淨瑠璃じやうるり)” の例文
新字:浄瑠璃
俳諧はいかい、謠曲、淨瑠璃じやうるりに至るまで、(淨瑠璃のある部分を除く外は)おほむね理想詩(叙情派)に屬すといひて、世相派の詩少きをなげきつ。
柵草紙の山房論文 (旧字旧仮名) / 森鴎外(著)
朝から晩まで一と間にこもつて、古聖賢こせいけんの有難い經書史書から、黄表紙、好色本、小唄、淨瑠璃じやうるり本までをあさりつくし、智慧と理窟が内訌ないこうして
おくられ今日の第一番客なりさてゆふ申刻なゝつ頃よりして立代たちかはり入代り語りそめをなす淨瑠璃じやうるり數々かず/\門弟は今日をはれと見臺に向ひて大汗おほあせ
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
松村まつむら小松こまつかこつて、松賀町まつかちやう淨瑠璃じやうるりをうならうといふ、くらくらとはならんだり、なか白鼠しろねずみ黒鼠くろねずみたはら背負しよつてちよろ/\したのが、みなはひになつたか。
深川浅景 (旧字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
安井やすゐわらひながら、比較ひかくのため、自分じぶんつてゐるある友達ともだち故郷こきやう物語ものがたりをして宗助そうすけかした。それは淨瑠璃じやうるりあひ土山つちやまあめるとある有名いうめい宿しゆくことであつた。
(旧字旧仮名) / 夏目漱石(著)
今晩、東光院さんで淨瑠璃じやうるりがござりまんがな、んなら聽きにおでやしたら。……其のにおとこべときます。……素人しろうとはんだすけど、上手じやうずやちう評判だツせ。
東光院 (旧字旧仮名) / 上司小剣(著)
五左衞門は用心棒のつもりで置いた樣子ですが、小僧から下女にまで甘く見られて、劍術よりは小唄こうた淨瑠璃じやうるりの節廻しに苦勞する肌合の男です。
稽古けいこいたすばかりで淨瑠璃じやうるりは習ひ度は思ひましても手がとゞきませぬと云にぞ政太夫成程なるほどしかし夫程好ならば何んと稽古けいこ
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
内證ないしよ情婦いろのことを、おきせんとふ。たしか近松ちかまつ心中しんぢうもののなにかに、おきせんとて言葉ことばありたり。どの淨瑠璃じやうるりかしらべたけれど、おきせんもいのに面倒めんだうなり。
寸情風土記 (旧字旧仮名) / 泉鏡花(著)
かれ高座かうざはう正視せいしして、熱心ねつしん淨瑠璃じやうるりかうとつとめた。けれどもいくらつとめても面白おもしろくならなかつた。時々とき/″\らして、御米およねかほぬすた。るたびに御米およね視線しせんたゞしいところいてゐた。
(旧字旧仮名) / 夏目漱石(著)
淨瑠璃じやうるりで聽いた文句ですよ、——ところが平松屋の内儀のお駒は、部屋の眞ん中に床を敷いて、自分は奧の方の壁寄りに、少しつぎの當つた寢卷を
銭形平次捕物控:282 密室 (旧字旧仮名) / 野村胡堂(著)
政太夫は見てコレ按摩殿あんまどの貴樣きさま淨瑠璃じやうるりが好か何所どこぞで稽古でも仕たるかと尋ねけるに城富はハイ樣で御座りますがいまだ一かう稽古は致しません親掛おやがかりの身の上ゆゑ漸々やう/\はりと按摩を
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
富藏とみざううたがはないでも、老夫婦らうふうふこゝろわかつてても、孤家ひとつやである、この孤家ひとつやなることばは、昔語むかしがたりにも、お伽話とぎばなしにも、淨瑠璃じやうるりにも、もののほんにも、年紀とし今年ことし二十はたちになるまで、民子たみこみゝはひつたひゞきに
雪の翼 (旧字旧仮名) / 泉鏡花(著)
太てえか細いか知らないが、金と暇があり餘つて、遊藝と淨瑠璃じやうるりで教へ込まれた女は、どこかに變なところのあるものさ。
淨瑠璃じやうるりの文句のやうなことを、大眞面目に言ひ交した、娘手品のお關の身の上を案じての疑惧ぎぐに囚へられてゐたのです。
淨瑠璃じやうるりの文句の通り、覺悟の經帷子きやうかたびら、首には水晶の珠數じゆずをかけて、そのまゝ舞臺に押し出せさうな晴小袖、男の方もそれに劣らず、錢に飽かして死出の晴着だ
若い時の白内障しろそこひが、身體の異常な衝動シヨツクで、混濁こんだくした眼の水晶體が剥脱はくだつし、覺束なくも見えるやうになるといふ例は、淨瑠璃じやうるり壺坂靈驗記つぼさかれいげんき澤市さはいちの例でも證明されることです。
「有難てえ。それぢや突出して下さるか、親分、やくざ者が三千五百石の大旗本を背負せおつて行きア本望だ。三尺高けえ木の上から上總房州を眺めて、淨瑠璃じやうるりを語つて見せるぜ、親分」
後の世の幻燈げんとうで、享和きやうほ年間には、江戸の寄席よせ藝人都樂とらくなる者が興行用に使用したことが武江年表に記されてをり、それが近代に及んで、淨瑠璃じやうるりなどをもちひ、劇的な筋を持つた影芝居
「ジヨ、冗談でせう。糸瓜が物を言や、唐茄子とうなす淨瑠璃じやうるりを語る」
淨瑠璃じやうるりの今井一中がうまいつて言ひますよ」