衣嚢かくし)” の例文
「時に、私はあなたに宛てた添書を貰って来たのですが。」そう言ってチチコフは、衣嚢かくしからプリューシキンの手紙を取り出した。
老人のうしろに立つてゐて、お付合のやうに笑ひながら窓側まどぎはの柱に懸つてゐる時計を眺め、更に大形の懐中時計を衣嚢かくしから出して見た。
(新字旧仮名) / 石川啄木(著)
さア隠すなら何所どこへ隠す、着物の衣嚢かくしとか其他先ず自分の身のうちには違い無いが其鋭利するどいものを身の中へ隠すのは極めて険呑けんのん
血の文字 (新字新仮名) / 黒岩涙香(著)
その衣嚢かくしに手を突き込んだり、茶色の紙包みを引奪ひったくったり、襟飾りに獅噛み着いたり、頸の周りに抱き着いたり、背中をぽんぽん叩いたり
廊下に出ると動物学の方の野村教授が、外套の衣嚢かくしの辺で癖のように両手を拭きながら自分の研究室から出てくるのにった。
星座 (新字新仮名) / 有島武郎(著)
やがてその用箪笥へ手がとどくと、頂上から正面を撫でおろして、錠のところに左手の指を一本あてておいて、右手で衣嚢かくしの鍵束をさぐった。
空家 (新字新仮名) / モーリス・ルヴェル(著)
やがてモゾモゾと上衣の衣嚢かくしをさぐって、鼻紙といっしょにつぶれかかった板チョコレートを取り出して花のほうへ差出し
魔都 (新字新仮名) / 久生十蘭(著)
此処ここの定めは注文した酒のさかづきと引換に銭を払ふので、洋袴パンタロン衣嚢かくしから取出す銅銭の音が断えず狭い室の話声はなしごゑに混つて響くのもほかちがつて居る。
巴里より (新字旧仮名) / 与謝野寛与謝野晶子(著)
さうしてときどき兩手を衣嚢かくしに突込んでは、高い噴水を見上げながら、「よく疲れないもんだなあ……」とでも言ひたさうな顏つきをしてゐる。
(旧字旧仮名) / 堀辰雄(著)
一旦席についた博士は衣嚢かくしから金時計を出してみたあとで一座の顔をみわたしたが、「どうぞ御意見を……」と言った。
国際殺人団の崩壊 (新字新仮名) / 海野十三(著)
子供らがさけんでばらばら走って来て童子にびたりなぐさめたりいたしました。る子は前掛まえかけの衣嚢かくしからした無花果いちじくを出してろうといたしました。
雁の童子 (新字新仮名) / 宮沢賢治(著)
乃公は最早もうかろうと思って、衣嚢かくしの中から先刻さっき捕えて置いた小鼠を出してテーブルの上に置いた。乃公が手を放すか放さぬ中に鼠は奥様おくさんに飛付いた。
いたずら小僧日記 (新字新仮名) / 佐々木邦(著)
彼が彼の小刀ナイフを筆入に入れないで、いつも衣嚢かくしに入れていたのも、実はそのためだったのである。
次郎物語:02 第二部 (新字新仮名) / 下村湖人(著)
濡れたハンカチを絞り固めて外套の衣嚢かくしに入れたばかりでなく、女の紫のハンカチと一緒に、金受取りの割符にした名刺の半分までも取り上げて仕舞い込んでしまった。
暗黒公使 (新字新仮名) / 夢野久作(著)
与里は毎日の詰襟服を身に着けて、さらに又ドス黒い厚羅紗らしゃの、膝から下へだらしなく垂れ落ちた冬の外套を纏うてゐた。それは破れて、肱や衣嚢かくし綴布つぎだらけであつた。
竹藪の家 (新字旧仮名) / 坂口安吾(著)
気の弱そうな潮田春樹は、両手をズボンの衣嚢かくしに突込んだまま、ぞっと身をふるわせるのです。
笑う悪魔 (新字新仮名) / 野村胡堂(著)
