こて)” の例文
與助 大屋さんの話では、左官の勘太郎といふ奴は不斷から身持のよくない男で、本職のこてよりもさいころを持つ方を商賣にしてゐる。
権三と助十 (旧字旧仮名) / 岡本綺堂(著)
彼女は、長火鉢の方へ膝をずらして、こてを炭火の中へ突つこみ、その間に、夫の読み耽つてゐる新聞の裏へ、何気なく眼をやつた。
花問答 (新字旧仮名) / 岸田国士(著)
同じ三百五十目位でも老鶏の爪を切って焼きこててて若鳥のように見せかけて売る事が沢山ありますからだまされるといけません。
食道楽:秋の巻 (新字新仮名) / 村井弦斎(著)
わたしの煉瓦は古物なのでこてで掃除する必要があり、そのためにわたしは煉瓦やこてというものの性質に並々ならず通じるようになった。
シャンとすると、驚くべき敏捷びんしょうさで、そこに置いてあった煉瓦を取り、こてを持ち、漆喰しっくいをすくって、壁の穴へ、煉瓦を二重に積み始めた。
魔術師 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
板からはがすと、布はこてをかけたように平に、糊をつけたようにピンとしている。我国で湿った手布ハンカチーフを窓硝子ガラスに張りつけるのと同じ考である。
左官やのおやじ曰く、「こういう工合に光るのはこてがちがうんだ。鋼鉄の鏝をつかうんですが、台所のようなザラッとしたのはなま鉄のやつです。」
顔は丸顔で……もしもし……顔は丸顔で髪は真黒く、こてか何かで縮らした束髪に結って、大きな本真珠らしい金足きんのピンで止めてあったと云います。
暗黒公使 (新字新仮名) / 夢野久作(著)
耕地のまぐさはんの木の新芽などは潮煙りをしつきりなく浴びるので、葉末が赤茶けて、こてをあてたやうに縮み、捲き上つてゐる。風はなかなかやまない。
南方 (旧字旧仮名) / 田畑修一郎(著)
それが二階のビュティ・パーラーの髪の焼ける臭気と、こてのかみあう響と、シャンプする水の流れる音に交錯した。
女百貨店 (新字新仮名) / 吉行エイスケ(著)
仕入れた品は店に出す前に一冊一冊調べて、鑢紙やすりがみや消ゴムで汚れを拭きとったり、こてしわのばしをしたり、破損している個所をのりづけしたりしている。
落穂拾い (新字新仮名) / 小山清(著)
火鉢ひばちのなかからこてを取り出すと、カモフラジュの形で、わざと手のとどかないところを庸三に手伝わせたりした。
仮装人物 (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
人間の神経をこてで焼くように重苦しい、悩ましい、魅惑的な夜であった。極度のよろこびと、限りなき苦しみとの、どろどろに溶け合ったような一夜であった。
海に生くる人々 (新字新仮名) / 葉山嘉樹(著)
夫人は髪の毛にこてをかけ、雀の巣のようなモヤモヤの中から雪白の歯をあらわしているが、著物は支那服で……
幸福な家庭 (新字新仮名) / 魯迅(著)
失礼ですけれど、なんじゃございませんか、やっぱりこてをおかけになるんでしょうね、そうでしょう、奥さま
今の角館かくのだての仕事は、皮ににかわを塗り、これをこてで貼る手法である。そうしてこれが胴乱どうらんの如く木型を用いる場合と、箱類の如く木地を用いる場合と二種に分れる。
樺細工の道 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
こての突き刺してある火鉢の中を覗いてみても、炭火を深くいけ込んだ上に、灰が綺麗に筋目を立てゝならしてあり、三徳の上に載せてある瀬戸引の薬鑵までが
猫と庄造と二人のをんな (新字旧仮名) / 谷崎潤一郎(著)
ちょうこてを持って逃走し、アントウェルプ府に赴き、それから国境を越えようとする時に、一書をオランダ議会に送って、そのえんを訴えて脱獄の理由を弁明し
法窓夜話:02 法窓夜話 (新字新仮名) / 穂積陳重(著)
お金さんはそれを好いしおに茶の間から姿をかくした。叔母は黙って火鉢ひばちし込んだこてをまた取り上げた。
明暗 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
彼は彼女が火鉢に突きさしておいた裁縫用のこてを手にとるや、力まかせに彼女の頭をなぐりつけた。
魔性の女 (新字新仮名) / 大倉燁子(著)
小手垣味文が漆喰しっくい細工の村越滄洲、こて先で朝野名士の似顔額面数十枚を作って展覧会を催したり、東両国中村楼大広間の大天井を杉板まがいに塗り上げて評判の細工人。
明治世相百話 (新字新仮名) / 山本笑月(著)
火鉢ひばちに突き立ててあった裁縫用のこてをつかむが早いか、私は力をこめて、彼女の額に打ち下した。
犬神 (新字新仮名) / 小酒井不木(著)
こて、並びに炭代。四十八圓、箱代並びに荷造り費。その他に、工場費——九十六圓、男五人、女十人の出面賃でめんちん。運賃(小樽まで)——三十圓。計、六百六十三圓六十餞也。
泡鳴五部作:03 放浪 (旧字旧仮名) / 岩野泡鳴(著)
石工アブラハム・クップフェルはこてを片手に足場の上で歌つてゐる。隨分高く登つたものだ。
石工 (旧字旧仮名) / ルイ・ベルトラン(著)
それが下手なこて細工みたいに、桃色のまだらになってるからたまらない、なんだい君の顔は!
