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ざす
ふりがな文庫
“
座主
(
ざす
)” の例文
しかも、父祖代々からの
大檀越
(
おおだんおつ
)
でもあり、寺の
造立
(
ぞうりゅう
)
や行事には、寄進はもちろん、なにごとにも
座主
(
ざす
)
の相談にあずかっておる次第。
新・水滸伝
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
若い夫人の突然の死に左大臣邸は混乱するばかりで、夜中のことであったから
叡山
(
えいざん
)
の
座主
(
ざす
)
も他の僧たちも招く間がなかった。
源氏物語:09 葵
(新字新仮名)
/
紫式部
(著)
『続古事談』四に「祇園社の宝殿の中には竜穴ありといふ、延久の焼亡の時梨本の
座主
(
ざす
)
その深さを量らむとせしに五十丈に及んでなほ底なしとぞ」
十二支考:03 田原藤太竜宮入りの話
(新字新仮名)
/
南方熊楠
(著)
宮家は比叡山の元天台
座主
(
ざす
)
、僧家としても智行兼備の
御方
(
おんかた
)
、何んのご躊躇するところもなく、珠数サラサラと押し揉んで、
千手陀羅尼
(
せんじゅだらに
)
を高らかに読まれた。
あさひの鎧
(新字新仮名)
/
国枝史郎
(著)
十月十一日 虚子塔前にて
座主
(
ざす
)
以下
逆修
(
ぎゃくしゅ
)
石塔開眼式あり。年尾、汀子、初也も来り加はる。其他多数参列。
七百五十句
(新字新仮名)
/
高浜虚子
(著)
▼ もっと見る
山門の衆徒が、前
座主
(
ざす
)
の流罪を妨害して、山へ連れ戻した知らせは、後白河法皇をひどく怒らせた。
現代語訳 平家物語:02 第二巻
(新字新仮名)
/
作者不詳
(著)
大原談義は天台の
座主
(
ざす
)
顕真
(
けんじん
)
僧正が法然上人に向って念仏の要義を問われたことから始まっている。顕真と法然とは叡山の坂本で対面した。顕真僧正は例によって尋ねた。
法然行伝
(新字新仮名)
/
中里介山
(著)
所詮は
長尾
(
ながお
)
の
僧都
(
そうず
)
は申すまでもなく、その日御見えになっていらしった山の
座主
(
ざす
)
や
仁和寺
(
にんなじ
)
の
僧正
(
そうじょう
)
も、
現人神
(
あらひとがみ
)
のような摩利信乃法師に、
胆
(
きも
)
を御
挫
(
くじ
)
かれになったのでございましょう。
邪宗門
(新字新仮名)
/
芥川竜之介
(著)
薨去
(
こうきょ
)
の年の夏、或る月の明かな夜、
五更
(
ごこう
)
が過ぎて天がまだ全く明けきらない頃、
延暦寺
(
えんりゃくじ
)
第十三世の
座主
(
ざす
)
法性房
(
ほっしょうぼう
)
尊意
(
そんい
)
が四明が嶽の頂に於いて
三密
(
さんみつ
)
の観想を
凝
(
こ
)
らしている時であった。
少将滋幹の母
(新字新仮名)
/
谷崎潤一郎
(著)
十代に出家され、十八歳で天台
座主
(
ざす
)
に就かれたが、翌年北条追討のことがおこり、捕えられて
讃岐
(
さぬき
)
へ移されたが、建武の新政のとき、再び都に帰られ、また天台座主にのぼられた。
中世の文学伝統
(新字新仮名)
/
風巻景次郎
(著)
幕は開きたり、只だ見る、男子三人女子二人より成れる
一
(
ひと
)
群
(
ホロス
)
の唱和するを。その骨相を看れば、
座主
(
ざす
)
は俄に
畎畝
(
けんぽ
)
の間より登庸し來りて、これに
武士
(
もののふ
)
の服を
衣
(
き
)
せしにはあらずやと疑はれぬ。
即興詩人
(旧字旧仮名)
/
ハンス・クリスチャン・アンデルセン
(著)
春惜む
座主
(
ざす
)
の連歌に召されけり
俳人蕪村
(新字新仮名)
/
正岡子規
(著)
叡山の
座主
(
ざす
)
であり、慈円僧正の師でもある
覚快
(
かくかい
)
法親王が、世を去られたために、その後にのぞんで、一山の
大衆
(
だいしゅ
)
を導くことになったのである。
親鸞
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
「私はもう下がってまいろうと思います。いつもの
物怪
(
もののけ
)
は久しく
禍
(
わざわい
)
をいたしませんでしたのに恐ろしいことでございます。
叡山
(
えいざん
)
の
座主
(
ざす
)
をすぐ呼びにやりましょう」
源氏物語:53 浮舟
(新字新仮名)
/
紫式部
(著)
最初からその雲行が険難であったが、
終
(
つい
)
に元久元年の冬、山門大講堂の庭に三塔会合して専修念仏を
停止
(
ちょうじ
)
すべしということを議決して、
座主
(
ざす
)
の大僧正真性に訴え申した。
法然行伝
(新字新仮名)
/
中里介山
(著)
二十一日、天台
座主
(
ざす
)
覚快
(
かくかい
)
法親王が、座主を辞任、変って再び
前座主
(
さきのざす
)
明雲
(
めいうん
)
大僧正が座主になった。