そして、衣嚢かくしから格子紙セクションの手帳を取り出して、階段の階数をかぞえ、それに何やら電光形ジグザグめいた線を書き入れたらしい。さすがこれには、検事も引き返さずにはいられなかった。
黒死館殺人事件 (新字新仮名) / 小栗虫太郎(著)
そしてその瞬間、はたはた はたはたと、私の左右の衣嚢かくしから、幾度ともなく蝙蝠が翻り、夜空の中へ飛び去つていつた。それは何といふ種もない憂鬱な手品であつただらう——。
測量船拾遺 (新字旧仮名) / 三好達治(著)
初めはそれがどういう意味かわかりませんでした、——が間もなく恐ろしい考えが頭にひらめきました。私はズボンの時計衣嚢かくしから、時計をひっぱり出しました。それは止っています。
帽子を眉深まぶかに、両手を衣嚢かくし突込つきこみて歩み行く男は、皆賭博に失敗して自殺を空想しつゝ行くものゝ如く見え、闇より出でゝ、闇のうち馳過はせすぐる馬車あれば、其のうちには必ず不義の恋
夜あるき (新字旧仮名) / 永井荷風(著)
そしてハンカチを巻きつけた手で金魚鉢の縁を掴み、一方の手で底を支えながら邪魔にならない所で置き換えた。それから水のついた指先を拭うと、その濡れたハンカチを衣嚢かくしに収めた。
赤い手 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
障子の彼方側の板の間で、石油鑵に足をぶつけながら、ひどく恐縮してステパンが上衣の内衣嚢かくしから一通の手紙を大事そうにとり出した。彼は、ジェルテルスキーの耳に口をつけてささやいた。
(新字新仮名) / 宮本百合子(著)
商売道具の小物を容れた、ズックのふくろを肩に掛けて、紐は、左の手頸に絡んで其手先は綿交り毛糸編の、鼠色セーターの衣嚢かくしへ、深く突込んで、出来る丈、背中を丸くして、此寒風の中を帰って来た。
越後獅子 (新字新仮名) / 羽志主水(著)
新聞紙折り、さはやかに衣嚢かくしに入れて歩みゆく
東京景物詩及其他 (新字旧仮名) / 北原白秋(著)
衣嚢かくしにゃごほうびの麦がある。
まざあ・ぐうす (新字新仮名) / 作者不詳(著)
衣嚢かくしにあるけど……」
城のある町にて (新字新仮名) / 梶井基次郎(著)
ふくろ衣嚢かくしさじれた
愛ちやんの夢物語 (旧字旧仮名) / ルイス・キャロル(著)
そこで衣嚢かくしをまさぐつて煙管を取り出しながら、あたりを一とわたり見まはしたが、どいつ一匹こちらに注意をしてゐる奴もない。
そして道を開いて、衣嚢かくしから「日本郵船会社絵島丸えじままる事務長勲六等倉地三吉くらちさんきち」と書いた大きな名刺を出して葉子に渡しながら
或る女:1(前編) (新字新仮名) / 有島武郎(著)
が、夫は何か或考えを払いのけでもするように頭を振りながら、何も云わずに、それまで手にしていた時計をしずかに衣嚢かくしにしまっただけだった。
菜穂子 (新字新仮名) / 堀辰雄(著)
乞食はこの盲の述懐を聴きながら、自分の衣嚢かくしの中で銅貨をいじくっていた。手探りで数えるとそれが四十八銭あった。
幻想 (新字新仮名) / モーリス・ルヴェル(著)
『目賀田さんは御苦労ですなあ。』両手を衣嚢かくしに入れてがつしりした肩を怒らせながら、雀部は同情のある口を利いた。
(新字旧仮名) / 石川啄木(著)
といいながら、チョッキの衣嚢かくしから、朱色の模擬貨幣ジュットンを取り出して、大きな白鳥を薄浮彫すかしぼりした机の上に置いた。
ひて老人の衣嚢かくしへ押込んで置いて早足に墓を出た。門を出る時一度振返つて見たら、よろよろして墓の奥へはひつて行く後姿うしろすがたが石碑の間へ影の如く消えた。
