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悲慘
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ひさん
往昔から
此洋中で、
海賊船の
襲撃を
蒙つて、
悲慘なる
最後を
遂げた
船は
幾百千艘あるかも
分らぬ。
悲慘なのもあれば、
船に
逃れた
御殿女中が、
三十幾人、
帆柱の
尖から
焚けて、
振袖も
褄も、
炎とともに
三百石積を
駈けまはりながら、
水に
紅く
散つたと
言ふ
凄慘なのもある。
陰鬱!
屈托!
寂寥! そして
僕の
眼には
何處かに
悲慘の
影さへも
見えるのである。
然るに
事實はさうでなく、あのような
悲慘な
結果の
續發となつたのであるが、これを
遠く
海外から
眺めてみると、
日本は
恐ろしい
地震國である。
地震の
度毎に
大火災を
起す
國である。
覺悟の
身に
今更の
涙見苦しゝと
勵ますは
詞ばかり
我れまづ
拂ふ
瞼の
露の
消えんとする
命か
扨もはかなし
此處松澤新田が
先祖累代の
墓所晝猶暗き
樹木の
茂みを
吹拂ふ
夜風いとゞ
悲慘の
聲を
火災は
震災よりも、より
頻繁に
起こり、より
悲慘なる
結果を
生ずるではないか。
然し
實に
奇怪な
事ではないか、
今安全信號燈の
輝いて
居る
邊の
海上には、
確實に
悲慘なる
難破船の
信號が
見えて
居つたのに。さては
船長の
言ふがごとく
私の
眼の
誤りであつたらうか。
一ツとして、
悲慘悽愴の
趣を
今爰に
囁き
告ぐる、
材料でないのはない。
『あれが
見えませんか、あれが、あの
悲慘なる
信號の
光を
見て
何とも
感じませんか。』とばかり、
遙かに
指す
左舷船尾の
海上。
私は『あツ。』と
叫んだまゝ
暫時開いた
口も
塞がらなかつたよ。