座主ざす)” の例文
しかも、父祖代々からの大檀越おおだんおつでもあり、寺の造立ぞうりゅうや行事には、寄進はもちろん、なにごとにも座主ざすの相談にあずかっておる次第。
新・水滸伝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
若い夫人の突然の死に左大臣邸は混乱するばかりで、夜中のことであったから叡山えいざん座主ざすも他の僧たちも招く間がなかった。
源氏物語:09 葵 (新字新仮名) / 紫式部(著)
『続古事談』四に「祇園社の宝殿の中には竜穴ありといふ、延久の焼亡の時梨本の座主ざすその深さを量らむとせしに五十丈に及んでなほ底なしとぞ」
宮家は比叡山の元天台座主ざす、僧家としても智行兼備の御方おんかた、何んのご躊躇するところもなく、珠数サラサラと押し揉んで、千手陀羅尼せんじゅだらにを高らかに読まれた。
あさひの鎧 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
山門の衆徒が、前座主ざすの流罪を妨害して、山へ連れ戻した知らせは、後白河法皇をひどく怒らせた。
大原談義は天台の座主ざす顕真けんじん僧正が法然上人に向って念仏の要義を問われたことから始まっている。顕真と法然とは叡山の坂本で対面した。顕真僧正は例によって尋ねた。
法然行伝 (新字新仮名) / 中里介山(著)
所詮は長尾ながお僧都そうずは申すまでもなく、その日御見えになっていらしった山の座主ざす仁和寺にんなじ僧正そうじょうも、現人神あらひとがみのような摩利信乃法師に、きもを御くじかれになったのでございましょう。
邪宗門 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
薨去こうきょの年の夏、或る月の明かな夜、五更ごこうが過ぎて天がまだ全く明けきらない頃、延暦寺えんりゃくじ第十三世の座主ざす法性房ほっしょうぼう尊意そんいが四明が嶽の頂に於いて三密さんみつの観想をらしている時であった。
少将滋幹の母 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
十代に出家され、十八歳で天台座主ざすに就かれたが、翌年北条追討のことがおこり、捕えられて讃岐さぬきへ移されたが、建武の新政のとき、再び都に帰られ、また天台座主にのぼられた。
中世の文学伝統 (新字新仮名) / 風巻景次郎(著)
幕は開きたり、只だ見る、男子三人女子二人より成れるひとホロスの唱和するを。その骨相を看れば、座主ざすは俄に畎畝けんぽの間より登庸し來りて、これに武士もののふの服をせしにはあらずやと疑はれぬ。
春惜む座主ざすの連歌に召されけり
俳人蕪村 (新字新仮名) / 正岡子規(著)
此上は比叡ひえい座主ざすの秋を待つ
五百五十句 (新字旧仮名) / 高浜虚子(著)
叡山の座主ざすであり、慈円僧正の師でもある覚快かくかい法親王が、世を去られたために、その後にのぞんで、一山の大衆だいしゅを導くことになったのである。
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「私はもう下がってまいろうと思います。いつもの物怪もののけは久しくわざわいをいたしませんでしたのに恐ろしいことでございます。叡山えいざん座主ざすをすぐ呼びにやりましょう」
源氏物語:53 浮舟 (新字新仮名) / 紫式部(著)
最初からその雲行が険難であったが、ついに元久元年の冬、山門大講堂の庭に三塔会合して専修念仏を停止ちょうじすべしということを議決して、座主ざすの大僧正真性に訴え申した。
法然行伝 (新字新仮名) / 中里介山(著)
二十一日、天台座主ざす覚快かくかい法親王が、座主を辞任、変って再び前座主さきのざす明雲めいうん大僧正が座主になった。
「ここにおわす御方おんかたこそ、今上きんじょうだい一の皇子みこにましまし、さきの比叡山天台座主ざす、ただ今はご還俗あそばされて、兵部卿大塔宮護良もりなが親王様におわすぞ! ……われらはお供の木寺相模」
あさひの鎧 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
さらば此場において、先ず山の座主ざすから一人一人灌頂かんちょうの儀式を行うてとらせようか。
邪宗門 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
春惜む座主ざす連歌れんがに召されけり
俳人蕪村 (新字旧仮名) / 正岡子規(著)
天皇の第三皇子で、嘉暦かれき二年以来、叡山えいざんに入っておられるさきノ天台の座主ざす尊雲法親王そんうんほっしんのう大塔だいとうみや)と、日野俊基であることをも明記していた。
私本太平記:03 みなかみ帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
延暦寺えんりゃくじ座主ざすのほかに戒師を勤める僧が三人参っていて、法服に召し替えられる時、この世と絶縁をあそばされる儀式の時、それは皆悲しいきわみのことであった。
源氏物語:34 若菜(上) (新字新仮名) / 紫式部(著)
天台座主ざすは、この願状にはさすがに気の毒に思い、直ぐに衆徒には披露せず、十禅師ぜんじの御殿で三日間加持をした上で、始めて一同に見せた。願書の上巻に一首の歌が書かれていた。
今上第一の御皇子みこにましまし、梨本御門跡なしのもとごもんぜきとならせたまい、つづいて比叡山延暦寺の、天台座主ざすすわらせられたまいし、尊雲法親王様におかせられては、二度目の座主をおめあそばされ
あさひの鎧 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
