明治三十年夏のころ、東京市内京橋采女町に一怪事起こり、一時新聞上の問題ともなった。こは活版業大村某の居宅の出来事である。
「それに付けても口惜しいのは、悪魔のいよいよはびこることじゃ。お身はまだ知らぬか、玉藻はいよいよ采女に召さるるというぞ」
みちのくに育つたわかい娘の、たぐひない才色を見出されて采女として都に召され、宮廷に仕へるやうになつた才媛であつた。
“采女”の意味
《名詞》
(さいじょ 中国歴史)漢代における、民衆から採用した女官。
(さいじょ 中国歴史)後宮の下級の女官。
(うねめ)主に飛鳥時代から奈良時代において、宮中に伺候し、天皇や皇后の身の回りの世話をした女官。「うねべ」。
(出典:Wiktionary)
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“采女”の解説
采女(うねめ/さいじょ)とは、後宮の女官の職役名。
中国における采女(さいじょ)は、前漢以降の王朝にみられる職制(ただし唐制にはみられない)。
日本における采女(うねめ)は、朝廷において、天皇や皇后に近侍し、食事など身の回りの庶事を専門に行った女官のこと。平安時代初頭までの官職。
(出典:Wikipedia)
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