現代語訳 平家物語:03 第三巻
(新字新仮名)
/
作者不詳
(著)
「ここにおわす
御方
(
おんかた
)
こそ、
今上
(
きんじょう
)
第
(
だい
)
一の
皇子
(
みこ
)
にましまし、
前
(
さき
)
の比叡山天台
座主
(
ざす
)
、ただ今はご還俗あそばされて、兵部卿大塔宮
護良
(
もりなが
)
親王様におわすぞ! ……われらはお供の木寺相模」
あさひの鎧
(新字新仮名)
/
国枝史郎
(著)
さらば此場において、先ず山の
座主
(
ざす
)
から一人一人
灌頂
(
かんちょう
)
の儀式を行うてとらせようか。
邪宗門
(新字新仮名)
/
芥川竜之介
(著)
春惜む
座主
(
ざす
)
の
連歌
(
れんが
)
に召されけり
俳人蕪村
(新字旧仮名)
/
正岡子規
(著)
此上は
比叡
(
ひえい
)
の
座主
(
ざす
)
の秋を待つ
五百五十句
(新字旧仮名)
/
高浜虚子
(著)
天皇の第三皇子で、
嘉暦
(
かれき
)
二年以来、
叡山
(
えいざん
)
に入っておられる
前
(
さき
)
ノ天台の
座主
(
ざす
)
、
尊雲法親王
(
そんうんほっしんのう
)
(
大塔
(
だいとう
)
ノ
宮
(
みや
)
)と、日野俊基であることをも明記していた。
私本太平記:03 みなかみ帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
延暦寺
(
えんりゃくじ
)
の
座主
(
ざす
)
のほかに戒師を勤める僧が三人参っていて、法服に召し替えられる時、この世と絶縁をあそばされる儀式の時、それは皆悲しいきわみのことであった。
源氏物語:34 若菜(上)
(新字新仮名)
/
紫式部
(著)
天台
座主
(
ざす
)
は、この願状にはさすがに気の毒に思い、直ぐに衆徒には披露せず、十
禅師
(
ぜんじ
)
の御殿で三日間加持をした上で、始めて一同に見せた。願書の上巻に一首の歌が書かれていた。
現代語訳 平家物語:07 第七巻
(新字新仮名)
/
作者不詳
(著)
今上第一の
御皇子
(
みこ
)
にましまし、
梨本御門跡
(
なしのもとごもんぜき
)
とならせたまい、つづいて比叡山延暦寺の、天台
座主
(
ざす
)
に
座
(
すわ
)
らせられたまいし、尊雲法親王様におかせられては、二度目の座主をお
罷
(
や
)
めあそばされ
あさひの鎧
(新字新仮名)
/
国枝史郎
(著)
叡山に五大院を構へ
屏居
(
へいきよ
)
して出でず、著述を事とす、元慶八年勅して元慶寺の
座主
(
ざす
)
たらしめ、伝法
阿闍梨
(
あじやり
)
に任ず、終る所を記せず、世に五大院の先徳と称し、又阿覚大師と称す、著、
悉曇蔵
(
しつたんぞう
)
八巻あり
大菩薩峠:39 京の夢おう坂の夢の巻
(新字新仮名)
/
中里介山
(著)
列を追ッかけて来て「——
狼藉者
(
ろうぜきもの
)
を渡せ」と罵り「ここをどこと思う。もったいなくも
御連枝
(
ごれんし
)
の宮、すなわち天台
座主
(
ざす
)
の
亮性
(
りょうしょう
)
法親王のお住居なるを」
私本太平記:13 黒白帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
一品
(
いっぽん
)
の
宮
(
みや
)
様が
物怪
(
もののけ
)
でわずらっておいでになって、本山の
座主
(
ざす
)
が修法をしておいでになりますが、やはり僧都が出て来ないでは効果の見えることはないということになって
源氏物語:55 手習
(新字新仮名)
/
紫式部
(著)
尼子勝久は自刃した。上杉
景勝
(
かげかつ
)
は兄を追った。荒木
村重
(
むらしげ
)
は謀反した。法燈暗く石山城、本願寺も勢力を失うだろう。一向一揆も潰されるだろう、天台の
座主
(
ざす
)
比叡山も、粉砕されるに相違ない。
南蛮秘話森右近丸
(新字新仮名)
/
国枝史郎
(著)
座主
(
ざす
)
流
(
なが
)
し
現代語訳 平家物語:02 第二巻
(新字新仮名)
/
作者不詳
(著)
(まず、態度のあいまいな、慈円僧正から先に
座主
(
ざす
)
を
退
(
ひ
)
いてもらおう)と決議文を作って、挑戦の気勢としたらしい。
親鸞
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
良人と両親が神仏に大願を立てたのはこの時である。そのせいであったかすべてが無事に済んだので、
叡山
(
えいざん
)
の
座主
(
ざす
)
をはじめ高僧たちが、だれも皆誇らかに汗を
拭
(
ぬぐ
)
い拭い帰って行った。
源氏物語:09 葵
(新字新仮名)
/
紫式部
(著)
(
座主
(
ざす
)
へ対しても、どんなことをするかわからぬし、師の少納言を、取って
懲
(
こ
)
らすぐらいなことは、やりかねない)
親鸞
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