叡山に五大院を構へ屏居へいきよして出でず、著述を事とす、元慶八年勅して元慶寺の座主ざすたらしめ、伝法阿闍梨あじやりに任ず、終る所を記せず、世に五大院の先徳と称し、又阿覚大師と称す、著、悉曇蔵しつたんぞう八巻あり
列を追ッかけて来て「——狼藉者ろうぜきものを渡せ」と罵り「ここをどこと思う。もったいなくも御連枝ごれんしの宮、すなわち天台座主ざす亮性りょうしょう法親王のお住居なるを」
私本太平記:13 黒白帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
一品いっぽんみや様が物怪もののけでわずらっておいでになって、本山の座主ざすが修法をしておいでになりますが、やはり僧都が出て来ないでは効果の見えることはないということになって
源氏物語:55 手習 (新字新仮名) / 紫式部(著)
尼子勝久は自刃した。上杉景勝かげかつは兄を追った。荒木村重むらしげは謀反した。法燈暗く石山城、本願寺も勢力を失うだろう。一向一揆も潰されるだろう、天台の座主ざす比叡山も、粉砕されるに相違ない。
南蛮秘話森右近丸 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
座主ざすなが
(まず、態度のあいまいな、慈円僧正から先に座主ざす退いてもらおう)と決議文を作って、挑戦の気勢としたらしい。
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
良人と両親が神仏に大願を立てたのはこの時である。そのせいであったかすべてが無事に済んだので、叡山えいざん座主ざすをはじめ高僧たちが、だれも皆誇らかに汗をぬぐい拭い帰って行った。
源氏物語:09 葵 (新字新仮名) / 紫式部(著)
座主ざすへ対しても、どんなことをするかわからぬし、師の少納言を、取ってらすぐらいなことは、やりかねない)
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
中宮は堅い御決心を兄宮へお告げになって、叡山えいざん座主ざすをお招きになって、授戒のことを仰せられた。伯父おじ君にあたる横川よかわ僧都そうずが帳中に参っておぐしをお切りする時に人々の啼泣ていきゅうの声が宮をうずめた。
源氏物語:10 榊 (新字新仮名) / 紫式部(著)
また、いくばくもなく、南都に遊び洛内にじゅうし、いつか東寺とうじ長者ちょうじゃ、醍醐の座主ざすにまで補せられて、四曼三密しまんさんみつ棟梁とうりょうと、人もゆるし、みずからもすこの文観もんかん
私本太平記:03 みなかみ帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
戒力横行の遺風が残っているし、座主ざすの位置をめぐって、相剋そうこくの権謀や争い事はやまないと聞いている。
宮本武蔵:05 風の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「まだお年も二十七。天台座主ざすであるよりは、やはり馬上青春のほうが、ご気性にかなっているのか」
ここは幕府の祈願所きがんじょであり、輪王寺の宮が座主ざすとしている格式から、すべて別格扱いになっている。
大岡越前 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
ときの叡山の座主ざす大塔ノ宮のおはからいで、勅願所ともなっている関係から、島の孤帝にたいして、寺がこういう働きかけに出たとしても、決して不審とはいいえない。
私本太平記:06 八荒帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
彼が後宇多院ごうだいんに仕えていたころは、宮もまだおいとけない皇子だったが、やがて妙法院へ入られ、叡山えいざん座主ざすにつかれた後も、歌の会などでは、しばしばお目にかかっていた。
私本太平記:05 世の辻の帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
まもなく、宗良親王は、叡山えいざんへ上って、元の天台座主ざすにつき、願いどおり墨染の身に返った。
「両宮は、知ってのことにちがいない。座主ざすの責任を問え。執行しぎょうをとらえてただせ」
私本太平記:04 帝獄帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
朝廷では諸大寺の座主ざすから天皇ご自身までも、連日にわたって戦勝祈願の大威徳法の修法をこらし、また再度の綸旨りんじを諸国に発して、逆賊尊氏の必滅ひつめつを天地にちかっておられるとのこと。
私本太平記:10 風花帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
和泉いずみの南宗寺の住持にあげられたり、また、勅命をうけて、大徳寺の座主ざすにおされたこともあるんだそうですが、大徳寺は、たった三日いたきりで飛びだしてしまい、その後、豊臣秀頼さまだの
宮本武蔵:02 地の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「これは叡山より、座主ざすの五ノ宮のおん供してまいりし者」
私本太平記:04 帝獄帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「もと叡山ノ座主ざす宗良むねなが親王を、讃岐さぬきに流したてまつる」
私本太平記:04 帝獄帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)