國民が、
地震をそれほどに
恐れたとすれば、
當然地震に
關する
傳説が
太古から
發生してゐる
筈であるが、それは
頓と
見當たらぬ。
すだき
鳴く
蛙の
聲と
知つて、
果敢ない
中にも
可懷さに、
不埒な
凡夫は、
名僧の
功力を
忘れて、
所謂、(
鳴かぬ
蛙)の
傳説を
思ひうかべもしなかつた。
しかし、これはたゞ
傳説ですから、あてにはなりませんが、これからお
話するのは、
普通どこにもあり、みなさんがいつでも
實際に
御覽になれる
樹木のお
話です。
戀に
迷ふを
笑ふ
人は、
怪しげな
傳説、
學説に
迷はぬがよい。
戀は
人の
至情である。
小石川傳通院には、(
鳴かぬ
蛙)の
傳説がある。おなじ
蛙の
不思議は、
確か
諸國に
言傳へらるゝと
記憶する。
鉢肴また
洗と
稱へ、
縁日の
金魚を
丼に
浮かせて——(
氷を
添へてもいゝ)——
後にひきものに
持たせて
歸す、
殆ど
籠城に
馬を
洗ふ
傳説の
如き、
凄い
寸法があると
仄聞した。
此機會に
際して
化物の
研究を
起し、
化物學といふ一
科の
學問を
作り
出したならば、
定めし
面白からうと
思ふのである。
昔の
傳説、
樣式を
離れた
新化物の
研究を
試みる
餘地は
屹度あるに
相違ない。
古來我邦の
化物思想は
甚だ
幼稚で、
或は
殆ど
無かつたと
言つて
可い
位だ。
日本の
神話は
化物の
傳説が
甚だ
少い。
日本の
神々は
日本の
祖先なる
人間であると
考へられて、
化物などとは
思はれて
居ない。