西行さいぎょう)” の例文
「ホホホ、よく皆さんが、そんなことをおっしゃって下さいますが、西行さいぎょうに姿ばかりは似たれども、と申すようなものでございます」
大菩薩峠:22 白骨の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
墨染すみぞめの衣を着た坊さんが、網代笠あじろがさを片手に杖ついて、富士に向って休息しているとすれば、問わずして富士見西行さいぎょうなることを知る。
不尽の高根 (新字新仮名) / 小島烏水(著)
ぶらぶらのぼってその辻まできてみると、椿とやぶに埋まって西行さいぎょう法師の歌碑うたぶみがあり、それと並んで低い竹垣根をい廻した高札場こうさつばがある。
鳴門秘帖:03 木曾の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
先ず日本で言えば、芭蕉ばしょうや、人麿ひとまろや、西行さいぎょうやが、そうであった。彼等は人生の求道者であり、生涯を通じてのロマンチックな旅行家だった。
詩の原理 (新字新仮名) / 萩原朔太郎(著)
中世盛んに流行した歌問答の昔話にも、西行さいぎょうとか宗祇そうぎとかいう旅の歌人が、摂津せっつの鼓の滝に来て一首の歌を詠んだ話がある。
偶々文学談をしてもゴーゴリやツルゲーネフでなければ芭蕉や西行さいぎょう、京伝や三馬らの古人の批評で、時文や文壇のうわさには余り興味を持たなかった。
二葉亭追録 (新字新仮名) / 内田魯庵(著)
俺は消極の悟りから積極の悟りに目が覚めたんだ。熊谷くまがい西行さいぎょうは浮世の無情を感じて人生から退会したが、皆その真似を
人生正会員 (新字新仮名) / 佐々木邦(著)
西行さいぎょうがいっているようにその女どもは今は弥陀みだの国に生れていつの世にも変らぬものは人間のあさましさであることを憫笑びんしょうしているのであろうか。
蘆刈 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
西行さいぎょうや歌林苑の俊恵しゅんえと心を通わしていた六十歳以前の頃に比べて、決して安静はめぐまれていなかったといってよい。
中世の文学伝統 (新字新仮名) / 風巻景次郎(著)
実業家が主人苦沙弥くしゃみ先生を圧倒しようとあせるごとく、西行さいぎょうに銀製の吾輩を進呈するがごとく、西郷隆盛君の銅像に勘公がふんをひるようなものである。
吾輩は猫である (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
年頃の若者になつても、鼻唄はなうた一つうたふでもなく、嫌味な教会通ひの若者となりもしない、何処どこから得たか西行さいぎょう山家集さんかしゅうと、三木露風ろふうの詩集を持つて居た。
(新字旧仮名) / 岡本かの子(著)
西行さいぎょう芭蕉ばしょうは消極的に言えば世をのがれたに相違ないが、積極的に見ればこの自由を求めたとも見られる。
映画雑感(Ⅰ) (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
梅花のにおいぷんとしたに振向ふりむけば柳のとりなり玉の顔、さても美人と感心した所では西行さいぎょう凡夫ぼんぷかわりはなけれど、白痴こけは其女の影を自分のひとみの底に仕舞込しまいこんで忘れず
風流仏 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
紅蓮尼は西行さいぎょう法師が「桜は浪に埋もれて」と歌に詠んだ出羽国象潟でわのくにきさがたの町に生まれた、商人あきうどの娘であった。
綺堂むかし語り (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
風鈴ふうりん短冊たんざくが先日の風に飛ばされたので、先帝の「星のとぶ影のみ見えて夏の夜も更け行く空はさびしかりけり」の歌を書いて下げた。西行さいぎょうでもみそうな歌だ。
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)
その一人は佐藤義清のりきよ、もう一人は遠藤盛遠もりとおである。義清は二十三歳、盛遠は十八歳で剃髪した。前者は一所不住の歌人西行さいぎょう、後者は高雄神護寺の荒行者文覚もんがくである。
西行の眼 (新字新仮名) / 下村湖人(著)
「あなたは、北元町の東雲師匠のお店にお出での時分、西行さいぎょうを彫っていたことがありましょう」
西行さいぎょう法師や連歌師の宗祇そうぎの跡をしたって、生涯を笠や草鞋に托することがその希望であったのであるが、また無妻で無一物で孤独の生活をしておる芭蕉の如き人に在っては
俳句はかく解しかく味う (新字新仮名) / 高浜虚子(著)
かかるものをいとうの念は更に芭蕉ばしょうの心を楽しみ、西行さいぎょうの心を楽しむの心を深く致し候。
新生 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
西行さいぎょうの戻り松というのが、このへんの山にあると聞いていますが、西行はその山の中の一本松の姿が気に入って立ち戻って枝ぶりを眺めたというのではなく、西行も松島へ来て、何か物足りなく
惜別 (新字新仮名) / 太宰治(著)
それがあるままで、しかもないのと同じ結果になってくる。西行さいぎょう
生活と一枚の宗教 (新字新仮名) / 倉田百三(著)
さびしさに堪へたる人のまたもあれないおを並べん冬の山里 (西行さいぎょう
歌よみに与ふる書 (新字新仮名) / 正岡子規(著)
西行さいぎょうがなぜ出家したか、などいうことをいくら突きとめようたって、なぞは謎、そんなところから何も出てきやしない、実朝さねともがなぜ船をつくったか、そんなことはどうでもいい、右大臣であったことも
(——理想のない漂泊者、感謝のない孤独、それは乞食の生涯だ。西行さいぎょう法師と乞食とのちがいは、心にそれがあるかないかの違いでしかない)
宮本武蔵:04 火の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
