無性むしょう)” の例文
だが、愛の巣のあったと思うところには、赤ちゃけた焼灰ばかりがあって、まだ冷めきらぬほとぼりが、無性むしょうに彼の心をかき乱した。
棺桶の花嫁 (新字新仮名) / 海野十三(著)
長老は無性むしょうになりぬ。そのとき、近所の者どもは寺の客殿の上に火の手上がりたるを見、火事ありと思いておびただしくせ集まれり。
迷信解 (新字新仮名) / 井上円了(著)
それでは御免こうむって、わし一膳いちぜん遣附やッつけるぜ。なべの底はじりじりいう、昨夜ゆうべから気をんで酒の虫は揉殺したが、矢鱈やたら無性むしょうに腹が空いた。
葛飾砂子 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
他人ひとの子とは思われぬと、常々云っている禅尼なので、頼朝にそう歓ばれると、むくわれたここちで、彼女は無性むしょうに涙におぼれながら
源頼朝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
負けては大変だぞ! と思えば思うほど、無性むしょうに飲みたくなる。チラリと仲間の方を偸み見ながら、彼はゴクリと喉を鳴らした。
日は輝けり (新字新仮名) / 宮本百合子(著)
かの藍玉屋の金蔵の如きは、執心しゅうしんの第一で、何かの時にうれいを帯びたお豊の姿を一目見て、それ以来、無性むしょうのぼりつめてしまったものです。
人間の正直な言葉ほど、滑稽こっけいで、とぎれとぎれで、出鱈目に聞えるものはない、と思えば、なんだか無性むしょうに悲しくなります。
新ハムレット (新字新仮名) / 太宰治(著)
陸軍主計りくぐんしゅけいの軍服を着た牧野は、邪慳じゃけんに犬を足蹴あしげにした。犬は彼が座敷へ通ると、白い背中の毛を逆立さかだてながら、無性むしょうえ立て始めたのだった。
奇怪な再会 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
ただ無性むしょうに弱くなった気持ちが、ふと空虚くうきょになった胸に押し重なって、疲れと空腹とを一度に迎えたような状態じょうたいなのだ。
落穂 (新字新仮名) / 伊藤左千夫(著)
うわさたがわず素晴らしいその鉄砲乳が無性むしょうに気に入ったんだ。年寄だけが不足だろうが、さりとて何も、おめえをいて寝ようというわけじゃねえ。
歌麿懺悔:江戸名人伝 (新字新仮名) / 邦枝完二(著)
そう火事が矢鱈やたら無性むしょうにあって堪るもんでございますか。さて品川停車場ステーションより新橋へ帰るつもりで参って見ると、パッタリ逢ったはお若さんでげす。
併し、理窟りくつで、この身震いがどう止まるものぞ。私はただ、恐しい殺人罪でも犯した様に、無性むしょうに怖いのであった。
毒草 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
ぼくは頭のなかが熱くなり、うそだ嘘だとおもいながらも柴山の言葉を否定するなんの根拠こんきょもないままに、無性むしょうに腹が立ってきました。柴山は続けます。
オリンポスの果実 (新字新仮名) / 田中英光(著)
それに何だって今頃になって出て来てひょろひょろ此処に立ってやがるんだ。それが為吉を無性むしょうに怒らせた。
上海された男 (新字新仮名) / 牧逸馬(著)
それがまだそのままにしてある。あちらこちらと持ち運んで来たものであるが、毛布をいで見れば、どこにも損傷がない。それを見て鶴見は無性むしょうに嬉しがる。
いつまでたっても相手が笑っているから、源十郎もつりこまれて、なんだか無性むしょうにおかしくなった。
丹下左膳:01 乾雲坤竜の巻 (新字新仮名) / 林不忘(著)
また、何か無性むしょうに腹の立つ時でも、あの子があらわれれば、やんわりと心が静まってしまうのじゃ。……なよたけのかぐやはこの儂のたったひとつの甲斐がいじゃった。
なよたけ (新字新仮名) / 加藤道夫(著)
わたしは無性むしょうに腹が立ったが、同時にまた、噴水のほとりのあの仕合せ者になれさえしたら、どんなことでも承知してみせるどんな犠牲ぎせいでもはらってみせる、と思った。……
はつ恋 (新字新仮名) / イワン・ツルゲーネフ(著)
葉子はうるさそうに頭の中にある手のようなもので無性むしょうに払いのけようと試みたがむだだった。
或る女:1(前編) (新字新仮名) / 有島武郎(著)
子供はむかいの釜屋の夫婦が無性むしょうにかわいがってたいがい朝から借りてって一日じゅう遊ばせている。狭い人通りのないみちゆえ子供のはしゃぐ声がよくきこえる。善い人たちらしい。
妹の死 (新字新仮名) / 中勘助(著)
同時に、彼は校番のむさ苦しい部屋が、無性むしょうに恋しくなって来た。
次郎物語:01 第一部 (新字新仮名) / 下村湖人(著)
何かは知らず滅多めった無性むしょうせわしそうだ。斯様こんうずの中にまれると、杢兵衛もくべえ太五作たごさくも足の下が妙にこそばゆくなって、宛無あてなしの電話でもかけ、要もないに電車に飛び乗りでもせねばまぬ気になる。
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)
俺は無性むしょうに酒が飲みたくなった。
いやな感じ (新字新仮名) / 高見順(著)
横倒しに倒れかかって自分の面を上から撫でおろした一件の物を、無性むしょうにかなぐりとって見ると、それは一筋の弓の矢でした。
大菩薩峠:34 白雲の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
お八重は、顔いろを——身の置場を失って、意味の聞きとれない言葉を発しながら、一角の手をつかんで、無理に、無性むしょう
無宿人国記 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
だまって同じ姿勢で立っていると、やたら無性むしょうに、お金が欲しくなって来る。十円あれば、よいのだけれど。「マダム・キュリイ」が一ばん読みたい。
女生徒 (新字新仮名) / 太宰治(著)