巴里より (新字旧仮名) / 与謝野寛与謝野晶子(著)
やがて彼れ衣嚢かくしを探りいとふとやかなる嗅煙草かぎたばこの箱を取出とりいだし幾度か鼻に当て我を忘れて其香気をめずる如くに見せかくる、れど余はかねてより彼れに此癖あるを知れり
血の文字 (新字新仮名) / 黒岩涙香(著)
乃公は胸の釦穴ボタンあなに花を揷して、新しいハンケチを衣嚢かくしに突込み、右の手に白い手袋を持って、漆のように光った靴を踏み鳴らしながら、別間に入って行った。
いたずら小僧日記 (新字新仮名) / 佐々木邦(著)
よる更けて、夜毎に僕は酒場へ通つた。僕の飲む酒はいつもコニャック。様様な苦心をして、チャラチャラと衣嚢かくしいろふ数個の銀貨を、例外なしにみんなコニャックに代へてしまふ。
海の霧 (新字旧仮名) / 坂口安吾(著)
そう言って大急ぎで手紙を衣嚢かくしに入れ、手巾ハンケチを取出して、額の汗を拭くのでした。
笑う悪魔 (新字新仮名) / 野村胡堂(著)
「なるほど、坊主なら、人殺しに関係あるだろう」と熊城は露骨に無関心を装ったが、急に神経的な手附になって、衣嚢かくしから何やら取り出そうとした。法水は振り向きもせず、背後に声を投げて
黒死館殺人事件 (新字新仮名) / 小栗虫太郎(著)
彼は返事をする代りに、思わず手を衣嚢かくしに突っこんで、小刀ナイフを握った。
次郎物語:02 第二部 (新字新仮名) / 下村湖人(著)
自分の衣嚢かくしに投げこんだ。
楢ノ木大学士の野宿 (新字旧仮名) / 宮沢賢治(著)
それから衣嚢かくしの中から、そもそも衣嚢かくしといふものが作られてをる由緒いはれの本尊仏を取り出すことを忘れなさるなよ……。
といいながら衣嚢かくしから二通の手紙を取り出した。手早く受け取って見ると、一つは古藤が木村にあてたもの、一つは葉子にあてたものだった。
或る女:1(前編) (新字新仮名) / 有島武郎(著)
私は衣嚢かくしへ手をやると、恰度自分のへやの鍵が入っていたので、それを取りだしてそっと鍵穴にあててみました。と、鍵は音もなく入って行きました。
無駄骨 (新字新仮名) / モーリス・ルヴェル(著)
『解つた、解つた。そして酔つて了つて、誰かに持つて行かれたかな?』と雀部は煙草入を衣嚢かくしに蔵ひながら笑つた。
(新字旧仮名) / 石川啄木(著)
「いや、それもそうだ。でもネ、三百五十万法なんていう模擬貨幣ジュットンは、一体どこへしまったらいいのかね。もちろん、衣嚢かくしなんかにははいり切れはしまい」
コロップを衣嚢かくしに入れて再び二十三番館に帰り、今度は案内を請わずして四階の上に飛上る、成るほど生田の室は「飾職かざりしょく生田」としるしたる表札にて明かなれば
血の文字 (新字新仮名) / 黒岩涙香(著)
フォォル氏は僕に名刺をれると云つて夫人と一緒に探して居たが、やつと一枚服の衣嚢かくし何処どこからか見附みつけ出してしわを直しながれたのは黄色く成つたふる名刺であつた。
巴里より (新字旧仮名) / 与謝野寛与謝野晶子(著)
すると逃げたのは夢かしらと思って、衣嚢かくしを探って見たら、昨夜取った手紙が手にさわった。
いたずら小僧日記 (新字新仮名) / 佐々木邦(著)
野々宮はいちど汽車から降りたとき、改札へ渡すつもりで切符を衣嚢かくしからとりだしてゐた。再び汽車へ戻つてきて、もとの座席へ坐つても、切符を片手に握りしめてゐたのである。