西行さいぎょうも同じであり、或る充たされない人生の孤独感から、常に蕭条しょうじょうとした山家やまがをさまよい、何物かのイデヤを追い求めた。
詩の原理 (新字新仮名) / 萩原朔太郎(著)
西行さいぎょう法師がやってきて、しばらく麓の天間あままという村にいた頃に、この山を眺めて一首の歌を詠みました。
日本の伝説 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
銀のねこすてた所が西行さいぎょうなりと喜んでむるともがら是もかえって雪のふる日の寒いのに気がつか詮義せんぎならん。
風流仏 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
たとえば定家ていか西行さいぎょうの短歌の多数のものによって刺激される連想はあまりに顕在的であり、訴え方があらわであり過ぎるような気がするのをいかんともすることができない。
俳諧の本質的概論 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
仁義のやからは、これが一筋ありさえすれば、日本国中を西行さいぎょうして歩くこともできる。どうかすると、このものを綴り合わせて浴衣ゆかたとして着用し、街道へ押出すものさえあるのです。
大菩薩峠:37 恐山の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
誰が何時来ておがむのか。西行さいぎょうならばたしかに歌よむであろ。歌も句もなく原を過ぎて、がけの下、小さなながれ沿うてまた一つ小屋がある。これが斗満最奥さいおく人家じんかで、駅逓えきていから此処ここまで二里。
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)
古来幾多の世捨人よすてびとは人間の死ということに心を置いて、樹下石上の旅にさまようた。西行さいぎょう宗祇そうぎ芭蕉ばしょうもまたそれら世捨人のあとをしとうて旅にさまようた。そうして宗祇も芭蕉も旅に死んだ。
俳句への道 (新字新仮名) / 高浜虚子(著)
その第一は、第四節西行さいぎょうの処に関している。
中世の文学伝統 (新字新仮名) / 風巻景次郎(著)
歌人の西行さいぎょうなども、強かったようだ。
花吹雪 (新字新仮名) / 太宰治(著)
芋洗ふ女西行さいぎょうならば歌よまん 同
古池の句の弁 (新字旧仮名) / 正岡子規(著)
西行さいぎょうは純一のリリシズムを持った「咏嘆の詩人」であったが、芭蕉もまた同じような「咏嘆の詩人」である。したがって彼の句は常に主観的である。
郷愁の詩人 与謝蕪村 (新字新仮名) / 萩原朔太郎(著)
道から道へ、道から道へ、たとえば、西行さいぎょうの旅にも似て、芭蕉ばしょうのさすらいにも似て、それとは、意もぎょうも、形も違うが、遍歴に暮していたものと思われる。
随筆 宮本武蔵 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
あるいは見物の方がはなはだしく無我で、聞きしにまさるなどと感歎することがあっても、それはただ西行さいぎょう宗祇そうぎ・山陽・拙堂せつどうなどの、従順なる信者というにすぎぬ。
雪国の春 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
西行さいぎょう
歌よみに与ふる書 (新字旧仮名) / 正岡子規(著)
この二つのもとに生きる人間は、やはり、であってはならない、西行さいぎょうのごときさすらい人とならない限りは。
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
しかしながら芭蕉は、趣味としての若さを嫌った。西行さいぎょうを好み、閑寂かんじゃくの静かさを求め、枯淡のさびを愛した芭蕉は、心境の自然として、常に「ろう」の静的な美を慕った。
郷愁の詩人 与謝蕪村 (新字新仮名) / 萩原朔太郎(著)
そのためには谷奥の山村は誠に重要であった。関所のある峠は勿論のこと、関はなくても難所と聞いては、西行さいぎょう宗祇そうぎ此処ここへ来て一宿したからである。しかるに新道が開けるとその村は不用になる。
峠に関する二、三の考察 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
世も移っては西行さいぎょうがぽつねんと夕暮の富士に見とれ、芭蕉ばしょうが昼顔の句をあんじながら足を休めたかも分らないこの石に、今は——切支丹きりしたん屋敷を追われた混血児のお蝶が
江戸三国志 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
さらに尚一つの例を言えば、西行さいぎょうは自然詩人の典型であり、専ら自然の風物外景のみを歌っていたにかかわらず、今に於ても昔に於ても、彼の歌風は主観主義の高調と考えられている。
詩の原理 (新字新仮名) / 萩原朔太郎(著)
西行さいぎょう塚の平地へきて、ホッと一息入れながら、弦之丞の天蓋がクルリと後ろへ振り向いた途端に、その影は両端の草むらや岩の根に、サッと野分のわきに吹かれた草のようになびいてしまう。
鳴門秘帖:03 木曾の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
この点で芭蕉も、蕪村も、西行さいぎょうも、すべて皆楽天主義者の詩人に属している。
郷愁の詩人 与謝蕪村 (新字新仮名) / 萩原朔太郎(著)
佐藤義清は、もう法衣姿となって、名も、西行さいぎょうと称している。そして東山の雙林寺付近にいたり、ときには、奥嵯峨のあたりを、歩いているのを、見た人もあるといううわさも聞こえた。
べらぼうめ! と、こいつは、あのじんくせで、——西行さいぎょうとか芭蕉ばしょうとかいう男みてえに、尾花おばな蒲公英たんぽぽにばかり野糞のぐそをしてフラフラ生きているような人間になって、ほんとの、生きた陶器が作れるかい。
増長天王 (新字新仮名) / 吉川英治(著)