中宮は堅い御決心を兄宮へお告げになって、
叡山
(
えいざん
)
の
座主
(
ざす
)
をお招きになって、授戒のことを仰せられた。
伯父
(
おじ
)
君にあたる
横川
(
よかわ
)
の
僧都
(
そうず
)
が帳中に参ってお
髪
(
ぐし
)
をお切りする時に人々の
啼泣
(
ていきゅう
)
の声が宮をうずめた。
源氏物語:10 榊
(新字新仮名)
/
紫式部
(著)
また、いくばくもなく、南都に遊び洛内に
住
(
じゅう
)
し、いつか
東寺
(
とうじ
)
の
長者
(
ちょうじゃ
)
、醍醐の
座主
(
ざす
)
にまで補せられて、
四曼三密
(
しまんさんみつ
)
の
棟梁
(
とうりょう
)
と、人もゆるし、みずからも
持
(
じ
)
すこの
文観
(
もんかん
)
。
私本太平記:03 みなかみ帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
戒力横行の遺風が残っているし、
座主
(
ざす
)
の位置をめぐって、
相剋
(
そうこく
)
の権謀や争い事はやまないと聞いている。
宮本武蔵:05 風の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
「まだお年も二十七。天台
座主
(
ざす
)
であるよりは、やはり馬上青春のほうが、ご気性にかなっているのか」
私本太平記:09 建武らくがき帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
ここは幕府の
祈願所
(
きがんじょ
)
であり、輪王寺の宮が
座主
(
ざす
)
としている格式から、すべて別格扱いになっている。
大岡越前
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
ときの叡山の
座主
(
ざす
)
大塔ノ宮のおはからいで、勅願所ともなっている関係から、島の孤帝にたいして、寺がこういう働きかけに出たとしても、決して不審とはいいえない。
私本太平記:06 八荒帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
彼が
後宇多院
(
ごうだいん
)
に仕えていたころは、宮もまだお
稚
(
いとけ
)
ない皇子だったが、やがて妙法院へ入られ、
叡山
(
えいざん
)
の
座主
(
ざす
)
につかれた後も、歌の会などでは、しばしばお目にかかっていた。
私本太平記:05 世の辻の帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
まもなく、宗良親王は、
叡山
(
えいざん
)
へ上って、元の天台
座主
(
ざす
)
につき、願いどおり墨染の身に返った。
私本太平記:09 建武らくがき帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
「両宮は、知ってのことにちがいない。
座主
(
ざす
)
の責任を問え。
執行
(
しぎょう
)
をとらえて
質
(
ただ
)
せ」
私本太平記:04 帝獄帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
朝廷では諸大寺の
座主
(
ざす
)
から天皇ご自身までも、連日にわたって戦勝祈願の大威徳法の修法をこらし、また再度の
綸旨
(
りんじ
)
を諸国に発して、逆賊尊氏の
必滅
(
ひつめつ
)
を天地にちかっておられるとのこと。
私本太平記:10 風花帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
和泉
(
いずみ
)
の南宗寺の住持にあげられたり、また、勅命をうけて、大徳寺の
座主
(
ざす
)
におされたこともあるんだそうですが、大徳寺は、たった三日いたきりで飛びだしてしまい、その後、豊臣秀頼さまだの
宮本武蔵:02 地の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
「これは叡山より、
座主
(
ざす
)
の五ノ宮のおん供してまいりし者」
私本太平記:04 帝獄帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
「もと叡山ノ
座主
(
ざす
)
、
宗良
(
むねなが
)
親王を、
讃岐
(
さぬき
)
に流したてまつる」
私本太平記:04 帝獄帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
“座主”の解説
座主(ざす)
仏教用語 - 住職最上位の別称。一般には天台宗を代表する僧侶への敬称。
法制史用語 - 中国の科挙における試験官職
(出典:Wikipedia)
座
常用漢字
小6
部首:⼴
10画
主
常用漢字
小3
部首:⼂
5画
“座”で始まる語句
座
座蒲団
座敷
座頭
座布団
座右
座敷牢
座興
座蒲團
座席