登山の朝 (新字新仮名) / 辻村伊助(著)
「はい、ございます。」顔もあげずに、そう答えて、「このこてを焼いて置いて下さい。」
懶惰の歌留多 (新字新仮名) / 太宰治(著)
瓦斯ガスの火で𤍠くされた二ちやうこてかはがはる当てられる。こてをちよんちよんと音させたり、焼け過ぎたのをさます時にそのこての片脚を持つてきりきりと廻したりするのが面白さうである。
巴里より (新字旧仮名) / 与謝野寛与謝野晶子(著)
かつ子は出勤前なので、露骨にうるさいと云つた表情で、髪にこてをかける手を休めない。その前に、アルバムをひろげて、紫色にせた自分の嬰児の写真からいちいち説明するのだ。
現代詩 (新字旧仮名) / 武田麟太郎(著)
頭をこてで縮らし、椅子に斜にって、煙草をゆらしている自分の姿を、柱かけの鏡の中に見て、前とは別人のように思い、また若き発明家に相応ふさわしいものに自分ながら思った。
老妓抄 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
こてで以てへっついつくろい直しをするようにさん/″\殴ってこれから立派にとゞめを刺す。
敵討札所の霊験 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
黄はにらみ朱はえる、プルシアンブルーはうめく。こてで勢いよくきゅうとなでて、ちりちりぱっとくくりをつけて、パイプをくわえて考え込んで、モンパリー、チッペラリー、ラタヽパン。
二科狂想行進曲 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
おもやせがして、一層美をそえた大きい眼、すんなりとした鼻、小さい口、こてをあてた頭髪かみの毛が、やや細ったのもいたいたしい。金紗きんしゃお召の一つ綿入れに、長じゅばんの袖は紫友禅のモスリン。
柳原燁子(白蓮) (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
それから後ろの襟へかかったところまで長く撫で下ろした髪の末端を、こてを当てたものかのように軽く捲き上げていました。身につけているのも筒袖の着物と羽織に、太い洋袴ズボン穿いています。
米さんに従って、帆村探偵は黙々と本職らしいこてを動かしつづけた。
東京要塞 (新字新仮名) / 海野十三(著)
「ほんとうにね、どうなってゆくのでしょうかね」お光は、そう言って、静かに仕上のこてをあてた。廓の不景気がもっと四、五日早く来てくれたなら、そうしたら茂子や小妻も助かったかも知れない。
地上:地に潜むもの (新字新仮名) / 島田清次郎(著)
左官武者修行むしゃしゅぎょうの格で諸国を流れている風来坊ふうらいぼうが、こて一つどんぶりへ呑んで他流試合の気で飛び込んで来たり、または遠国から仲間の添え状を持って思いがけない弟子入りが来たりするので、母の死んだあと
魔像:新版大岡政談 (新字新仮名) / 林不忘(著)
「飯田がね、こてでなぐったのよ……厭になってしまう……」
新版 放浪記 (新字新仮名) / 林芙美子(著)
石造いしつくりわれに語りぬ、いざこてをみづから執れと。
海潮音 (旧字旧仮名) / 上田敏(著)
炉びらきやこてでつきわる灰の石 孟遠もうえん
古句を観る (新字新仮名) / 柴田宵曲(著)
ながむればはにあらず、こてもなし。
邪宗門 (新字旧仮名) / 北原白秋(著)
わたしのこてで、ちいさな鏝で
まざあ・ぐうす (新字新仮名) / 作者不詳(著)
「ちゃんとこてがかけてあるよ」
さぶ (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
こてを塗って
菎蒻本 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
その上からこてをかけて大波小波を打たせる。耳のあたりは渦を捲いたように見せかける。それから髷の競争である。
東京人の堕落時代 (新字新仮名) / 夢野久作杉山萠円(著)
難なくこてに土をのせて、自信たっぷりの顔つきで頭上の木舞を見さだめ、それをめがけて大胆な動作におよんだ。
そういう表現が強いられていたころ、もと書いたソヴェト紹介の文章は、作者自身にとってその直截さがまるであついこてのようにジリッときつく感じられた。
こての突き刺してある火鉢の中を覗いてみても、炭火を深くいけ込んだ上に、灰が綺麗に筋目を立てゝならしてあり、三徳の上に載せてある瀬戸引の薬鑵やかんまでが
猫と庄造と二人のをんな (新字旧仮名) / 谷崎潤一郎(著)
彼の主な遊びは、小屋の四隅よすみへ、尻で、一つ一つ巣を掘ることだ。それから、手をこての代りにして、埃をかき寄せ、これで目塗めぬりをして、からだを植えつけてしまうのだ。
にんじん (新字新仮名) / ジュール・ルナール(著)
大森の駅からすこし歩いて現場に達すると共に、人夫達はくわで、我々は移植こてで掘り始めた。
壁と云うとこての力で塗り固めたような心持がするが、この壁は普通のどろ天日てんぴ干上ひあがったものである。ただ大地と直角ちょっかくにでき上っている所だけが泥でなくって壁に似ている。
満韓ところどころ (新字新仮名) / 夏目漱石(著)