女の腐った様な猜疑に満ちた繰言くりごとで変態読者をやんやと云わせて得意がっている彼が無性むしょうしゃくに触っていた。
陰獣 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
その人たちのしかつめらしいのが無性むしょうにグロテスクな不思議なものに見え出して、とうとう我慢がしきれずに、ハンケチを口にあててきゅっきゅっとふき出してしまった。
或る女:2(後編) (新字新仮名) / 有島武郎(著)
その間を潮流が湍津瀬たぎつせをなして沸きあがり崩れ落ちる。岩礁には真夏の強い日光が反射する。紫褐色の地にめった無性むしょうに打たれた赤い斑点がちかちかと光ったりうなったりしている。
これもそう無性むしょうに喜ぶほど、悪魔の成功だったかどうか、作者は甚だ懐疑的である。
おぎん (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
……人里離れた生れ故郷の瓜生の里が無性むしょうにこう……なつかしくなって参りましてな。
なよたけ (新字新仮名) / 加藤道夫(著)
金満のやっこさん恩儀を思つて、無性むしょう難有ありがたがつてる処だから、きわどい処を押隠して、やうやう人目を忍ばしたが、大勢押込むでゐるもんだから、かくしきれねえでとうどう奥の奥の奥ウの処の
海城発電 (新字旧仮名) / 泉鏡花(著)
「ご苦労様でもばかばかしくても、私にとれば、この大阪が、無性むしょうに恋しくって恋しくって、夢にみる程なんだから、しかたがないじゃないか」
鳴門秘帖:04 船路の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
ただ無性むしょうにいい心持になっているほどに、先生の飲みッぷりは初心うぶなものではないはずだから、何か特別に嬉しいことがあっての上でなければなりません。
大菩薩峠:19 小名路の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
私は無性むしょうに仕事をしたくなった。なんのわけだかわからない。よし、やろう。一途いちずに、そんな気持だった。
故郷 (新字新仮名) / 太宰治(著)
しかし葉子は無性むしょうに自分の顔を倉地の広い暖かい胸にうずめてしまった。なつかしみと憎しみとのもつれ合った、かつて経験しない激しい情緒がすぐに葉子の涙を誘い出した。
或る女:2(後編) (新字新仮名) / 有島武郎(著)
ただもう、無性むしょうにわなをしかけてみたくなったのです。そこで、いつにない早起きをして、ソッと土蔵にしのびこんで、大きな鉄の道具を、エッチラオッチラ持ちだしたというわけなのです。
怪人二十面相 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
生物いきものなれば、鳥けものや虫けらに至るまで無性むしょうにこう可愛がるくせがござりましてな、ある時なぞは、蝶々になるまで可愛がってやるのだと申して、自分の部屋に毛虫をたくさん集めて飼ってみたり
なよたけ (新字新仮名) / 加藤道夫(著)
神尾が、うわごとのように、むやみにけしかけるものですから、鐚の野郎が無性むしょうに嬉しくなってしまいました。
大菩薩峠:38 農奴の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
あえなく石を横へ捨てて、伊織は無性むしょうに逃げ出していた。いくら逃げても逃げても恐さが振り捨てられなかった。
宮本武蔵:07 二天の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
学校で、金子先生の無内容なお話をぼんやり聞いているうちに、僕は、去年わかれた黒田先生が、やたら無性むしょうに恋いしくなった。げつくように、したわしくなった。
正義と微笑 (新字新仮名) / 太宰治(著)
ただ感ぜられるのは、心の中がわけもなくただわくわくとして、すがりつくものがあれば何にでもすがりつきたいと無性むしょうにあせっている、その目まぐるしい欲求だけだった。
或る女:2(後編) (新字新仮名) / 有島武郎(著)
「デハ、ヤタラ無性むしょうニヤルデス、マルセル、ボルカ、ゴルデン、ワルツ、マルチ——何デモ無性ニヤルデス」
大菩薩峠:37 恐山の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
と、ここに竹童ちくどうが、にわか芸人げいにん口上こうじょうをうつして、べんにまかせてのべ立てると、万千代まんちよはじめ、とんぼぐみ、パチパチと手をたたいて無性むしょうにうれしがってしまった。
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
木村の笑い出すのを見た二人は無性むしょうにおかしくなってもう一度新しく笑いこけた。
或る女:1(前編) (新字新仮名) / 有島武郎(著)
『乗りたいな。無性むしょうに、乗りたくなる。——乗り味のよさが思われてくるのだ。たまらない名馬ではある。あの後脚ともあしからさんずにかけての、からだづくりといったらない』
と言って、竜之助は二はい三ばいとひっかけるものですから、お雪ちゃんが無性むしょうに嬉しくなりました。
大菩薩峠:38 農奴の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
そして無性むしょう癇癪かんしゃくを起こし続けた。
卑怯者 (新字新仮名) / 有島武郎(著)
ぜひなく兵馬は、神尾の屋敷から引返して、甲府の市中を当もなく歩きます。忍ぶ身になってみると、無性むしょうに懐かしくなって、お松に会いたくてたまらなくなりました。
大菩薩峠:15 慢心和尚の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
『母ゆえに、平太は無性むしょうに、あなたがしゃくにさわる。あなたが、けがらわしいんだ、いまいましくて』